カメラではなく水晶に。
星詠師の記憶
紫水晶に記録された未来の映像を前に、刑事が推理を組み立てる。論理の総力戦です。
その土地で採れる紫水晶を、星詠師と呼ばれる者が抱いて眠ると、まだ起きていない出来事の映像が水晶に残る。阿津川辰海『星詠師の記憶』は、この約束事の上に建てられた物語です。
被疑者を射殺してしまい、一週間の自主謹慎に入った刑事の獅堂は、故郷の村を訪れています。そこへ突然、学ランの少年・香島が救いを求めてきました。
彼の慕う人物が、殺人事件の犯人として容疑をかけられている、と。殺人の一部始終が記録されている証拠の映像は、紫水晶の中にある。
自分たちはその水晶を研究している〈星詠会〉の研究員だ。少年はそう語ります。
未来の映像が、証拠として存在する世界。そこで刑事は、何を根拠に推理すればよいのか。
2018年に光文社から刊行され、本格ミステリ・ベスト10の2019年版で国内6位に入りました。
物語の入り口
刑事の獅堂は、被疑者を射殺してしまいました。一週間の自主謹慎に入り、故郷の村を訪れています。
刑事として動けない時間を、故郷で過ごす。事件から離れるはずの一週間に、事件のほうから彼を訪ねてきます。
そこへ、学ランの少年が現れます。香島。
彼が慕う人物が、殺人事件の犯人として容疑をかけられている。助けてほしい、と少年は言います。
謹慎中の刑事に、少年が頼る——その組み合わせが、まず目を引きます。
証拠は、映像です。殺人の一部始終が記録されている。
ただし、その映像があるのは、紫水晶の中です。香島たちは、その水晶を研究する〈星詠会〉の研究員だと名乗ります。
この土地で採れる紫水晶を、星詠師と呼ばれる者が抱いて眠ると、まだ起きていない出来事の映像が水晶に残る。それが、この土地の約束事です。
つまり、殺人が起きる前に、殺人の映像が存在していた。未来の記録が、証拠として提出されている。
しかも、その水晶を研究する会があり、学ランの少年がその研究員を名乗っています。水晶の映像は、この土地では言い伝えの類ではなく、研究の対象として扱われているわけです。
被疑者を撃ってしまった刑事のもとに、容疑をかけられた者を救ってほしいという頼みが届く。読者は、動けないはずの一週間を過ごす刑事の傍らに座らされ、少年の訴えと、水晶に残った映像という奇妙な証拠を、刑事と同じ順で受け取っていきます。
読みどころ
この長編の読みどころは、未来の映像という証拠を前にして、刑事の推理がどう成り立つのかという問いにあります。 ふつうの探偵小説では、証拠は過去に属します。
指紋も、足跡も、証言も、すでに起きたことの痕跡です。ここでは、証拠が未来に属している。
まだ起きていない出来事が、映像として記録されている。その映像は、証拠として信じてよいのか。
信じるとしたら、推理の余地はどこにあるのか。獅堂は、この問いに正面からぶつかります。
刑事の経験が通用する部分と、通用しない部分がある。その境目を見きわめることが、まず最初の仕事になります。
もうひとつは、設定を最後まで律儀に守り通す作りです。特殊な約束事を置いた探偵小説は、約束事を都合よく曲げた瞬間に信用を失います。
この作品は、曲げません。紫水晶に未来が残るという一点を、そのまま論理の材料として使い切る。
記録された映像を疑うときも信じるときも、獅堂の推理は同じ規則の内側で進みます。
論理の総力戦、という言葉が似合う長編です。設定が一つ増えるだけで、推理の手続きは何倍にも複雑になる。
その複雑さを、刑事と一緒に一つずつほどいていく。ほどき終えたとき、この約束事がなぜ必要だったのかが、わかります。
設定のための設定ではなく、この問いを立てるためにこの設定があった、と納得できる作りです。
作品の背景
『星詠師の記憶』は、2017年に『名探偵は嘘をつかない』でデビューした阿津川辰海が、その翌年に出した二作目です。特殊な設定を置き、その設定の中で論理を組み立てる。
デビュー2作目のこの作品で、その作法がはっきりと形になりました。
単行本は2018年10月30日に光文社から出て、332ページ。2021年10月20日に光文社文庫に入り、464ページになりました。
電子版もあります。本格ミステリ・ベスト10の2019年版で国内6位です。
デビュー作の翌年に、この順位に入りました。
手に取るなら
光文社文庫で464ページ、電子版もあります。特殊設定の探偵小説が好きな人、設定と論理の両方を求める人、デビュー2作目の若い書き手の勢いを知りたい人に。
阿津川辰海を読むなら、この作品から入るのも順当です。以後の作品で繰り返される作法が、ここにはっきりと見えます。
紫水晶に残された、まだ起きていない殺人の映像——それを証拠と呼んでよいのかどうか、獅堂と一緒に考えることになります。
阿津川辰海について
阿津川辰海は1994年、東京都に生まれました。東京大学法学部に在学中は文芸サークル「新月お茶の会」に所属し、光文社の新人発掘企画〈カッパ・ツー〉の第一期に選ばれて、2017年に『名探偵は嘘をつかない』でデビューしています。
『紅蓮館の殺人』に始まる〈館四重奏〉や、短編集『透明人間は密室に潜む』『入れ子細工の夜』など、特殊な設定や極限の状況を持ち込み、その上で論理を組み立てる本格ミステリを書き継いできました。『透明人間は密室に潜む』は『本格ミステリ・ベスト10』2021年版で国内1位となり、2023年には『阿津川辰海 読書日記 かくしてミステリー作家は語る〈新鋭奮闘編〉』で第23回本格ミステリ大賞の評論・研究部門を受けています。
書誌情報
阿津川辰海をもっと読む
全作品一覧へ →似た読み味を、他の作家で
気分タグ・系譜の重なりから自動抽出。★は管理人が実読して太鼓判を押した本