戦後昭和国内 1971
怪事件に怯えて探偵を雇った。
殺人はそのあとで起きた。
『冷えきった街』仁木悦子

書評

冷えきった街

怪事件が続く一家に私立探偵・三影潤が踏み込む。彼が主役をつとめるただ一本の長編。

冷えきった街 表紙画像
仁木悦子 講談社1971年
目次

仁木悦子といえば明朗な兄妹探偵、という印象で手に取ると、この作品では肩透かしを食います。『冷えきった街』は、私立探偵・三影潤を主役に据えた、著者ただ一本のハードボイルド長編です。

竪岡清太郎の一家は、続発する怪事件に巻き込まれて恐慌をきたしていました。長男・清嗣は睡眠中にガス栓を抜かれ、次男・冬樹は暴漢に襲われ、末娘・このみを誘拐するという脅迫状までが舞い込む。

事件解明の依頼を受けた三影潤が謎に挑みますが、やがて第一の殺人が起こり、悲劇の幕があきます。1971年の刊行で、翌年の第25回日本推理作家協会賞で候補に挙がりました。

物語の入り口

竪岡清太郎の一家に、怪事件が続いています。長男の清嗣は眠っているあいだにガス栓を抜かれました。

次男の冬樹は暴漢に襲われました。そして末娘のこのみを誘拐する、という脅迫状が舞い込みます。

一つひとつが別々の災難のようでもあり、一家を狙った何かのようでもある。一家は恐慌をきたし、事件解明の依頼が私立探偵・三影潤のもとに届きます。

三影潤は、依頼を受けて竪岡家の中へ踏み込んでいきます。読者は、この探偵の背中について、怯えきった家族の内側へ入っていくことになります。

睡眠中のガス、暴漢の襲撃、紙切れ一枚の脅し——狙われ方がそれぞれ違うぶん、次に何が来るのか誰にも見当がつきません。そして災難が三つ重なったあとに、やがて起こるのが第一の殺人です——ここから先、竪岡家の事件は悲劇へと姿を変えていきます。

ハードボイルドの体裁なので、語りは探偵の足取りに沿って進みます。依頼を受け、家族に会い、街を歩く。

仁木悦子の兄妹ものにある明るい会話の弾みは、ここにはありません。代わりにあるのは、題名どおりの冷えた街の空気と、その中を淡々と歩く探偵の視線です。

同じ作家がこういう文体も書けるのか、という驚きが、入り口の感触になります。

読みどころ

本作の醍醐味は、ハードボイルドの体裁と謎解きの骨格が、同じ器に無理なく収まっているところにあります。 探偵が街を歩き、人に会い、話を聞いて回る。

その体裁を保ちながら、一家に続発した怪事件は推理小説の謎として置かれ、きちんと説明を求められます。ハードボイルドの雰囲気だけを借りた作品ではなく、乱歩賞作家が本格の骨格を持ち込んだ一作です。

街を歩く足取りの一歩一歩が、そのまま謎をほどく手順にもなっています。

もうひとつは、著者の幅を知る楽しみです。『猫は知っていた』以来、兄妹の軽やかな掛け合いで事件を解いてきた作家が、一度だけ書いた冷たい文体の物語。

仁木悦子を兄妹ものだけで知っている人にとって、本作は同じ作家の別の顔を見せてくれます。2022年には、北上次郎・日下三蔵・杉江松恋の三人が編んだ〈日本ハードボイルド全集〉にも、この作品が収められました。

分量は覚悟が要ります。現行版は短編五編と解説を含めて598ページ。

ただし本編は読みやすく、探偵の足取りに身を任せれば、停滞なく進みます。

作品の背景

『冷えきった街』は1971年3月、講談社の「乱歩賞作家書下しシリーズ」の一冊として刊行されました。翌1972年の第25回日本推理作家協会賞で長編部門の候補になっています。

この回は受賞作なしでした。仁木悦子はこのあと『灯らない窓』『青じろい季節』でも同じ賞の候補に挙がっており、1970年代に続けて同じ賞の候補に挙がった三作の、最初の一作にあたります。

三影潤が主役をつとめる長編は、この一作だけです。刊行後は1973年に講談社ロマン・ブックス、1977年に立風書房の〈仁木悦子長編推理小説全集〉第5巻、1980年に講談社文庫と版を重ねました。

現行版は東京創元社の創元推理文庫〈日本ハードボイルド全集〉4『冷えきった街/緋の記憶』です。2022年4月刊、598ページ。

北上次郎・日下三蔵・杉江松恋の編で、三影潤ものの短編「色彩の夏」「しめっぽい季節」「美しの五月」「緋の記憶」「数列と人魚」を併録し、巻末に若竹七海のエッセイと新保博久の解説が付いています。

手に取るなら

現在手に取るなら、創元推理文庫の〈日本ハードボイルド全集〉4『冷えきった街/緋の記憶』です。598ページ、三影潤ものの短編五編を併録しています。

本編はこの一冊で完結しており、仁木悦子の他の作品を読んでいなくても困りません。むしろ、明るい兄妹ものを先に知っている人のほうが、この冷えた文体との落差を楽しめます。

ハードボイルドの空気の中で、本格の謎解きも味わいたい人に。怪事件の続く一家に、私立探偵と一緒に踏み込んでみてください。

仁木悦子について

仁木悦子は1928年に東京府で生まれ、1986年に58歳で亡くなりました。4歳で胸椎カリエスを発病して両足が麻痺し、学校へは通わずに独学で育ちます。

戦後に童話を書き始め、旧姓の大井三重子の名でも子ども向けの作品を残しました。

姉の影響で海外の推理小説を読むようになり、書き上げた長編『猫は知っていた』は、応募先の公募企画が中止になったあと江戸川乱歩の勧めで第3回江戸川乱歩賞に回され、1957年に受賞します。同作はベストセラーとなり、明るく読みやすい作風から「日本のクリスティー」とも呼ばれました。

探偵役には、学生の仁木雄太郎・悦子の兄妹と、ハードボイルド寄りの私立探偵・三影潤の二系統があります。1961年には女性推理作家の会「霧の会」を結成し、1981年には短編「赤い猫」で第34回日本推理作家協会賞を受けました。

書誌情報

出版社
講談社
刊行年
1971
系譜
戦後昭和国内
受賞歴

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この記事を書いた人

リットン

都内金融機関で経営企画とデータアナリストをしているアラサー。
文系の非エンジニアですが、独学で始めた Python と生成AIにすっかりはまりました。
プログラミング・サッカー・ミステリ紹介など、好きなことを好きに書いています。

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