現代国内 2015
真相を突き止めたあと、
書くかどうかを迫られる。
『真実の10メートル手前』米澤穂信

書評

真実の10メートル手前

太刀洗万智の冷徹な観察眼が、ジャーナリズムの倫理を問う6編連作短編集。直木賞候補。

真実の10メートル手前 表紙画像
米澤穂信 東京創元社(創元推理文庫)2015年
目次

取材の現場で、記者は何を見て、何を書かずにおくのか。『真実の10メートル手前』は、米澤穂信が2015年に発表した連作短編集。

『王とサーカス』と同じフリージャーナリスト・太刀洗万智を主人公に、全6編がそれぞれ独立した事件を扱いながら、報道という営みの倫理を通奏低音として響かせます。謎が解けたところで終わらず、それをどう報じるかという問いまで読者の手元に残していく6編です。

第155回直木賞の候補にも挙がりました。

物語の入り口

収録作は表題作「真実の10メートル手前」をはじめ、「正義漢」「恋累心中」「名を刻む死」「ナイフを失われた思い出の中に」「綱渡りの成功例」の全6編。なかでも印象の強い一編が「恋累心中」です。

高校生の心中事件。二人が死んだ場所の名をとって、それは恋累心中と呼ばれました。

週刊深層編集部の都留は、フリージャーナリストの太刀洗と合流して取材を開始します。ところが取材を進めるうちに、都留は徐々に、事件の有り様に違和感を覚え始める。

太刀洗はいったい何を考えているのか。同業者の目から見ても測りがたい彼女の思考が、この一編の芯にあります。

ほかの収録作にも、少しだけ触れておきます。「名を刻む死」は、2011年に雑誌『ミステリーズ!』に載った一編です。

「綱渡りの成功例」は、土砂崩れの現場から救出された老夫婦との会話を通して、太刀洗のジャーナリストとしての姿勢を描く一編です。事件の大小はさまざまでも、そこに立つ太刀洗の構えは変わりません。

冷静沈着で観察眼に長け、しかし当事者に対しては常に一歩引いた距離を保つ。その距離の取り方が、各編の推理に独特の緊張感を与えています。

読者は、太刀洗を横から眺める同業者や関係者の位置に立たされます。彼女が何を見て、何を訊き、何を書こうとしているのか。

それが見えそうで見えないまま、事件のほうが先に形を変えていく。一編ごとに舞台も人物も入れ替わりますが、この「測りがたさ」だけは6編を通じて一貫していて、読み進めるほどに太刀洗という人物の輪郭が濃くなっていきます。

読みどころ

短編集としての魅力は、限られた紙数のなかで組み立てられる論理の確かさにあります。 本格短編として水準の高い達成であることは、年末の各種ランキングで上位に並んだ評価が示すとおりです。

同時に、解き明かされた真実をどう報じるか、あるいは報じないかという問いが、各話の余韻として残る。純粋な謎解きの快感に、倫理的な後味が伴う。

この二重の読み心地が、本作を単なる短編集以上のものにしています。一編を読み終えるたびに、自分ならどう書くだろうか、と考えてしまう。

記事にする側の迷いを、読む側にもそのまま手渡してくる短編集です。

もうひとつは、シリーズのなかでの形です。長編『王とサーカス』と同じ太刀洗を、こちらは六つの小さな窓から描きます。

一編ごとに彼女の隣に立つ人物が替わり、職業人としての横顔が多角的に切り出されていく。併読することで、太刀洗万智という人物像と作者のジャーナリズム観が、より立体的に浮かび上がってきます。

こんな人におすすめ

一話ずつ区切って読める本格短編を探している人、報道や記録という行為を扱うミステリを好む人に向いています。『王とサーカス』を読んで太刀洗という人物に惹かれた読者には、迷わず薦められます。

逆に、明るく軽やかな読後感を求める気分のときには、各編に残る苦い余韻は少し重く感じられるかもしれません。一日一編、間を置いて読むのに向いた本です。

作品の背景

本書は2015年、東京創元社から刊行され、のちに創元推理文庫に入りました。第155回直木賞の候補に挙がったほか、「ミステリが読みたい!」2017年版国内編で第1位、「週刊文春ミステリーベスト10」2016年版国内部門で第2位、「このミステリーがすごい!」2017年版国内編で第3位。

『さよなら妖精』『王とサーカス』に連なる「ベルーフ」シリーズの、第二の核となる一冊です。文庫版の解説は宇田川拓也が書いています。

手に取るなら

現行版は創元推理文庫。Audible版もあります。

『王とサーカス』を先に読んでおくと太刀洗の立ち位置がつかみやすくなりますが、本書から入っても各編は独立して読めます。短い一編から、この作家の現在地を確かめるのにもちょうどいい本です。

心中事件を追う「恋累心中」から、土砂崩れの現場で老夫婦と向き合う「綱渡りの成功例」まで、太刀洗の取材に一編ずつ付き添ってみてください。

米澤穂信について

米澤穂信は1978年、岐阜県の生まれです。金沢大学文学部の在学中からウェブサイトで小説を発表しており、大学時代に北村薫の『空飛ぶ馬』『六の宮の姫君』を読んで衝撃を受け、ミステリへ進む道を定めたといいます。

卒業後は書店で働きながら書き続け、2001年に『氷菓』で第5回角川学園小説大賞ヤングミステリー&ホラー部門奨励賞を受けてデビューしました。

高校生の身の回りの謎を扱う〈古典部〉〈小市民〉の両シリーズを書き継ぐ一方、大人の読者に向けた長編や短編集へも領域を広げてきました。2011年に『折れた竜骨』で第64回日本推理作家協会賞、2014年に『満願』で第27回山本周五郎賞を受け、2021年刊の『黒牢城』では第12回山田風太郎賞に続いて第166回直木三十五賞と第22回本格ミステリ大賞を受けています。

2025年には〈小市民〉シリーズで第10回吉川英治文庫賞を受けました。

書誌情報

出版社
東京創元社 / 創元推理文庫
刊行年
2015
系譜
現代国内 / 連作短編

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リットン

都内金融機関で経営企画とデータアナリストをしているアラサー。
文系の非エンジニアですが、独学で始めた Python と生成AIにすっかりはまりました。
プログラミング・サッカー・ミステリ紹介など、好きなことを好きに書いています。

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