殺しの約束が進んでいた。
交換殺人には向かない夜
潜入調査、山荘への訪問、刑事の捜査と、それぞれの行き先が気になる一冊です。
私立探偵は、不倫調査のため使用人を装って山奥の邸に潜入する。探偵の弟子は、ガールフレンドに誘われて彼女の友人の山荘を訪れる。
刑事たちは、寂れた商店街で起こった女性の刺殺事件を捜査する。東川篤哉『交換殺人には向かない夜』は、この三つの出発点から始まる烏賊川市シリーズの第4作です。
無関係に見えるそれぞれの出来事の背後で、交換殺人が密やかに進んでいます。全編に笑いをちりばめながら、本格推理の骨格は最後まで崩れません。
2005年の刊行で、「本格ミステリ・ベスト10」2006年版の国内6位に入りました。
物語の入り口
烏賊川市シリーズは、『密室の鍵貸します』に始まる、架空の地方都市を舞台に私立探偵・鵜飼杜夫と弟子の戸村流平が活躍する連作で、10作を数えます。この巻の出発点は三つあります。
一つ目は、私立探偵・鵜飼杜夫です。不倫調査のため、使用人を装って山奥の邸に潜入しています。
探偵が使用人になりすまして邸で働く、というだけで、すでに可笑しい状況です。二つ目は、探偵の弟子・戸村流平。
ガールフレンドに誘われ、彼女の友人の山荘を訪れます。師匠が仕事で山奥にいる間、弟子は遊びで山荘にいる。
三つ目は刑事たちで、寂れた商店街で起こった女性の刺殺事件を捜査しています。師弟がそろって一つの現場に並ぶのではなく、ばらばらの場所から話が始まるわけです。
この三つは、無関係に見えます——けれども、その背後で、交換殺人が密やかに進んでいます。交換殺人という言葉は、題名にもそのまま掲げられています。
物騒な言葉を題名に据えておきながら、入り口に並ぶのは、不倫の調査、友人の山荘への訪問、寂れた商店街での捜査という、それぞれに地に足のついた出来事です。
三つの筋を並行して追う読み味は、この巻の入り口の楽しさです。潜入調査の鵜飼を読んでいると、山荘の流平が気になり、山荘を読んでいると商店街の刑事たちが気になる。
あちらの様子とこちらの事情が同時に気にかかる、という状態が最初から続きます。三つとも、それぞれに面白い場面を持っているので、どの筋に戻っても退屈しません。
使用人姿の探偵、遊びに来た弟子、地道な刑事たち。三つの温度の違いも、読んでいて心地よいところです。
仕事と遊びと捜査。同じ夜の中で、まったく違う時間が流れています。
読みどころ
本作の醍醐味は、全編にちりばめられたギャグと本格推理の手続きとが、同じ紙面に同居しているところにあります。 笑わせる場面は最初から最後まで途切れず、その同じ頁の上で、謎解きの筋道が一歩ずつ組み上げられていきます。
笑いと謎解きが互いを押しのけずに並んでいること自体が、この作家の技術です。ギャグを書く手と伏線を張る手が、別の人のものではなく同じ一人のものである——本格の年間ランキングで6位に入った理由は、そこにあります。
もうひとつは、交換殺人という題材の扱いです。交換殺人は、推理小説の古典的な題材の一つで、互いに動機のない者同士が相手の標的を殺す、という型として知られています。
東川篤哉はこの古い型を、ユーモアの筆で扱います。古典的な題材を、笑いと論理で現代に組み直す。
この作家の得意技が、この巻ではとくに冴えています。交換殺人という言葉を題名に堂々と掲げておいて、それでも最後まで読ませきるという自信が、この題名には表れています。
三つの筋が並ぶ構成なので、読む側には少し覚えておくことが増えます。ただ、どの筋も人物の顔が立っているので、混乱はしません。
むしろ、筋が移るたびに前の筋の続きが気になり、頁を繰る手が速くなります。
作品の背景
『交換殺人には向かない夜』は2005年に光文社から刊行されました。烏賊川市シリーズの第4作で、「本格ミステリ・ベスト10」2006年版の国内6位。
ユーモアミステリの書き手が、本格の年間ランキングの上位に入った一冊で、シリーズの評価を一段引き上げた巻と言えます。笑える本格、という看板が業界の内側でも認められた節目です。
手に取るなら
現在手に取るなら、光文社文庫版です。電子版もあります。
烏賊川市シリーズの第4作ですが、事件は独立しており、この巻から入って構いません。シリーズを順に読みたい人は『密室の鍵貸します』から。
笑える本格ミステリを探している人、伏線の回収を楽しみたい人、複数の筋が並ぶ物語が好きな人に向いています。使用人姿の探偵、山荘の弟子、商店街の刑事たち。
三つの夜がどこへ向かうのか、笑いながら追いかけてください。
東川篤哉について
東川篤哉は1968年、広島県尾道市の生まれです。岡山大学法学部を卒業し、鮎川哲也が編集を務めた公募アンソロジー『本格推理』への入選を重ねたのち、2002年に光文社の新人発掘企画〈KAPPA-ONE〉の第一期として『密室の鍵貸します』でデビューしました。
笑いの絶えない語り口のなかに本格の謎解きを組み込む作風で知られ、私立探偵の鵜飼杜夫が活躍する烏賊川市シリーズや、学園を舞台にした鯉ケ窪学園シリーズなど、連作を数多く書いています。2011年には『謎解きはディナーのあとで』で第8回本屋大賞を受け、広く読まれる作家になりました。
ほかに『魔法使いは完全犯罪の夢を見るか?』『探偵少女アリサの事件簿』などのシリーズがあります。
書誌情報
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