現代国内 2003
戦争が終わった夜、
原爆の町で男が殺された。
『新世界』柳広司

書評

新世界

終戦に沸く原爆開発の町の殺人から、科学と人間の責任へ目を向ける一冊です。

新世界 表紙画像
柳広司 KADOKAWA(角川文庫)2003年
目次

戦争が終わった夜でした。砂漠の町では、祝いの宴が開かれています。

その夜、一人の男が殺されます。柳広司『新世界』は、1945年8月、原爆開発のために科学者が集められたロスアラモスを舞台に、「原爆の父」オッペンハイマーの遺稿という形で語られる長編です。

祝いの夜の殺人を追う謎解きに、原爆を作った人間が何を引き受けるのかという問いが重なっていきます。

物語の入り口

1945年8月、ロスアラモス。原爆を作るために、科学者が集められた砂漠の町です。

第二次大戦が終わった夜、町は祝賀に沸きます。自分たちの仕事が成果を挙げた。

戦争は終わった。科学者たちが集まったパーティの夜、そのなかで一人の男が殺されます。

原爆開発という、この町が置かれた目的が果たされた、まさにその夜の死です。その死を境に、祝賀の町に混沌が広がりはじめます。

物語は、「原爆の父」オッペンハイマーの遺稿として差し出されます。原爆開発の中心にいた科学者が、自分の町で起きた殺人を書き残している。

それを読む、という形になっています。殺人の記録であると同時に、原爆を作った当人が残した文章でもある。

二つの性格を、この遺稿は最初から併せ持っています。

読者が立たされるのは、その遺稿を開いた人の位置です。祝いの夜に人が死んだ。

誰が、なぜ。その問いを追いながら、もうひとつの問いからも逃れられません。

この町で作られたものは何だったのか、それを作った人間は何を引き受けるのか。勝利を喜ぶ場所で命が奪われる、という取り合わせが、二つの問いを最初から結びつけています。

事件の入り口に立った時点で、読む側はすでに、原爆を生んだ町の側に立っているのです。祝宴の明かりと、その町が世界に送り出したものの影と。

どちらも同じ夜のなかにあります。

読みどころ

本作の核にあるのは、科学の成果を喜ぶことと、その責任を引き受けることの距離です。

殺人の謎は、この長編の入り口です。けれども、舞台がロスアラモスで、語り手がオッペンハイマーである以上、犯人を探す物語は、それだけでは終わりません。

祝賀の夜に人が殺される。その不穏な取り合わせが、科学の勝利とその代償という、もっと大きな問いを事件に重ねます。

犯人を追うことが、そのまま、人間が自分の作ったものの責任をどこまで負えるのかを問うことにつながっていきます。謎解きの興奮と、歴史の重みとが、同じページの上で押し合います。

遺稿という枠も、この押し合いに加わります。事件を語るのが、原爆を作った当人であること。

読者は殺人の記録を追いながら、同時に、それを書き残した人間の声を聞き続けることになります。

もうひとつは、舞台の選び方です。1945年8月のロスアラモスは、原爆を作るという一つの目的のために、科学者が集められた町でした。

その目的が果たされ、戦争が終わった夜に、祝宴の場で人が死ぬ。町の成り立ちそのものが、この死をただの殺人として読ませません。

科学者たちが自分たちの仕事の成果を喜んでいる、その同じ場所で、一人の男の命が奪われる。成果を喜ぶことと、その責任を引き受けることの距離が、祝宴の明かりの下では、いっそう目に見えるものになります。

謎解きの遊びの余地はそこで削られ、問いは真顔になる。本作の読後に残るのが、謎が解けた爽快さよりも重い問いであるのは、そのためです。

史実を借りた軽やかな歴史ミステリを期待して開くと、原爆の町という舞台の重さに、息が詰まるかもしれません。けれども、事件の謎と、事件が起きた時代の重みとを一緒に考えたい人には、この重さこそが読む理由になります。

作品の背景

刊行は2003年です。2001年の『黄金の灰』では考古学者シュリーマン、2002年の『はじまりの島』では博物学者ダーウィン。

年ごとに題材の時代と土地を移してきた柳広司が、デビュー3年目に選んだのは、1945年の砂漠の町でした。原爆を作った科学者の、しかも遺稿。

舞台と語り手を決めた時点で、この長編は殺人の謎だけの本ではなくなっています。

手に取るなら

現行版は角川文庫、2006年刊です。柳広司の他の歴史ミステリを先に読んでおく必要はなく、この一冊から入っても、1945年8月の砂漠の町へまっすぐ降り立てます。

重い主題を扱いますが、まずは祝賀の夜の殺人を追う本として開いて差し支えありません。第二次大戦が終わった夜、砂漠の町の祝宴に、まず一人の客として加わってみてください。

そこで起きたことは、オッペンハイマーの遺稿が語ります。

柳広司について

柳広司は1967年、三重県に生まれました。神戸大学法学部を卒業し、1998年に「挙匪(ボクサーズ)」で第4回歴史群像大賞の佳作に入ったのち、2001年に原書房から出た『黄金の灰』で小説家になります。

同じ年には『贋作『坊っちゃん』殺人事件』で第12回朝日新人文学賞を受けました。

初期の仕事の軸は、実在の人物や名作を借りて謎解きを組むことでした。シュリーマン、ソクラテス、マルコ・ポーロ、夏目漱石、シートンといった人々が、探偵役や事件の当事者として作中に呼びこまれます。

2008年の『ジョーカー・ゲーム』は陸軍のスパイ養成機関「D機関」を描いた連作で、翌年に第30回吉川英治文学新人賞と第62回日本推理作家協会賞をそろって受け、以後シリーズとして書き継がれました。歴史の枠組みに架空の事件を差し込む手つきは、スパイ小説に移ってからも変わっていません。

書誌情報

出版社
KADOKAWA / 角川文庫
刊行年
2003
ISBN-13
9784043829019
系譜
現代国内

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リットン

都内金融機関で経営企画とデータアナリストをしているアラサー。
文系の非エンジニアですが、独学で始めた Python と生成AIにすっかりはまりました。
プログラミング・サッカー・ミステリ紹介など、好きなことを好きに書いています。

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