戦後昭和国内 1978
爆破予告の機を待つ刑事が、
美青年の奇妙な動きに気づく。
『亜愛一郎の狼狽』泡坂妻夫

書評

亜愛一郎の狼狽

おどおどした美青年カメラマンが、居合わせた場の観察だけで事件を解いてみせる連作8編。

亜愛一郎の狼狽 表紙画像
泡坂妻夫 KADOKAWA(角川文庫(電子版))1978年
目次

にわか雨の降る、ひとけの少ない宮前空港。宮前署の羽田刑事は、ずぶ濡れのまま二時間ほども、到着する旅客機を待ち続けています。

その機には、離陸の直前に何者かから爆破の予告が届いていました。待つ羽田の目に入ってくるのが、写真機のまわりを動き回る三人の男と、なかでも落ち着かない動きを見せる長身の美青年です。

『亜愛一郎の狼狽』は、その美青年、亜愛一郎を探偵役に据えた連作短編集です。身なりに隙がなく顔立ちも整っているのに、振る舞いはいつもおどおどしている青年です。

空港での一件を皮切りに、行く先々で出くわした事件をこの青年が解いていく連作で、『東西ミステリーベスト100』2012年版では国内16位に入りました。

物語の入り口

巻頭の一編は、空港から始まります。人けのない宮前空港。

驟雨のなか、ずぶ濡れで二時間も佇んでいる中年男。宮前署の羽田刑事です。

彼が待っているのは、まもなく到着する旅客機。その機は、離陸直前に、何者かから爆破を予告されていました。

刑事が濡れながら待つ理由は、それです。

ふと目を転じた羽田は、写真機のそばを動き回る三人の男に気づきます。中でも、長身の美青年の動きが、奇妙でした。

隙のない服装、端麗な顔立ち。それなのに、挙動は常におどおどして、落ち着きがない。

この美青年が、亜愛一郎です。雨の空港で濡れそぼつ刑事の目に、その落ち着きのなさがどう映ったのか。

巻頭の一編は、そこから動き出します。

亜愛一郎は、カメラマンです。ただし、人物写真は撮りません。

雲、魚、虫、化石。学術寄りの被写体を追いかけている男です。

事件を追いかける探偵ではなく、たまたま居合わせた場で、観察と推察から推理を組み上げる。頼りない立ち居振る舞いの下に、切れる頭を隠している。

ブラウン神父の系譜に連なる探偵役です。

読者は、この短編集で、亜愛一郎が居合わせる八つの場に立ち会うことになります。収録作は「DL2号機事件」「右腕山上空」「曲った部屋」「掌上の黄金仮面」「掘出された童話」「ホロボの神」など。

舞台も題材も、一編ごとに揃えられていません。毎回、素材を入れ替えている。

一貫しているのは、おどおどした美青年の、観察の手つきだけです。

読みどころ

読みどころは、おどおどと落ち着かない美青年が、居合わせた場の観察と推察だけで事件を解いてみせる姿にあります。 隙のない服装と端麗な顔立ちに、落ち着きのない挙動。

探偵役の造形からして、すでに可笑しい。その男が、雲や虫を撮る合間に居合わせた事件を、その場の観察だけで解いていく。

八編を通して、舞台も題材もばらばらなのに、その手つきだけが一貫している。小さな違和感ひとつから筋道を立ち上げる、その密度が最後の一編まで落ちません。

もうひとつは、出発点としての価値です。巻頭作がデビュー作で、そこから八編が続き、一冊になった。

探偵役の亜愛一郎は、この本で最初の姿を見せ、『亜愛一郎の転倒』『亜愛一郎の逃亡』へと歩みを続けます。『東西ミステリーベスト100』2012年版の国内16位は、刊行から三十年以上を経た時点での順位です。

雨の空港に立つ刑事の場面から始まるこの本が、三冊続く亜愛一郎シリーズの入り口になっています。

こんな人におすすめ

クセの強い名探偵を好む読者、短編で切れ味を味わいたい読者に向いています。一編ずつ区切って読めるので、一話読んでは間をおき、また次の場へ出かける、というつきあい方がよく合います。

泡坂妻夫をこれから読む人には、長編より先に、この短編集から入るのもひとつの道です。逆に、長編の重量感を求める気分のときには、八つの短い事件は少し軽く感じられるかもしれません。

軽いのは長さだけで、密度は濃い。

作品の背景

本書の巻頭に置かれた「DL2号機事件」が、第1回幻影城新人賞の佳作に選ばれたデビュー作です。以後、雑誌『幻影城』に1976年から1977年にかけて発表された8編をまとめ、1978年に単行本化されました。

亜愛一郎シリーズは『亜愛一郎の狼狽』『亜愛一郎の転倒』『亜愛一郎の逃亡』の3冊で、本書がその第1作。短編で切れ味を味わいたいときに開ける一冊です。

手に取るなら

現行版は角川文庫の電子版。亜愛一郎シリーズの第1作ですから、シリーズを順に読むならここから。

まずは巻頭の「DL2号機事件」から、驟雨の空港へ向かってください。ずぶ濡れの刑事と一緒に、長身の美青年の奇妙な動きを、眺めてみてください。

泡坂妻夫について

泡坂妻夫は1933年、東京・神田の生まれで、本名は厚川昌男です。筆名は本名のアナグラムになっています。

生家は着物に家紋を描き入れる紋章上絵師で、作家になってからも家業を続けました。奇術師としての顔も持ち、1969年には創作奇術をまとめた作品集で第2回石田天海賞を受けています。

1976年、短編「DL2号機事件」が第1回幻影城新人賞の佳作に入ってデビューしました。1978年に『乱れからくり』で第31回日本推理作家協会賞、1982年に『喜劇悲奇劇』で第9回角川小説賞を受けます。

のちには職人の世界を描く人情ものにも筆を広げ、1988年に『折鶴』で第16回泉鏡花文学賞、1990年に『蔭桔梗』で第103回直木賞を受けました。探偵役には亜愛一郎、曾我佳城、ヨギ ガンジーらがいます。

2009年に75歳で亡くなっています。

書誌情報

出版社
KADOKAWA / 角川文庫(電子版)
刊行年
1978
ISBN-13
9784041461044
系譜
戦後昭和国内 / 連作短編 · 名探偵もの
受賞歴

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この記事を書いた人

リットン

都内金融機関で経営企画とデータアナリストをしているアラサー。
文系の非エンジニアですが、独学で始めた Python と生成AIにすっかりはまりました。
プログラミング・サッカー・ミステリ紹介など、好きなことを好きに書いています。

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