黄金期国内 1946
歌姫の死体はバラと砂ごと
コントラバスに詰められた。
『蝶々殺人事件』横溝正史

書評

蝶々殺人事件

歌劇団の主宰者が消え、コントラバスの中から見つかる。都会派の横溝正史。

蝶々殺人事件 表紙画像
横溝正史 KADOKAWA(角川文庫)1946年
目次

原さくら歌劇団の主宰者、原さくらが、「蝶々夫人」の大阪公演を前に、突然姿を消しました。数日後、数多くの艶聞をまきちらし、文字どおりプリマドンナとして君臨していたさくらの死体が、バラと砂とともに、コントラバスの中から発見されます。

『蝶々殺人事件』は、金田一耕助ものに続く由利先生シリーズの第一弾。探偵役は、警視庁の捜査課長の座を失って私立探偵となった由利麟太郎で、相棒は新聞記者の三津木俊助です。

舞台は、東京と大阪を往復する歌劇団の興行世界。旧家と因習の作家という横溝正史の像を、裏側から崩す都会派の一冊です。

金田一とは別の顔の横溝が、ここにいます。

物語の入り口

原さくら歌劇団は、「蝶々夫人」の大阪公演を控えていました。その主宰者、原さくらが、突然姿を消します。

数多くの艶聞をまきちらし、文字どおりプリマドンナとして君臨していた女性です。公演を前にした失踪は、劇団にとって、それだけで一大事でした。

数日後、さくらの死体が発見されます。場所は、コントラバスの中。

しかも、バラと砂とともに。楽器のなかから、花と砂に囲まれたプリマドンナの死体が現れる。

花と砂という取り合わせの奇怪さが、華やかな舞台の世界にいきなり死の影を落とします。そして殺人は、この一件で終わらずに次々と起こっていきます。

探偵役は、由利麟太郎。警視庁の捜査課長だった男が、その座を失って私立探偵になった。

四十代から五十前の顔立ちに、白髪という外見です。相棒の三津木俊助は、新日報社の記者です。

この二人の組み合わせは、横溝正史が戦前から書き継いできたもので、1930年代の『真珠郎』『仮面劇場』から積み重ねられてきました。白髪の探偵と、新聞記者の相棒。

金田一耕助とは違う組み合わせで、金田一とは違う世界を歩きます。歌劇団の興行、楽屋の人間関係、東京と大阪の往復。

旧家も因習もありません。あるのは、舞台と楽屋と、興行の移動です。

華やかな世界の裏側で、人が死んでいきます。

読者は、「蝶々夫人」の公演を控えた劇団の楽屋に立たされます。横溝正史といえば、山村の旧家と因習を思い浮かべる人が多いはずです。

『蝶々殺人事件』は、その像を裏側から崩します。都会の、しかも歌劇の世界。

プリマドンナの艶聞と、コントラバスの死体。文芸の香りと、花と砂に囲まれた死体という奇怪な謎。

その両方が、興行の世界のなかにあります。

読みどころ

同じ年に『本陣殺人事件』を書いた作家が、歌劇の楽屋と興行の旅でまったく別の顔を見せています。 歌劇団、プリマドンナ、コントラバス、東京と大阪の往復。

山村の旧家も、代々の因習も、ここには出てきません。金田一耕助の岡山と、由利麟太郎の都会。

横溝正史の幅は、この二作を並べたときにもっともよく見えます。

もうひとつは、由利麟太郎という探偵役です。警視庁の捜査課長の座を失った、白髪の私立探偵。

金田一耕助の陰に隠れがちですが、戦前から積み重ねられてきたシリーズの探偵で、本作はその戦後の第一弾です。新聞記者の三津木俊助と組んだ二人連れの捜査が、戦争をはさんで、1946年の都会でもう一度動き出す。

その再出発に立ち会えるのは、この長編ならではの楽しみです。

こんな人におすすめ

横溝正史の都会派の顔を知りたい読者、歌劇や興行の世界という舞台に惹かれる読者に向いています。金田一耕助ものを読んできて、もうひとりの探偵を知りたい人には、由利先生シリーズの第一弾として薦められます。

逆に、横溝といえば山村の因習、という期待で開くと、この都会の華やかさに少し戸惑うかもしれません。その戸惑いが、この作家の幅です。

作品の背景

本作は1946年、探偵小説雑誌『ロック』の第3号から第10号に、全8回で連載されました。同じ年、金田一耕助の初登場長編『本陣殺人事件』が別の雑誌で並行して連載されていて、のちの自選集では、両作が第1巻に並べられています。

金田一と由利、二人の探偵が、同じ年に戦後の出発点を迎えたことになります。1986年に文春文庫から出た『東西ミステリーベスト100』では、国内編の69位に入りました。

角川文庫版は2020年の刊行で448ページです。

手に取るなら

現行版は角川文庫。1946年に探偵小説雑誌『ロック』で全8回にわたって連載された長編を、いまは文庫で通して読めます。

由利先生シリーズの第一弾ですが、この作品だけで完結していますから、ここから入っても問題ありません。併録の「蜘蛛と百合」「薔薇と鬱金香」も、同じ一冊で読めます。

「蝶々夫人」の大阪公演を控えた楽屋へ。白髪の探偵と新聞記者の二人組が、華やかな興行の裏側へ踏み込んでいきます。

横溝正史について

横溝正史は1902年、兵庫県神戸市の生まれです。1921年、雑誌『新青年』の懸賞で一等に選ばれた「恐ろしき四月馬鹿」で世に出て、大阪薬学専門学校を卒業したのち、1926年に江戸川乱歩の招きで上京して博文館に入りました。

『新青年』などの編集長を務め、1932年に退社して作家専業となります。戦前は由利麟太郎を探偵役にした『真珠郎』などを書き、戦時中は岡山県に疎開しました。

戦後、金田一耕助が初めて登場する『本陣殺人事件』で1948年に第1回探偵作家クラブ賞の長編賞を受け、『獄門島』『八つ墓村』『犬神家の一族』『悪魔の手毬唄』と、金田一ものの長編を書き継いでいきます。1970年代には角川文庫での再刊と映画化が重なって、まったく新しい世代の読者を得ました。

1976年に勲三等瑞宝章を受け、1981年に没しています。

書誌情報

出版社
KADOKAWA / 角川文庫
刊行年
1946
ISBN-13
9784041092972
系譜
黄金期国内 / 名探偵もの
受賞歴

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この記事を書いた人

リットン

都内金融機関で経営企画とデータアナリストをしているアラサー。
文系の非エンジニアですが、独学で始めた Python と生成AIにすっかりはまりました。
プログラミング・サッカー・ミステリ紹介など、好きなことを好きに書いています。

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