現代国内 2015
名探偵が解いた事件を、
学者が検証して覆す。
『恋と禁忌の述語論理』井上真偽

書評

恋と禁忌の述語論理

名探偵が出した答えを数理論理学で検証し直す、メフィスト賞の異色デビュー作。

恋と禁忌の述語論理 表紙画像
井上真偽 講談社(講談社文庫)2015年
目次

硯さんは、数理論理学を修めた学者です。彼女の仕事は「推理」ではなく「検証」です。

井上真偽『恋と禁忌の述語論理』は、この推理の検証者(ベリファイア)を物語の真ん中に据えた、第51回メフィスト賞の受賞作です。名探偵がすでに解き終えた事件を持ち込まれ、その推理を論理学の道具で確かめ直す。

探偵の背後に、もう一人の審判が控えている——その配置そのものが、デビュー作にして著者の名刺になりました。

物語の入り口

最初に置かれるのは、雪山の洋館での殺人です。犯人は双子のどちらか。

そこまでは絞れているのに、どちらを犯人に据えても矛盾が出てしまう。容疑者は二人しかいないのに、二人とも犯人になりえない。

盤面の上では、ありえない形で駒が止まっています。片方を選べばもう片方が潔白になるはずの二択が、どちらを選んでも行き詰まる——事件は、その袋小路から始まります。

この不可解な事件を、探偵・上苙丞(うえおろじょう)が見事に解決してみせます。奇蹟の実在を信じる探偵、という肩書きつきです。

奇蹟を信じる人物が、推理によって事件を片づける。その取り合わせからして、すでに一筋縄ではいきません。

ところが、話はそこで閉じません。解決済みの推理は硯さんのもとへ運ばれ、「数理論理学」による検証にかけられます。

見事に決着したはずの推理を、彼女は検証によってひっくり返してみせます。探偵の結論が、別の机の上でもう一度吟味にかけられるわけです。

そして上苙のほかにも、名探偵は次々に姿を見せます。

目次は講義の時間割のようです。レッスン1「スターアニスと命題論理」、レッスン2「クロスノットと述語論理」、レッスン3「トリプレッツと様相論理」、そして最後に進級試験「恋と禁忌の……?」。

レッスンが進むごとに、扱う論理の体系が命題論理から述語論理へ、さらに様相論理へと切り替わっていきます。読者は、名探偵の推理が出そろったところで検証者の向かいの席に座らされ、その吟味を最前列で見届けることになります。

読みどころ

本書の核にあるのは、推理の正しさを、推理とは別の道具で確かめるという発想そのものです。

検証者の仕事は、犯人を追いかけることではありません。すでに差し出された論証を受け取り、その筋道を点検することです。

事件を解く人と、解かれた答えを確かめる人。その二人が別々に立っているところに、この作品の骨格があります。

命題論理、述語論理、様相論理と章題に並ぶ言葉は硬く見えますが、レッスンと進級試験という章立てが、段階を踏んで歩ませる作りであることを示しています。

もうひとつは、名探偵の側の顔ぶれです。奇蹟の実在を信じる上苙丞をはじめ、個性豊かな名探偵たちが続々と登場し、その推理に一人の検証者が向き合います。

ふつうなら物語の頂点に立つはずの名探偵が、ここでは検証を受ける側に回る。上下の入れ替わったその配置には、推理小説の登場人物表をまるごと試験場へ招いたような可笑しみがあります。

癒やし系の学者が、名だたる探偵たちの前に採点者として座っている。その絵柄だけでも、手に取る理由になるはずです。

こんな人におすすめ

名探偵の解決場面を読むたびに、その推理は本当に隙がないのかと考え込んでしまう読者に向いています。論理学の教科書は開いたことがなくても、筋道の通った議論を追うのが好きな人なら楽しめるはずです。

一方で、章題に並ぶ学術用語に身構えてしまう人もいるでしょう。とはいえ、レッスンから進級試験へという章立ては、学ぶ順に並べたという合図とも読めます。

用語に怯むより、講義の席に着くつもりで開くのがよさそうです。

作品の背景

第51回メフィスト賞の受賞が決まったのは2015年1月で、同じ年に講談社から刊行されたのが本書です。井上真偽という名前は、ここから世に出ました。

講談社文庫に入ったのは2018年12月です。デビュー作は、のちの『その可能性はすでに考えた』へとつながる起点として、あらためて文庫で読めるようになりました。

手に取るなら

いま手に取るなら、2018年12月刊の講談社文庫版です。480ページと厚みがありますが、レッスンごとに区切られているので、ひとつずつ進めていけます。

井上真偽を刊行順に追うなら、出発点はここです。『その可能性はすでに考えた』『聖女の毒杯』へ進む前に読んでおけば、そこへ至る道筋がどこから始まったのかを、自分の目で確かめられます。

雪山の洋館と双子の矛盾から始まるのは、推理そのものを試験にかける、少し変わった講義です。

井上真偽について

井上真偽は神奈川県の出身で、東京大学工学部を卒業しています。『恋と禁忌の述語論理』で第51回メフィスト賞を受け、2015年1月の同作の刊行でデビューしました。

数理論理学で名探偵の推理を検証するというデビュー作の趣向が示すように、推理の手続きそのものを物語の中心に据えてきた書き手です。

同じ2015年に始まった〈その可能性はすでに考えた〉シリーズでは、奇蹟を証明しようとする探偵がありうる説明を一つずつ否定していく論戦を描き、続編『聖女の毒杯』は「本格ミステリ・ベスト10」の国内1位に選ばれました。2017年の『探偵が早すぎる』は翌年に連続ドラマになっています。

その後も『ベーシックインカム』『アリアドネの声』、姉妹編と兄弟編の二冊で始まった〈ぎんなみ商店街の事件簿〉と、題材を変えながら書き継いでいます。

書誌情報

出版社
講談社 / 講談社文庫
刊行年
2015
ISBN-13
9784065139950
系譜
現代国内 / 多重解決
受賞歴

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この記事を書いた人

リットン

都内金融機関で経営企画とデータアナリストをしているアラサー。
文系の非エンジニアですが、独学で始めた Python と生成AIにすっかりはまりました。
プログラミング・サッカー・ミステリ紹介など、好きなことを好きに書いています。

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