逃げるか、解くか。
紅蓮館の殺人
火の手が迫る館で、脱出を急ぐか謎を解くかを迫られる〈館四重奏〉の開幕作
全焼まで、残り35時間。館に山火事が迫っています。
阿津川辰海『紅蓮館の殺人』は、燃え落ちるまでの時間を刻みながら進む長編です。山中に隠棲した文豪に会うため、高校の合宿を抜け出した「僕」と友人の葛城は、落雷による山火事に遭遇しました。
救助を待つうち、館に住むつばさと仲良くなります。だが翌朝、吊り天井で圧死した彼女が発見されました。
これは事故か、殺人か。葛城は真相を推理しようとしますが、住人や他の避難者は、脱出を優先するべきだと言います。
生き延びるのが先か、真実を知るのが先か。〈館四重奏〉の開幕作として2019年に講談社タイガから刊行され、本格ミステリ・ベスト10の2020年版で国内3位、「このミステリーがすごい!」で6位、「ミステリが読みたい!」で5位に入りました。
物語の入り口
〈館四重奏〉は、館を閉ざす自然の猛威が一作ごとに変わる連作です。この作品は山火事、2021年2月の『蒼海館の殺人』は洪水、2024年2月の『黄土館の殺人』は土砂崩れ。
「僕」と友人の葛城は、高校の合宿を抜け出しました。目当ては、山中に隠棲した文豪に会うことです。
ところが、落雷による山火事に遭遇します。逃げ込んだ先が、館でした。
文豪に会いに来たはずの高校生が、一転して救助を待つ身になります。救助を待つうち、館に住むつばさと仲良くなります。
火に囲まれた場所で、束の間の交流が生まれる。しかし翌朝、つばさは吊り天井で圧死しているところを発見されました。
これは事故か、殺人か。葛城は、真相を推理しようとします。
けれども、住人や他の避難者は言います。今は脱出を優先するべきだ、と。
館は絡繰だらけで、山火事は迫っている。全焼まで、残り35時間。
その数字が、推理にも脱出にも、同じ重さでのしかかります。各章の頭には、館消失までの残り時間が刻まれています。
推理を急げば脱出が遅れ、脱出を急げば真相が遠のく。どちらを取っても、何かを手放すことになります。
語り手の「僕」は、考えることをやめようとしない友人のすぐ隣で、減っていく残り時間を数えることになります。読み手もまた、章の頭の数字に急かされながら、その隣を歩きます。
読みどころ
この作品の読みどころは、推理に費やす時間が、そのまま誰かの生存確率を削りかねない状況に置かれた探偵の姿にあります。 探偵小説の探偵は、ふつう、考える時間を持っています。
ここでは、持っていません。一時間考えれば、脱出のための一時間が減る。
それでも葛城は、考えることを選ぼうとする。生存と真実のどちらを取るのか。
その問いは、探偵に向けられると同時に、なぜ考えるのかという問いでもあります。考えることを選ぶ人間は、何者なのか。
火が迫るなかで、その問いに答えようとする高校生が、ここにいます。
もうひとつは、時間の刻み方です。各章の頭に、残り時間が記されています。
読み手は、頁をめくるたびに、残りが減っていくのを見る。この構図は、エラリー・クイーンが1933年に発表した『シャム双子の謎』と重なります。
山火事に追われながら謎解きに向き合う。その先行作に目配りしながら、館という舞台には綾辻行人『十角館の殺人』以来の系譜が背負わされています。
古典の道具立てを二つ重ねて、若い書き手が自分の作品にしています。
そして、高校生ふたりの物語でもあります。「僕」と葛城の関係は、この一夜のあいだに変わっていきます。
館ものの謎解きと、青春小説の読み味が、同じ太さで走る。〈館四重奏〉と名づけられた連作は、この二本の線を四作かけて引いていくことになります。
作品の背景
『紅蓮館の殺人』は2019年9月20日に刊行された、〈館四重奏〉の第1作です。阿津川辰海の長編としては、『名探偵は嘘をつかない』『星詠師の記憶』に続く3作目にあたります。
年末のランキングでは、本格ミステリ・ベスト10の2020年版で国内3位、「ミステリが読みたい!」の2020年版で国内5位、「このミステリーがすごい!」の2020年版で国内6位に入りました。第20回本格ミステリ大賞でも、小説部門の候補に挙がっています。
手に取るなら
講談社タイガで448ページです。館ものが好きな人、期限つきの謎解きに緊張を求める人、若い探偵と助手の関係を追いたい人に。
〈館四重奏〉を読むなら、この一冊が最初です。青春小説として読んでも、探偵小説として読んでも、どちらの読み方にも応えます。
全焼まで、残り35時間。その時計が動き出したところから、葛城と一緒に考えるか、逃げるかを決めてください。
阿津川辰海について
阿津川辰海は1994年、東京都に生まれました。東京大学法学部に在学中は文芸サークル「新月お茶の会」に所属し、光文社の新人発掘企画〈カッパ・ツー〉の第一期に選ばれて、2017年に『名探偵は嘘をつかない』でデビューしています。
『紅蓮館の殺人』に始まる〈館四重奏〉や、短編集『透明人間は密室に潜む』『入れ子細工の夜』など、特殊な設定や極限の状況を持ち込み、その上で論理を組み立てる本格ミステリを書き継いできました。『透明人間は密室に潜む』は『本格ミステリ・ベスト10』2021年版で国内1位となり、2023年には『阿津川辰海 読書日記 かくしてミステリー作家は語る〈新鋭奮闘編〉』で第23回本格ミステリ大賞の評論・研究部門を受けています。
書誌情報
阿津川辰海をもっと読む
全作品一覧へ →似た読み味を、他の作家で
気分タグ・系譜の重なりから自動抽出。★は管理人が実読して太鼓判を押した本