主人公は沖縄そのものだ。
南風に乗る
本土から切り離された戦後沖縄を、三人の実在の人物の視点から描いた歴史長編。
『南風に乗る』と書いて「まぜにのる」と読みます。南から吹いてくる風の名です。
戦後しばらくのあいだ、この国は二つに分かれていました。本土から切り離され、米軍の支配下に置かれた沖縄。
柳広司のこの歴史小説は、特定の誰かではなく、その島そのものを主人公に据えた作品です。単行本は2023年3月に小学館から、文庫は2025年5月に小学館文庫から出ました。
物語の入り口
物語は、三人の実在の人物の視点を通して進みます。一人は詩人の山之口貘。
遠く離れた故郷の沖縄に思いを馳せながら、本土で詩を書いていた人です。一人は「アメリカが最も恐れた男」と呼ばれた不屈の政治家、瀬長亀次郎。
島のなかで、正面から闘った人です。そしてもう一人が、戦後の東京で私費を投じ、米軍支配の続く沖縄との連帯の道を模索した中野好夫。
海の向こうから手を伸ばした人です。
詩を書く人、選挙と演説で闘う人、本土から連帯を探る人。三人の立っている場所は、それぞれ違います。
島のなか、本土、そのあいだ。同じ「沖縄」を見ていても、見えている景色は同じではありません。
詩人は言葉で、政治家は演説と選挙で、学者は本土からの働きかけで、それぞれの闘いをします。闘いという言葉の意味も、三人で三通りです。
この作品は、その三つの場所を行き来しながら、本土復帰までの「時代」と「闘い」を描いていきます。
作中には、バクさんの詩が好きだ、と誰かが口にする一行があります。バクさんは、三人のうちの一人、山之口貘のことです。
詩人の詩が、誰かの口で、そう語られる。そこに、この本の温度があります。
演説や政治の言葉が行き交う物語のなかに、そういう素朴な声がひとつ置かれています。三人の立つ場所はばらばらでも、想いの向かう先は、同じ一つの島です。
読みどころ
この本の面白さは、大きな歴史を、三人の言葉の粒から組み立て直しているところにあります。 謎解きの興味を中心に据えた作品ではありません。
犯人も密室も出てきません。それでも、なぜそうなったのかを史実と人物の言葉から組み上げていく筋道は、動機をひとつずつ潰していく推理の運びとよく似ています。
感情で押し切る書き方をしていないので、読む側も落ち着いて、一つずつ確かめながら進めます。沖縄という題材は、書き方を誤ると、主張だけが前に出てしまいます。
この作品は、人物の言葉を先に置き、主張はその後ろに控えさせています。
教科書に並ぶ「本土復帰」という四文字は、結果だけを伝えて過程を消してしまいます。この長編がしているのは、その四文字をもう一度ほどいて、誰がどんな言葉を選び、どこで折れ、どこで折れなかったのかを並べ直す作業です。
詩の言葉、演説の言葉、海の向こうから手を伸ばす人の言葉。三種類の言葉が、それぞれの重さで置かれています。
どの言葉も、書き手が勝手に作ったものではなく、史実に残された言葉の輪郭をなぞっています。その手つきは、記録から人物を組み立ててきたこの作家の、いつもの方法です。
本土で遠い故郷を思う人、島のなかで声を上げる人、東京から手を伸ばす人。同じ時代を生きていても、立っている場所が違えば、見えるものが違う。
三人の視点を行き来しながら頁を繰るうちに、当時の本土と沖縄のあいだに横たわっていた海の広さが、読む側にも少しずつ実感されてきます。
作品の背景
近年の柳広司は、実在の人物を主役に据えた歴史小説を書き継いでいます。史実の隙間に人物の呼吸を通す。
残された言葉から、その言葉を書いた人の内側を組み立てる。デビュー以来、歴史上の人物を探偵役にしてきた作家の方法が、いまは謎解きの外で使われています。
この作品もその系列にあります。単行本は四六判410ページ。
文庫版の解説は憲法学者の木村草太です。憲法学者が解説を書くという事実が、この小説の性格をよく言い当てています。
物語の背後に、この国の統治の形そのものが横たわっているからです。
手に取るなら
現行版は小学館文庫、528ページ。厚い本ですが、三人の視点を行き来する構成なので、一人ぶんずつ区切って読めます。
電子書籍は Kindle で読め、Audible の朗読でも聴けます。木村草太の解説は、読み終えてから開いたほうがいい。
本文で組み立てられたものを、憲法学者の言葉で別の角度から見直すことになります。『ジョーカー・ゲーム』の切れ味を求めて開くと戸惑いますが、同じ作家が史実と人物の言葉だけで何を組み上げたのかを見届ける本です。
まず、バクさんの詩の話が出てくるところまで、読んでみてください。
柳広司について
柳広司は1967年、三重県に生まれました。神戸大学法学部を卒業し、1998年に「挙匪(ボクサーズ)」で第4回歴史群像大賞の佳作に入ったのち、2001年に原書房から出た『黄金の灰』で小説家になります。
同じ年には『贋作『坊っちゃん』殺人事件』で第12回朝日新人文学賞を受けました。
初期の仕事の軸は、実在の人物や名作を借りて謎解きを組むことでした。シュリーマン、ソクラテス、マルコ・ポーロ、夏目漱石、シートンといった人々が、探偵役や事件の当事者として作中に呼びこまれます。
2008年の『ジョーカー・ゲーム』は陸軍のスパイ養成機関「D機関」を描いた連作で、翌年に第30回吉川英治文学新人賞と第62回日本推理作家協会賞をそろって受け、以後シリーズとして書き継がれました。歴史の枠組みに架空の事件を差し込む手つきは、スパイ小説に移ってからも変わっていません。
書誌情報
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