新床には血まみれの二人。
本陣殺人事件
婚礼の夜の新床で起きた密室の謎に挑む、金田一耕助シリーズの出発点。
一柳家の当主・賢蔵の婚礼を終えた深夜、人々は悲鳴と琴の音を聞きました。駆けつけた先、新床には、血まみれの新郎新婦。
枕元には、家宝の名琴「おしどり」がありました。『本陣殺人事件』は、密室トリックに挑み、第1回探偵作家クラブ賞を受賞した、横溝正史の長編です。
私立探偵・金田一耕助が初めて姿を見せる一作であり、西洋の館を前提に発達してきた密室の趣向を、木と紙でできた日本家屋へ持ち込んだ、戦後本格の出発点。『東西ミステリーベスト100』2012年版では、国内編10位に挙げられています。
物語の入り口
舞台は、岡山の山あいの村です。一柳家は、江戸時代に宿場の本陣を務めた家柄の末裔。
その旧家で、当主・賢蔵の婚礼が執り行われました。祝いの一日が終わった深夜、人々は悲鳴を聞きます。
そして、琴の音を。婚礼の夜に、悲鳴と琴。
祝いの余韻が、一瞬で凍りつきます。
駆けつけた先は、新床でした。そこに、血まみれの新郎新婦。
枕元には、家宝の名琴「おしどり」が置かれていた。新郎新婦がどうなったのか、琴の音が何を意味するのか。
祝い酒の匂いがまだ残る屋敷の奥で、新しい夫婦のために整えられたばかりの床が血に染まり、その枕元に、代々受け継がれてきた家宝の琴が据えられている。晴れの日の道具立てと惨劇とが、ひとつの部屋に並んでしまった光景です。
その光景から、金田一耕助の推理が始まります。
そして、密室。本作は、密室トリックに挑んだ作品です。
西洋のミステリでは、石造りの館と重い扉が密室の前提でした。ところがここは、木と紙でできた日本家屋です。
障子と襖と縁側の家で、密室が成立するのか。横溝正史は、その問いに正面から取り組みました。
日本家屋の構造そのものが、この作品の謎の前提です。
読者は、旧家の婚礼の夜に、村の人々とともに立たされます。そこに現れるのが、私立探偵・金田一耕助です。
本作が、その初登場。以後、数十年にわたって読み継がれる名探偵が、岡山の山あいの村で、日本家屋の密室と向き合う。
戦後本格の出発点は、ここにあります。以後の長い付き合いの最初の一歩を、読者はここで踏み出すことになります。
読みどころ
本作の醍醐味は、西洋の館で育った密室の趣向を、木と紙でできた日本家屋へ移し替えた大胆さにあります。 石造りの壁も重い扉もなく、障子一枚で部屋が仕切られる屋敷で、なお密室の謎を立てる。
日本の風土のなかで本格ミステリを書く、という横溝正史の試みが、この一冊で形になりました。
もうひとつは、金田一耕助の初登場という事実です。名探偵の最初の事件を、活字で読める。
旧家の婚礼、悲鳴と琴の音、血まみれの新床、名琴「おしどり」。道具立ての一つひとつが、以後の横溝本格の原型になっています。
旧家、婚礼、家宝。日本の風土に根ざした謎の材料が、ここで出揃いました。
『東西ミステリーベスト100』で国内10位という評価は、刊行から六十年以上を経た時点でのものです。
こんな人におすすめ
密室ものを好む読者、金田一耕助シリーズを第一作から順に読みたい読者に向いています。日本の旧家という舞台に惹かれる人にも、まず薦めたい一冊です。
戦後本格の出発点を確かめたい人には、避けて通れない一冊です。逆に、現代的なテンポや軽い読み口を求める気分のときには、戦後間もない時代の空気は少し重たく感じられるかもしれません。
それでも、密室という趣向の普遍性が、時代の壁を越えさせてくれます。
作品の背景
横溝正史は1945年4月に岡山県吉備郡岡田村、現在の倉敷市へ疎開し、そこで終戦を迎えました。その岡山の地で、戦後の横溝本格は生まれました。
疎開先の風土が、以後の作品世界の土台になります。
本作は雑誌『宝石』の1946年4月号から12月号にかけて連載され、1948年に第1回探偵作家クラブ賞の長編部門を受賞しました。この賞はのちの日本推理作家協会賞にあたり、『本陣殺人事件』がその最初の受賞作です。
金田一耕助はここで初めて登場し、以後『獄門島』『八つ墓村』『犬神家の一族』と続くシリーズの出発点になりました。角川文庫の『金田一耕助ファイル2』は416ページです。
手に取るなら
現行版は角川文庫『金田一耕助ファイル2』。併録の「黒猫亭事件」「車井戸はなぜ軋る」も含めて、金田一耕助の初期を一冊で読めます。
シリーズの第一作ですが、この物語だけで完結しますから、ここから入るのが自然です。婚礼の夜の悲鳴と琴の音を、岡山の山あいの村で聞いてみてください。
名探偵との長い付き合いは、この夜から始まります。
横溝正史について
横溝正史は1902年、兵庫県神戸市の生まれです。1921年、雑誌『新青年』の懸賞で一等に選ばれた「恐ろしき四月馬鹿」で世に出て、大阪薬学専門学校を卒業したのち、1926年に江戸川乱歩の招きで上京して博文館に入りました。
『新青年』などの編集長を務め、1932年に退社して作家専業となります。戦前は由利麟太郎を探偵役にした『真珠郎』などを書き、戦時中は岡山県に疎開しました。
戦後、金田一耕助が初めて登場する『本陣殺人事件』で1948年に第1回探偵作家クラブ賞の長編賞を受け、『獄門島』『八つ墓村』『犬神家の一族』『悪魔の手毬唄』と、金田一ものの長編を書き継いでいきます。1970年代には角川文庫での再刊と映画化が重なって、まったく新しい世代の読者を得ました。
1976年に勲三等瑞宝章を受け、1981年に没しています。
書誌情報
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