ダーウィンは上陸した。
はじまりの島
ガラパゴス諸島に上陸したダーウィンが、逃げ場のない島で起きた惨劇の謎に挑む長編。
外から助けが来ない、という点では、嵐の山荘も絶海の孤島も同じです。違うのは、この島が実在し、上陸した一行のなかに若き日のダーウィンがいたことでした。
1835年、ガラパゴス諸島。奇怪な生物ばかりが暮らすことから「悪魔の島」と呼ばれる土地に、英国船ビーグル号の乗員11名が上陸します。
柳広司『はじまりの島』は、のちに「進化論」を世に問うダーウィンを探偵役に据えた、孤島の長編です。
物語の入り口
1835年。太平洋のただなかに浮かぶガラパゴス諸島に、英国船ビーグル号がたどり着きます。
上陸したのは乗員11名。島には、ほかのどこにもいない奇怪な生き物ばかりが暮らしていて、「悪魔の島」と呼ばれていました。
一行のなかに、若い博物学者がいます。ダーウィン。
のちに『種の起源』を書き、「進化論」を唱えることになる人物です。この時点の彼は、まだその結論にたどり着いていません。
ただ、目の前の生き物を見て、違いを数え、記録している。
ダーウィンたちは、調査のため島に滞在することを決めます。ところが、その島には殺人鬼が潜んでいるという話が伝わっていました。
そして上陸の直後、白骨死体が見つかります。翌朝には、宣教師が絞殺体で発見される。
犯人は、島に潜むという殺人鬼なのか。
外から助けは来ません。島にいるのは、上陸した11人と、いるかどうかもわからない殺人鬼だけ。
手を下したのは仲間の誰かなのか、それとも島に潜む何者かなのか。この二択は、答えを与えられないまま宙に残ります。
読者が腰を下ろすのは、ダーウィンのすぐ隣です。島の生き物を見つめていた博物学者の目が、人の死へ向けられる。
観察し、分類し、説明を立て、それが別の事実と食い違わないか確かめる。その手つきを、読者は事件の側から見ることになります。
のちに進化論を唱える博物学者が、まだ若い顔で、閉ざされた島の惨劇に向き合う。孤島ものの息苦しさと、博物学の静けさとが、同じ朝の空気のなかに並びます。
読みどころ
読みどころは、孤島ものの構図と博物学の厚みが、一人の頭のなかで同居するところにあります。
疑いの向かう先が定まらない、というのが孤島ものの常ですが、本作ではそこに「島の殺人鬼」という外側の影が加わります。11人の誰かなのか、外の何者かなのか。
その二択が宙づりのまま進むので、容疑の輪が縮まりません。しかも一つ目の死体は上陸直後の白骨で、二つ目は翌朝の絞殺体です。
時間の隔たった二つの死が同じ島に並ぶため、疑いは島の過去と一行の現在の両方へ伸びていきます。しかも探偵役の関心は、事件が起きる前からずっと島の生き物に向いている。
調査と捜査が同じ頭のなかで並走する感じは、この設定でなければ出せないものです。生き物を見る目と人を見る目が、ひとりの若者のなかで切り替わらずに続いている。
そこに本作の独自の手ざわりがあります。
もうひとつは、実在の航海を土台にしている点です。1835年、ビーグル号の一行が上陸したガラパゴスという一点に、孤島で起きる事件の見取り図を重ねています。
刊行の翌年には本格ミステリ・ベスト10で12位に入り、その後の20年のあいだに2度、別の文庫へ移りました。
謎解きの速さや、閉ざされた館の華やかな道具立てを期待して開くと、島の生き物の記述が悠長に映るかもしれません。けれども、その観察こそがこの探偵の武器であり、本作の呼吸そのものです。
ダーウィンという名前を知っている程度の予備知識で、十分に楽しめます。『種の起源』を読んでいる必要はありません。
作品の背景
本作は、実在の人物をそのまま探偵の席に座らせ、記録の空白に事件を差し込むという柳広司の方法を、デビューの翌年という早い時期に試した一冊です。刊行は2002年7月、朝日新聞社から。
本格ミステリ・ベスト10の2003年版で12位に入りました。2006年9月に創元推理文庫へ移り、2022年10月には幻冬舎文庫に収められています。
手に取るなら
現行版は幻冬舎文庫、400ページ。2002年の単行本、2006年の創元推理文庫を経て、2022年に三つ目の居場所を得た形で、いま手に取るならこの幻冬舎文庫版です。
柳広司の、実在の人物を探偵役にした一連の作品のなかでは、デビュー翌年の早い時期のものにあたります。『黄金の灰』から順に読む必要はなく、ここから入っても差し支えありません。
ビーグル号が島に着くところから、あとは一行と一緒に足を運べば十分です。悪魔の島に降り立つ11人の、12人目になってみてください。
柳広司について
柳広司は1967年、三重県に生まれました。神戸大学法学部を卒業し、1998年に「挙匪(ボクサーズ)」で第4回歴史群像大賞の佳作に入ったのち、2001年に原書房から出た『黄金の灰』で小説家になります。
同じ年には『贋作『坊っちゃん』殺人事件』で第12回朝日新人文学賞を受けました。
初期の仕事の軸は、実在の人物や名作を借りて謎解きを組むことでした。シュリーマン、ソクラテス、マルコ・ポーロ、夏目漱石、シートンといった人々が、探偵役や事件の当事者として作中に呼びこまれます。
2008年の『ジョーカー・ゲーム』は陸軍のスパイ養成機関「D機関」を描いた連作で、翌年に第30回吉川英治文学新人賞と第62回日本推理作家協会賞をそろって受け、以後シリーズとして書き継がれました。歴史の枠組みに架空の事件を差し込む手つきは、スパイ小説に移ってからも変わっていません。
書誌情報
柳広司をもっと読む
全作品一覧へ →似た読み味を、他の作家で
気分タグ・系譜の重なりから自動抽出。★は管理人が実読して太鼓判を押した本