怪事件が止まらない。
黄金の灰
1873年のトロイア発掘現場を舞台に、史実と謎解きを噛み合わせたデビュー長編。
1873年、オスマン・トルコの辺境にあるヒッサルリクの丘。伝説の都市トロイアが、たしかにこの地に実在した——そのことを証明する莫大な黄金が、ここで発見されます。
今から百五十年あまり前、異国の丘で起きたことです。柳広司『黄金の灰』は、この年、この場所を舞台に据えた本格ミステリです。
発見をきっかけに、シュリーマン夫妻の周囲では不可解な事件が続発していきます。歴史の一場面から謎を立ち上げた、著者のデビュー作です。
物語の入り口
舞台は1873年、オスマン・トルコの辺境です。十九世紀も後半に入った年の、ヒッサルリクの丘と呼ばれる土地。
伝説の都市トロイアが、かつてここに実在した。そのことを証明する莫大な黄金を、シュリーマンが見つけ出します。
伝説のなかで語られてきた都市が、手に取れる証拠によって、地図の上の一点と結びつく。その黄金が意味するのは、そういうことです。
ところが、この発見をきっかけに、シュリーマン夫妻の周囲で不可解な事件が続発します。黄金を見つけた当人と、その夫人。
二人のまわりで、説明のつかない出来事が一度きりでは終わらずに重なっていく。物語が描き出すのは、混沌として張りつめた世界です。
その世界で繰り広げられるのが、推理合戦です。合戦という言葉が示すとおり、謎に向けられる推理は一つきりではありません。
いくつもの見立てが持ち出され、互いにぶつかり合っていく。一つの推理を一直線にたどっていく謎解きとは、組み立ての重心が違います。
読む側の手もとにあるのは、史実に残る年と場所、そして夫妻の周囲で続く事件です。遠い時代の、遠い土地の話です。
それでも、そこで問われるのは、説明のつかない事態にどう筋道をつけるかという、本格ミステリの問いにほかなりません。歴史の舞台装置と謎解きの論理が、一つの物語のなかで組み合わされています。
1873年、ヒッサルリクの丘で見つかった、トロイアの実在を証明する黄金。その発見を境に、夫妻の周囲で不可解な事件が続きはじめる。
物語は、そこから動きだします。
読みどころ
読みどころは、1873年の発見という史実を、そのまま謎解きの起点に据えた組み立てです。
舞台となる年と土地、そして黄金を見つけた人物は、いずれも歴史のなかから取られています。実在の人物の名前と実在の地名が、本格ミステリの紙面にそのまま置かれている。
史実を背景に退かせるのではなく、その出来事そのものを事件の引き金にしているところに、この作家の最初の選択が表れています。最初の作品の時点で、過去の時代に謎を置く書き方は、すでに選び取られていました。
もう一つは、推理合戦という形です。続発する事件を前に、推理が一つに絞られるのではなく、筋道の違う見立てがいくつも並び立つ。
どの見立てが退けられ、どれが最後まで残るのか——その行方を見届けていく過程に、本格ミステリとしての読みごたえがあります。混沌と緊迫に満ちた世界のなかで、足場になるのは推理の筋道だけです。
並んだ見立てを見比べながら頁を進めていく楽しみは、合戦という形式ならではのものでしょう。
一方、トロイアそのものや考古学を学ぶ目的で手に取ると、期待とは違った読書になります。年代や土地は物語の土台として置かれ、頁の中心を占めているのは謎と推理です。
こんな人におすすめ
歴史上の出来事や実在の人物を題材にしたミステリが好きな人に向いています。いくつもの解釈がぶつかり合う本格を好む人にも。
文庫で392ページあり、腰を据えて謎と向き合える分量です。十九世紀の異国で起きる謎解きを探している人には、真っ先に挙げたい候補です。
反対に、現代の日本で起きる身近な事件を読みたい気分のときには、別の本のほうが合うはずです。
作品の背景
『黄金の灰』は、2001年3月に原書房から刊行されました。これが柳広司の小説家としてのデビュー作にあたります。
デビューと同じ2001年には『饗宴 ソクラテス最後の事件』も発表しており、この年だけで二作が世に出ています。さらに翌年に『はじまりの島』、その次の年に『新世界』と刊行を重ねていきます。
歴史のなかに謎解きを置く路線を、年をまたいで途切れさせずに続けた格好です。
手に取るなら
文庫で手に取るなら、創元推理文庫版です。2001年3月の原書房版から五年あまりを経て、2006年11月30日に初版が出ました。
392ページで、解説は巽昌章、装画はいまい鞠が手がけています。刊行順に読んでいくなら、ここが最初の一冊です。
そこから同じ時期の作品へ進めば、デビューの年から続いた路線を、書かれた順にたどっていけます。1873年のヒッサルリクの丘から、柳広司という作家の歩みは始まっています。
柳広司について
柳広司は1967年、三重県に生まれました。神戸大学法学部を卒業し、1998年に「挙匪(ボクサーズ)」で第4回歴史群像大賞の佳作に入ったのち、2001年に原書房から出た『黄金の灰』で小説家になります。
同じ年には『贋作『坊っちゃん』殺人事件』で第12回朝日新人文学賞を受けました。
初期の仕事の軸は、実在の人物や名作を借りて謎解きを組むことでした。シュリーマン、ソクラテス、マルコ・ポーロ、夏目漱石、シートンといった人々が、探偵役や事件の当事者として作中に呼びこまれます。
2008年の『ジョーカー・ゲーム』は陸軍のスパイ養成機関「D機関」を描いた連作で、翌年に第30回吉川英治文学新人賞と第62回日本推理作家協会賞をそろって受け、以後シリーズとして書き継がれました。歴史の枠組みに架空の事件を差し込む手つきは、スパイ小説に移ってからも変わっていません。
書誌情報
柳広司をもっと読む
全作品一覧へ →似た読み味を、他の作家で
気分タグ・系譜の重なりから自動抽出。★は管理人が実読して太鼓判を押した本