現代国内 1997
恋した相手が死体になり、
自分が第一容疑者になる。
『メルカトルと美袋のための殺人』麻耶雄嵩

書評

メルカトルと美袋のための殺人

解決できない事件はないと言い切る銘探偵メルカトル鮎が、密室やアリバイの壁に挑む短編集。

目次

「解決できない事件など存在しない」。麻耶雄嵩『メルカトルと美袋のための殺人』の探偵は、そう豪語する人物です。

その隣で事件に巻き込まれ続けるのが、推理作家の美袋三条。探偵は豪語し、作家は巻き込まれる。

1997年に講談社ノベルスから出たこの作品集は、脱出不能の密室から関係者全員にアリバイのある不可能犯罪まで、謎の型を並べた一冊で、「本格ミステリ・ベスト10」1998年版の国内5位に入っています。

物語の入り口

語り手は推理作家の美袋三条です。ある一篇で、彼は知人の別荘で佑美子という女性に出会い、刹那的な恋に落ちます。

ところが彼女は間もなく死体で発見され、美袋は第一容疑者にされてしまう。恋をした相手を失い、そのうえ疑われる。

疑いを晴らす手立ては、自分にはない。語り手はいきなり、物語の中でいちばん気の毒な場所に立たされます。

そこで謎の前に立つのが、「解決できない事件など存在しない」と言い放ってはばからない名探偵、メルカトル鮎です。美袋は事件に巻き込まれやすい体質の持ち主で、この本はその体質のおかげで成り立っている、と言ってもよいくらいです。

推理作家である語り手が、探偵の隣で事件に立ち会う。豪語する探偵と、巻き込まれる作家。

二人の組み合わせは、シリーズがデビュー作から続けてきたものです。その枠組みが、全体を通して据えられています。

趣向の幅は広く、脱出不能な密室殺人から、関係者全員にアリバイが成立する不可能犯罪にまで及びます。密室とアリバイという、本格の二大定番を両端に置き——そのあいだに型の異なる謎が並びます。

密室ものは、閉じた空間から人がどう出入りしたかを問う。アリバイものは、その時刻にその場所にいなかったはずの人間を問う。

問いの立て方が違う以上、読み手の頭の使い方も一篇ごとに切り替わります。一篇の長さはそれぞれ短く、事件の提示から解決までを一息に読み切れる。

読者は美袋と同じ速度で状況を知り、同じ場所で探偵の言葉を待つことになります。一篇ごとに舞台も事件の質も変わるので、続けて読んでも同じ味は繰り返されません。

読みどころ

読みどころは、密室とアリバイという定番の型を一つの本に並べた、その振り幅にあります。 「解決できない事件など存在しない」という豪語は、裏を返せば、どんな型の謎にも同じ顔で向き合うということです。

脱出不能の密室と、全員にアリバイのある犯罪。作りの違う謎が並ぶなかで、探偵の流儀だけが一貫していることが、一篇ごとに異なる読み心地を生みます。

閉じた部屋を問うた同じ探偵が、次の篇では全員に揃ったアリバイの前に立つ。その切り替わりを、ページを繰るたびに味わえます。

もうひとつは、著者の出発点との関係です。デビュー作『翼ある闇』の題に名を掲げられた探偵メルカトル鮎が、本書では短い形で繰り返し登場します。

長い物語で一つの事件を追うのとは違い、短い篇の連なりでは探偵の癖や口調が何度も現れ、その人物像が積み重なっていく。本書はメルカトル鮎シリーズの4作目にあたり、1991年のデビューから6年目の刊行です。

短い篇を重ねる形で、探偵の姿が何度も読者の前に置かれます。

正統派の名探偵を期待して開くと、この探偵の癖の強さに面食らうかもしれません。ただ、手がかりの提示と回収を追う楽しみは、どの篇にも確かにあります。

その両方を短い篇で味わえるのが、この短編集の強みです。

作品の背景

本書は1997年6月に講談社ノベルスから刊行されました。麻耶雄嵩のデビューから6年目、282ページの新書判です。

メルカトル鮎シリーズでは4作目にあたり、この探偵を短い形で扱った短編集という位置にあります。講談社文庫を経て、現行は2011年8月刊の集英社文庫版で408ページ。

電子版もあり、初刊から30年近く経ったいまも入手に困りません。

手に取るなら

現在手に取るなら、2011年刊の集英社文庫版です。408ページ、電子版もあります。

メルカトル鮎に初めて会うなら、長い物語よりもこちらから入るほうが、探偵の癖の輪郭はつかみやすいはずです。ここで探偵の流儀に慣れておけば、デビュー作『翼ある闇 メルカトル鮎最後の事件』へ戻る楽しみも残ります。

麻耶雄嵩の作品の中では、探偵の癖を短い篇で確かめられる点で、最初の入口にも向いています。短い空き時間に、密室からアリバイへと一篇ずつ渡っていく——そういう読み方が似合う一冊です。

麻耶雄嵩について

麻耶雄嵩は1969年、三重県上野市(現在の伊賀市)の生まれです。京都大学工学部に学び、在学中は京大推理小説研究会に所属しました。

1991年、綾辻行人・法月綸太郎・島田荘司の推薦を受けて『翼ある闇 メルカトル鮎最後の事件』でデビューしています。

以後、メルカトル鮎、京都の名探偵木更津悠也、推理を使用人に任せる貴族探偵と、癖の強いシリーズ探偵を並行して書き継ぎ、名探偵という存在そのものを問い直す本格を発表してきました。2011年に『隻眼の少女』で第64回日本推理作家協会賞と第11回本格ミステリ大賞を受け、2015年には『さよなら神様』で2度目の本格ミステリ大賞を受けています。

『貴族探偵』は2017年にテレビドラマにもなりました。

書誌情報

出版社
集英社
刊行年
1997
ISBN-13
9784087467345
系譜
現代国内 / シリーズ探偵物 · 連作短編
受賞歴

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この記事を書いた人

リットン

都内金融機関で経営企画とデータアナリストをしているアラサー。
文系の非エンジニアですが、独学で始めた Python と生成AIにすっかりはまりました。
プログラミング・サッカー・ミステリ紹介など、好きなことを好きに書いています。

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