ミステリーとしての読みどころ
「最後の事件」で滝の底へ消えたはずの名探偵が、また机の前に戻ってくる。ドイルが十年近く封じていたシャーロック・ホームズを、ふたたび現在進行形で動かしはじめた一冊。
それが本書『シャーロック・ホームズの生還』です。巻頭を飾る「空き家の冒険」で復活が正式に語られ、そこから暗号あり、寄宿学校あり、屋敷ありの十三編が続いていきます。
名探偵が確かに帰ってきたと、読者が最初の数ページで納得できる短編集です。
著者について
著者のアーサー・コナン・ドイルは、一八五九年エディンバラの生まれ。エディンバラ大学で医学を学んだ医師でもありました。
一八九三年、短編「最後の事件」でホームズをライヘンバッハの滝へ姿を消させて以来、長編『バスカヴィル家の犬』を過去の事件として書きはしたものの、いま動いているホームズは十年ちかく封印されたままだったのです。その空白を破って書かれたのが本書でした。
復活の裏には、よく知られた商業的な事情もあります。米国の〈コリアーズ・ウィークリー〉が破格の原稿料でホームズ短編を依頼し、当初六編、続いて六編、最後に一編を加えた十三編へと契約がふくらんでいった、と伝えられています。
〈ストランド・マガジン〉での連載再開は大きな話題を呼び、シドニー・パジェットの挿絵もそのまま引き継がれました。読者が長く親しんだ手ざわりが、そっくり戻ってきたわけです。
物語の入り口は、やはり「空き家の冒険」です。姿を消していたはずのホームズが、どのように読者の前へ帰ってくるのか。
ドイルは巧妙なトリックでホームズを帰還させた、と公式に語られるとおり、その一編が短編集全体の看板になっています。看板をくぐった先に待っているのは、粒ぞろいの十三編です。
〈ストランド・マガジン〉に一九〇三年十月号から一九〇四年十二月号まで発表され、一九〇五年に一冊としてまとめられました。並びは「空き家の冒険」「ノーウッドの建築業者」「踊る人形」「ひとりぼっちの自転車乗り」「プライアリ・スクール」「ブラック・ピーター」「恐喝王ミルヴァートン」「六つのナポレオン」「三人の学生」「金縁の鼻眼鏡」「スリー・クォーターの失踪」「アビィ屋敷」「第二の汚点」。
暗号ものの古典として繰り返し名の挙がる「踊る人形」、寄宿学校を舞台にした「プライアリ・スクール」、屋敷ものの代表格「アビィ屋敷」、そして連続する事件を扱う「六つのナポレオン」——ホームズ短編史で何度も言及される作品が、この一冊にまとめて収められています。読者は一編ごとに、依頼人がドアを叩き、ホームズが細部を観察し、現場を検分し、鮮やかに答えへたどり着く、その型のなかへ招き入れられます。
舞台も題材も一編ごとに切り替わるので、退屈する隙がありません。どの扉を開けても、名探偵の視線の高さから事件を眺める席が用意されている。
そういう安心感のある一冊です。
読みどころ
読みどころは、まず一編完結の濃さにあります。 依頼人の登場、観察と推論、現場検分、解決という流れが、短い枚数のなかできっちり一周する。
だから寝る前に一編、行き帰りの電車で一編、というスキマ読書がそのまま成立します。区切りのよさは、忙しい日々のなかで名探偵と付き合うのにちょうどいい。
同時に、巻を通して読むと別の味わいも立ち上がってきます。ホームズが何を経て戻ってきたのか、という背景が全体にじわりと効いてきて、独立した謎解きの連なりが、ひとつのシリーズの物語としても読めてくるのです。
一編ずつ切り離しても楽しめるのに、順に読むと縦の線が見えてくる。この二重の読み方ができるところが、連作短編集ならではの得です。
文体は短編集第一集『冒険』、第二集『思い出(回想)』と地続きで、初めてホームズに触れる人でも違和感なく入っていけます。すでに前二集を読んだ人にとっては、しばらく会えなかった相棒との再会そのものが、読みはじめの楽しみになるはずです。
短い区切りで名探偵ものを味わいたい人、暗号や恐喝や屋敷といった英国短編の代表的な意匠を一冊でまとめて楽しみたい人には、まっすぐ薦められる短編集です。一本の長い物語にじっくり沈み込みたい気分のときには、一編ごとに場面が切り替わる作りが少し慌ただしく感じられるかもしれません。
それでも、名探偵の帰還という一巻を貫く縦糸があるので、短編集にありがちな散漫さとは無縁です。
手に取るなら
いま手に取るなら、選択肢は豊富です。新潮文庫(延原謙訳『シャーロック・ホームズの帰還』)、創元推理文庫(深町眞理子訳『シャーロック・ホームズの復活』)、光文社文庫(日暮雅通訳)、角川文庫などが現役で、電子書籍もそろっています。
訳題は版によって「帰還」「生還」「復活」と分かれますが、指している作品集は同じです。各編が独立しているので、本書から入って気に入った訳者を選び、第一集『冒険』、第二集『思い出(回想)』へ遡っていくのも自然な読み方でしょう。
ホームズ短編をまとめて読みたい方に、第一集と並んで強く薦められる一冊です。