現代国内 2008
ヤクザの娘と知り合い、
狂言誘拐に担ぎ出された。
『もう誘拐なんてしない』東川篤哉

書評

もう誘拐なんてしない

狂言誘拐の珍計画が本物の事件へ転がる、旅情と論理を備えた青春ミステリ。

目次

大学生の翔太郎は、夏休みのバイト中に、セーラー服の女子高生と知り合います。絵里香と皐月——ヤクザの家に生まれた姉妹です。

東川篤哉『もう誘拐なんてしない』は、下関を舞台に、この大学生とヤクザの娘たちが躍動する長編です。翔太郎は思いがけず狂言誘拐に担ぎ出され、右往左往するはめに。

そして、殺人事件が本当に起きてしまいます。2008年の刊行で、「ミステリが読みたい!」2009年版の国内9位。

本格と旅情と青春とユーモアの四つを、一つの夏の物語に同居させた作品です。

物語の入り口

舞台は下関です。海峡の町の夏が、この物語の背景です。

大学生の翔太郎は、夏休みのバイト中でした。そこで、ひょんなことから、セーラー服の女子高生・絵里香と皐月に出会います。

二人はヤクザの娘たちです。セーラー服の女子高生とヤクザの家という組み合わせだけで、バイトで埋まるはずだった夏休みの景色が、少し傾いて見えてきます。

この姉妹と、ごく普通の大学生が知り合うところから、物語は動き出します。

翔太郎は、思いがけず狂言誘拐に担ぎ出されます。実際には誰もさらわれていないのに、さらわれたことにして事を運ぶ——そういう芝居の片棒を、夏休みのバイトの最中だった大学生が担がされる。

慣れない役回りに、翔太郎は右往左往するはめになります。あくまで芝居で済むはずの騒ぎでした。

そして、殺人事件が本当に起きてしまいます。

入り口の空気は明るいものです。夏休み、バイト、セーラー服、港町。

青春小説の道具立てが並び、そこにヤクザの娘という一段濃い色が差します。狂言誘拐という計画も、本気の犯罪というより、若者が思いつきで転がした企みの手ざわりで始まります。

それが本物の殺人へ転がる。軽い企みが重い事件へ変わるその段差を、翔太郎と一緒に踏み外すのが、この本の最初の体験です。

下関の港を舞台にした攻防戦も、この明るい入り口があってこそ効いてきます。

読みどころ

醍醐味は、どこにでもいる大学生とヤクザの娘たちという、噛み合わない取り合わせにあります。 ごく普通の学生と、ヤクザの家の姉妹。

本来なら交わるはずのない者同士が同じ騒ぎに乗り合わせ、その食い違いのなかで翔太郎が振り回される姿が、この作品の笑いの芯になっています。セーラー服の女子高生、港町の夏、ヤクザの家——ちぐはぐな顔ぶれがそろったところへ、本物の殺人が起きる。

東川篤哉は、その殺人を笑いの調子から切り離さずに扱います。重い出来事を軽い筆で運びながら、話の芯は謎解きの側に据えられたままです。

もうひとつは、四つの要素の配合です。本格と旅情と青春とユーモア。

並べるだけなら、どれもありふれた看板です。この作品では、下関という土地の風景が旅情になり、大学生と女子高生の夏が青春になり、狂言誘拐の右往左往がユーモアになり、そして本物の殺人が本格になる。

四つを順番に消化するのではなく、同じ夏の中で一度に立ち上がらせるところが、この作家の腕です。ヤクザや殺人という題材に、張りつめた犯罪小説の重さを期待して開くと、笑いの多さに肩透かしを食うかもしれません。

けれども、夏休みの騒ぎのような軽さで転がり出した話が、本物の事件を抱えたまま運ばれていく——その軽さと重さの同居こそが、この作家を読む楽しみです。

2024年の文庫版でエピローグが加筆されています。すでに旧版で読んだ人にも、もう一度手に取る理由があります。

エピローグは物語を締めくくる位置に置かれる一節ですから、旧版を読んだ人ほど、そこで立ち止まることになるはずです。

作品の背景

『もう誘拐なんてしない』は2008年1月に文藝春秋から単行本で刊行されました。2010年7月に文春文庫に入り、2024年1月には、エピローグを加筆した新しい文春文庫版が出ています。

累計24万部を超えるロングセラーです。「ミステリが読みたい!」2009年版で国内9位。

著者の作品の中でも、独立した長編として広く読まれてきた一冊です。

手に取るなら

現在手に取るなら、2024年1月刊の文春文庫版です。エピローグが加筆された新しい版で、電子版もあります。

シリーズものではない独立した作品なので、東川篤哉を初めて読む人の入り口として向いています。港町の夏の空気と一緒に読むなら、季節を合わせるのも一案です。

ユーモアミステリの読みやすさと、本格の仕掛けの両方を一冊で味わえます。夏の下関で、大学生とヤクザの娘たちが転がした狂言誘拐の行方を追う、旅情と論理を備えた青春ミステリです。

東川篤哉について

東川篤哉は1968年、広島県尾道市の生まれです。岡山大学法学部を卒業し、鮎川哲也が編集を務めた公募アンソロジー『本格推理』への入選を重ねたのち、2002年に光文社の新人発掘企画〈KAPPA-ONE〉の第一期として『密室の鍵貸します』でデビューしました。

笑いの絶えない語り口のなかに本格の謎解きを組み込む作風で知られ、私立探偵の鵜飼杜夫が活躍する烏賊川市シリーズや、学園を舞台にした鯉ケ窪学園シリーズなど、連作を数多く書いています。2011年には『謎解きはディナーのあとで』で第8回本屋大賞を受け、広く読まれる作家になりました。

ほかに『魔法使いは完全犯罪の夢を見るか?』『探偵少女アリサの事件簿』などのシリーズがあります。

書誌情報

出版社
文藝春秋
刊行年
2008
ISBN-13
9784167921590
系譜
現代国内
受賞歴

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この記事を書いた人

リットン

都内金融機関で経営企画とデータアナリストをしているアラサー。
文系の非エンジニアですが、独学で始めた Python と生成AIにすっかりはまりました。
プログラミング・サッカー・ミステリ紹介など、好きなことを好きに書いています。

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