吹雪の洋館は何かおかしい。
霧越邸殺人事件
吹雪に閉ざされた洋館の不可思議さが、事件の謎を追う時間に深い陰影を添える。
信州の山中で吹雪に遭った劇団「暗色天幕」の一行が、謎めいた洋館「霧越邸」に足を踏み入れる。迎えるのは、怪しい住人たち。
邸内では不可思議な現象が次々と起こり、閉ざされた吹雪の山荘で、やがて連続殺人の幕が上がります。『霧越邸殺人事件』は、その雪の洋館を舞台にした綾辻行人の長編です。
事件を追う緊張と、館に漂う幻想的な気配。その二つが重なった読み心地は、この作家の作品のなかでも独特のものです。
物語の入り口
劇団「暗色天幕」の一行は、信州の山中で吹雪に遭います。雪は激しさを増し、進むことも戻ることもできない。
そんな彼らの前に現れたのが、山中に建つ謎の洋館「霧越邸」でした。一行は、その扉を叩きます。
吹雪のなかで、灯りのついた建物に出会う。安堵と不安が、同時に胸に湧く場面です。
迎えたのは、怪しい住人たちでした。吹雪に閉ざされた山荘で、劇団の一行は、見知らぬ人々と屋根を共にすることになります。
外界から隔てられた館と、そこに居合わせた顔ぶれ。本格ミステリが繰り返し使ってきた盤面が、雪の山中に整います。
そして邸内では、不可思議な現象が次々と起こります。説明のつかない出来事が、閉ざされた館のなかで繰り返される。
劇団員たちは、この洋館の奇妙さに戸惑いながら、吹雪が止むのを待つしかない。ところが、やがて連続殺人の幕が上がります。
雪に降りこめられた洋館で、戸惑いの時間は、そのまま事件の時間へと変わっていきます。
読者は、吹雪の音を聞きながら、この洋館の廊下を歩くことになります。事件を追う緊張と、館に漂う幻想的な気配。
ふつうなら別々に置かれるはずの二つが、霧越邸では同じ空気のなかにあります。謎の答えを求める気持ちと、この不穏な屋敷をもっと歩いてみたい気持ち。
読んでいるあいだ、その両方に誘われ続けることになります。
読みどころ
雪に閉ざされた洋館で、謎を追う張りつめた時間と、館そのものが放つ幻想の気配とが、一つに溶け合っています。 吹雪の山荘という、本格ミステリの古典的な盤面。
そこに綾辻行人は、不可思議な現象という幻想の色を重ねました。論理と幻想は、ふつうは相性がよくありません。
本作はその二つを、霧越邸という建物のなかで両立させています。吹雪が外との行き来を断ち、邸内では説明のつかない出来事が続く。
謎を解くための閉ざされた盤面と、理屈では片づかない気配とが、同じ屋根の下に置かれているのです。推理の筋道を一段ずつ追う楽しみと、館の気配に身をゆだねる楽しみ。
どちらか一方だけを求めて頁を繰っても、もう一方がいつのまにか入り込んできます。古典の型を守りながら、その型のなかに幻想の色を流し込む。
綾辻行人の技量が、もっとも贅沢な形で発揮された一冊です。
もうひとつは、館そのものの存在感です。館シリーズの作家が、シリーズの外で、信州の山中に雪に閉ざされた洋館を建てました。
怪しい住人たち、不可思議な現象、そして幕を開ける連続殺人。霧越邸という建物の存在感は、読み終えたあとも長く残ります。
吹雪のなかでようやく辿り着いた、灯りのともる洋館。そのとき胸に湧いた安堵と不安の入り混じった印象が、ページを重ねても館の顔として消えません。
吹雪の夜に、もう一度あの廊下を歩きたくなる。そういう館です。
こんな人におすすめ
雪に降りこめられた館で謎を追う物語を好む読者、幻想と論理が同居する物語を好む読者に向いています。館シリーズを読み終えて、綾辻行人のシリーズ外の作品を探している人にも、まず薦めたい一冊です。
逆に、幻想的な気配を「ミステリには不要なもの」と感じる人には、本作の空気は少し濃すぎるかもしれません。ただ、その濃さこそがこの一冊の値打ちです。
作品の背景
綾辻行人は館シリーズの作家として知られていますが、本作はそのシリーズには属さない、単発の長編です。刊行は1990年でした。
1987年のデビューから3年、館シリーズとは別の場所に建てられたのが、この霧越邸です。
現行版は、2014年3月に出た角川文庫の完全改訂版で、上下巻。電子版もあります。
刊行から四半世紀近くを経て、作者自身の手で全面的に改訂されたのがこの版です。これから読むなら、迷わず完全改訂版を。
手に取るなら
現行版は角川文庫の完全改訂版、上下巻。上下とも2014年3月25日の刊行で、電子版でもそろえられます。
シリーズには属さない単発作品ですから、綾辻行人の他の作品を読んでいなくても問題ありません。上下二冊を手元に揃えてから、吹雪の山荘に籠もるのがよいでしょう。
読み始めるなら、外が寒い季節がいい。雪の描写が、いっそう身に沁みます。
霧越邸の扉は、雪の夜に開きます。そして一度入ったら、吹雪が止むまで出られません。
綾辻行人について
綾辻行人は1960年、京都市の生まれです。京都大学教育学部に進んで京大推理小説研究会に所属し、のちに妻となる小野不由美と同期でした。
研究会には我孫子武丸や法月綸太郎も在籍しています。大学院在学中の1987年に『十角館の殺人』でデビューし、この一作がのちに「新本格」と呼ばれる流れの起点になりました。
1992年には『時計館の殺人』で第45回日本推理作家協会賞(長編部門)を、のちには第22回日本ミステリー文学大賞を受けています。
奇妙な館を舞台にした館シリーズを書き継ぐ一方で、囁きシリーズや『殺人鬼』、『Another』、『深泥丘奇談』の連作など、恐怖と怪奇を主眼に据えた作品にも長く取り組んできました。漫画家の楳図かずおを「わが心の師」と公言しており、謎解きの骨組みを組み上げる仕事と、怖さを描く仕事を並行して続けてきた作家です。
書誌情報
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