すでに盗作されていた。
サロメの断頭台
まだ世に出していない絵を剽窃した犯人を追ううちに、戯曲になぞらえた殺人が起こる大正の長編
「そっくりな作品をアメリカで見た」。オランダの富豪がそう口にしたのは、まだどこにも発表していない油絵を前にしてのことでした。
夕木春央『サロメの断頭台』は、あるはずのない似姿をめぐる問いから動き出す、大正の物語です。盗作の謎を追ううちに、事件は戯曲になぞらえた死へと広がっていきます。
絵を描く画家と元泥棒が、並んで謎を追う——大正を舞台にしたシリーズの、第4作にあたります。
物語の入り口
舞台は大正期の日本です。油絵画家の井口は、元泥棒の蓮野を通訳として連れ、オランダの富豪ロデウィック氏を訪ねます。
画家の祖父と縁のあった人物で、美術品の収集家でもある。異国の客と、画家と、通訳役の元泥棒。
顔ぶれだけ見れば、昔の縁をたどる、穏やかな訪問に見えます。
ところが翌日、アトリエで井口の絵を見たロデウィック氏が、同じような作品をアメリカで見たと気づきます。まだ世に出していない絵です。
描いた本人の手元にしかないはずの絵が、海の向こうに存在している。原画はアトリエにあるのに、よく似た作品だけが遠い国に現れているのです。
未発表の絵を、誰がどうして剽窃したのか——画家にとってそれは、自分の仕事がどこかで盗まれていたという疑いにほかなりません。こうして二人は、盗作の犯人を探し始めます。
探るうちに、井口の周りでは、戯曲『サロメ』に擬えたと思われる連続殺人が起こります。盗作の調査として始まった話が、人の死をめぐる事件へと姿を変えていく。
天才芸術家の死、秘密を抱えた舞台女優、盗作事件と贋作事件、そして見立て殺人。題材を並べると、美術と演劇と殺人が、一人の画家の周囲で幾重にも重なり合う構図です。
読者は、絵を盗まれた側の画家の隣に立たされます。自分の作品の似姿がどこから来たのかという問いを抱えたまま、調べを進める二人と同じ速度で、事件の輪郭を一つずつ知っていくことになります。
読みどころ
盗作、真贋、なぞらえられた死。三つの謎は「本物とは何か」という一点でつながっています。
盗作は、その絵が誰の手になるものかを問います。贋作は、目の前のものが本物かどうかを問う。
戯曲になぞらえられた死もまた、ある出来事を別の物語に重ねて見せる行為です。美術の問題と殺人の謎が、別々に並んでいるのではなく、同じ問いの周りを回っている。
三つの題材が同じ問いを共有しているところに、この物語の骨組みがあります。
もうひとつは、二人の組み合わせです。絵を描く側にいる画家と、盗みの側にいた元泥棒。
同じ一枚の絵を前にしても、作り手として見るか、持ち去る側の目で見るかで、見えるものは変わるはずです。ものの見方の違う二人が、同じ絵の前に並ぶことになります。
通訳という役回りで富豪のもとへ同行した元泥棒が、そのまま調べの相棒になる成り行きも、この組み合わせならではです。画家の祖父と縁のあった異国の収集家の一言が、二人を動かす最初のきっかけになります。
こんな人におすすめ
絵画や演劇といった芸術を題材にした謎解きに惹かれる人に向きます。盗作や贋作、作品の来歴といった美術の問題そのものに関心がある人なら、事件の発端から身を乗り出すはずです。
盗作と連続殺人という性質の違う事件が、同じ画家の周りで起こる筋立てを追いたい人にも合うでしょう。シリーズは途中から読み始めても困らない作りなので、この巻から大正ものに入っても差し支えありません。
『方舟』で作者を知り、同じ書き手の別の系列にも触れてみたい人にとっては、ちょうどよい入り口になります。
作品の背景
『サロメの断頭台』は、蓮野とその周囲の人々を描くシリーズの第4作です。同じ時代を舞台にした作品には、ほかに『絞首商會』『サーカスから来た執達吏』『時計泥棒と悪人たち』があります。
刊行の翌年、『本格ミステリ・ベスト10』2025年版の国内編で第6位に入り、2025年2月12日に発表された第25回本格ミステリ大賞では小説部門の候補に挙がりました。
手に取るなら
単行本は2024年3月14日に講談社から刊行された480ページの一冊で、電子版はその前日から配信されています。シリーズを最初から追うなら『絞首商會』からですが、ここから入っても物語は十分に追えます。
まだ誰にも見せていない一枚の絵が、海の向こうに先回りしていた。その不可解から、油絵画家と元泥棒の調べが始まります。
夕木春央について
夕木春央は1993年生まれの推理作家です。有栖川有栖の創作塾で長編を書き上げる経験を積み、2019年に第60回メフィスト賞を受け、受賞作を改題した『絞首商會』でデビューしました。
書き継いでいる系列は二つあります。一つは『絞首商會』『サーカスから来た執達吏』『サロメの断頭台』などの大正時代を舞台にしたシリーズで、十代のころから親しんだ江戸川乱歩や明治大正の文学の空気を下敷きにしています。
もう一つは現代を舞台にした作品で、2022年の『方舟』が週刊文春ミステリーベスト10の国内部門とMRC大賞2022で1位となり、作者の名を広く知らしめました。続く『十戒』も同じ路線の作品です。
特殊な状況を設定し、その状況でしか起こりえない出来事を探るという発想の順序を、作者自身が語っています。
書誌情報
夕木春央をもっと読む
全作品一覧へ →似た読み味を、他の作家で
気分タグ・系譜の重なりから自動抽出。★は管理人が実読して太鼓判を押した本