現代英国 2022
息子が殺すのを見た夜、
時間が逆に流れ出す。
『ロング・プレイス、ロング・タイム』ジリアン・マカリスター

書評

ロング・プレイス、ロング・タイム

犯人は最初から分かっている。残された「なぜ」を遡って追う特殊設定ミステリ。

ロング・プレイス、ロング・タイム 表紙画像
ジリアン・マカリスター 小学館(小学館文庫) 原書 2022年 · 邦訳 2024年
目次

帰宅した十八歳の息子が、母親の目の前で、見知らぬ男性を刺し殺す。十月三十日に日付が替わったばかりの深夜のことでした。

犯人が誰かは、最初の数ページで読者に手渡されてしまいます。あとに残るのは、たったひとつの問い——なぜ。

『ロング・プレイス、ロング・タイム』は、その空白を埋めるために、母親を過去へ過去へと押し戻していく物語です。

物語の入り口

主人公のジェンは離婚弁護士です。他人の家庭が裂けていく瞬間を、仕事として何度も見つめてきた人。

けれど彼女自身の生活は、愛する夫ケリーと十八歳の息子トッドに囲まれた、平凡で幸せなものでした。仕事で見てきた不幸は、あくまで他人のものだった。

自分の家の平凡さが明日も明後日も続くことを、彼女は疑う理由を持っていませんでした。少なくとも、十月三十日に日付が替わるまでは。

その深夜、帰宅したトッドが、ジェンの見ている前で見知らぬ男性を刺し殺します。十八年ぶん見てきたはずの息子が、母親のまったく知らない相手に刃を向ける。

目に映ったものと、それまで信じてきたものが、どうしても噛み合わない。理解が追いつかないうちに、トッドは逮捕されていきます。

日付は替わったばかり。ほんの数分前まで、この家には何ごともない一日の終わりがあったはずでした。

手を下したのはわが子で、母親はその一部始終を目撃してしまった。もう取り返しがつかない。

その一点だけが動かしようもなく確定した状態から、この物語は始まります。

呆然としたまま眠りについたジェンが目を覚ますと、日付は十月二十八日の朝に戻っていました。事件は、まだ起きていない。

そしてそれ以降、彼女は眠るたびに時間を遡っていきます。眠りのたびに一歩ずつ後ろへ、事件から遠ざかる方向へと運ばれていく、逆行型の時間です。

ふだんは一日を閉じるだけの行為である眠りが、ここでは時計の針を巻き戻すスイッチとして働く。目を閉じるのが怖いのか、それとも待ち遠しいのか、ジェン自身にも判じがたい夜が続きます。

混乱の底でようやく事態を把握したジェンは、ひとつの目的にすべてを賭けることになります。息子が人を殺すという未来を、その前に食い止めること。

読者のほうは、結末を先に見せられたまま、そこへ至る時間を逆さまに流されていくという、奇妙な席に座らされることになります。

読みどころ

読みどころは、「誰が」の答えが最初に埋まってしまったあとに残る、「なぜ」の引力にあります。 通常のミステリーが積み上げていく順序——事件が起き、手がかりが集まり、動機が最後に明かされる——を、本書は反対側から歩きます。

ジェンが手に入れる材料は、時間を遡るほど事件から遠い、まだ何も起きていない日常の断片です。読者もまた、意味を持つはずのない光景を、意味を持つかもしれない目つきで眺めることになる。

この視線の変質が、物語の推進力そのものになっています。

もうひとつ効いているのが、主人公が母親であることです。捜査の専門家でも探偵でもない彼女にとって、遡行はわが子を取り戻すための時間であり、同時に、母である自分に何ができるのかを繰り返し問われる時間でもあります。

「一気読み必至」「主人公に共感」という英米での評判は、この二つが同じ推進力の裏表になっているところから来ているのでしょう。謎を解く動機と、母親としての切実さが、最後まで一本の線でつながっています。

こんな人におすすめ

相性の話をすると、警察の捜査手続きや法廷の攻防をじっくり味わいたい読者には、本書の作りは少し飛躍が大きく感じられるかもしれません。日付が巻き戻るという前提を受け入れたうえで走る物語なので、そこに理屈の説明を先に求めると、序盤で足が止まってしまう可能性があります。

逆に、大きな仕掛けを持ち込んだ設定の中で、あくまでフェアに「なぜ」を追わせてくれる謎解きを探している読者、そして家族という一番近い他人を描いた物語に惹かれる読者には、迷わず薦められる一冊です。読み始めたら止まらない種類の小説なので、夜更けに開くときはご注意を。

作品の背景

本書は二〇二二年に発表された長編で、原題は Wrong Place Wrong Time といいます。「一気読み必至」「主人公に共感」といった評判とともに英米で話題を集め、三十五か国語以上に翻訳されるベストセラーとなりました。

日本語版は二〇二四年、小学館文庫から刊行されています。版元がこの作品に添えたのは「タイムリープ×ミステリ×家族小説」という三つの掛け算のコピーでした。

時間をめぐる大きな仕掛けを持ちながら、その中心に置かれているのは一組の家族であり、解かれるべきなのはひとつの動機である。短いコピーですが、本書の立ち位置がよく言い表されています。

手に取るなら

入手は小学館文庫版で。三十五か国語以上に届いたベストセラーでありながら、物語が見つめる範囲はひとつの家庭に絞られていて、時間を扱う小説に慣れていない読者でも入り口で迷うことはありません。

特殊な設定を持つミステリーの現代的な一冊として、まず手に取ってみる価値のある作品です。

ジリアン・マカリスターについて

1985年、イングランドのサットン・コールドフィールドに生まれました。バーミンガム大学で英文学を学んだのち法律を修め、弁護士として働いた経験を持ちます。

2017年に『Everything But The Truth』で長編デビューし、同作は発売初週にサンデー・タイムズのベストセラーリストで6位に入りました。

以後もサスペンスを書きつづけ、長編は10作を数えます。『ロング・プレイス、ロング・タイム』はリース・ウィザースプーンのブッククラブに選ばれ、サンデー・タイムズとニューヨーク・タイムズのベストセラーになりました。

ポッドキャスト「Honest Authors」の共同ホストも務めており、バーミンガムに暮らしています。

書誌情報

出版社
小学館 / 小学館文庫
原書刊行年
2022
邦訳刊行年
2024
ISBN-13
9784094072679
系譜
現代英国 / 特殊設定本格

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この記事を書いた人

リットン

都内金融機関で経営企画とデータアナリストをしているアラサー。
文系の非エンジニアですが、独学で始めた Python と生成AIにすっかりはまりました。
プログラミング・サッカー・ミステリ紹介など、好きなことを好きに書いています。

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