舞い込むのは人捜し。
犬はどこだ
犬捜し専門のはずの事務所に舞い込む、失踪人捜しと古文書解読の二件。
調査事務所〈紺屋S&R〉は、犬捜しだけを仕事にするつもりで看板を掲げました。ところが最初に持ち込まれたのは、失踪した人の捜索と、古文書の解読でした。
『犬はどこだ』は、犬を捜したい二十五歳の私立探偵が最初に手がける事件を描く長編です。『氷菓』以来、高校生たちの日常を舞台にした青春ミステリを書いてきた米澤穂信が、2005年に大人の探偵小説へ踏み出した一作。
掲げた看板と持ち込まれる仕事の食い違いから始まる、軽みのある私立探偵小説です。
物語の入り口
犬を捜す。それだけをやるつもりで、二十五歳の私立探偵は事務所を開きました。
看板に掲げた業務は一種類。犬捜しをするのだ、と本人は決めています。
人捜しは危険で面倒、企業の調査は気が重い。迷い犬なら、見つけたときに誰もが喜ぶ。
犬を捜すだけの事務所というのは、いかにも慎ましい開業です。事務所の名前だけは、〈紺屋S&R〉と、それらしく整っています。
ところが、最初に舞い込んだ依頼は、犬とはまるで関係がありませんでした。ひとつは失踪した人物を捜してほしいというもの。
もうひとつは、古文書を解読してほしいというもの。人捜しと、古い紙の読み解き。
どちらも犬捜しの事務所に持ち込む話ではないはずですが、開業したばかりの探偵に、選り好みをする余裕はありません。二本の調査が、それぞれ別の方向へ走り始めます。
片方は人の足取りを追い、もう片方は紙の上の文字を追う。同じ事務所が同時に抱えるには、あまりに毛色の違う二件です。
読者は、この探偵の隣で二つの依頼を並べて眺める位置に立たされます。失踪人はどこへ消えたのか。
古文書には何が書かれているのか。手がかりの種類も、動き回る場所も、まるで違う二件。
ところが調べを進めるうちに、別々だったはずの二件が、どこかで触れ合っているように見えてきます。二つの依頼を合わせると、どんな事件になるのか。
探偵事務所の二人は、二本の線を同時に追い続けます。犬捜しのつもりだった探偵が、犬とは無縁の二本の線を追ううちに、自分でも予想しなかった場所へ連れていかれることになります。
読みどころ
失踪人捜しと古文書の解読。まったく別々に始まった二つの調査が、並んで走りながら少しずつ近づいていきます。
探偵小説の枠を踏まえながら、二本の線がどこで重なるのかという興味が、最後まで読者を引っ張ります。依頼を受け、足で調べ、集まった断片を並べて考える。
私立探偵小説の骨格はきちんと押さえられていて、青春ミステリの書き手が書いた探偵小説、という括りでは収まらない手ざわりがあります。
会話は軽く、探偵と助手のやりとりには可笑しみがあります。犬捜しをするのだ、と繰り返す探偵の頑固さそのものが、この小説のユーモアの源です。
本人の希望と、持ち込まれる現実。その落差を笑いながら読んでいるうちに、二本の線の行方が気になって仕方なくなります。
ハードボイルドの気配を期待して開くと肌合いは違いますが、その違いこそが、この作家が探偵小説に持ち込んだ個性でもあります。
こんな人におすすめ
〈古典部〉や〈小市民〉から米澤穂信を知った読者が、次の一冊としてここへ来ると、作家の別の面がまとめて見えてくるはずです。私立探偵ものの手順を、軽い語り口で楽しみたい人にも向いています。
犬好きの読者なら、犬捜しだけを掲げて開業した事務所という出発点からして、頬がゆるむでしょう。逆に、重厚な犯罪小説や、都会の夜を歩く硬派な探偵像を求める気分のときには、この犬捜しの事務所は少し牧歌的に見えるかもしれません。
作品の背景
本作が出た2005年は、米澤穂信が大人の探偵小説へ足を踏み入れた年にあたります。この作家の歩みのなかでは、早い時期の一作です。
単行本は2005年7月、東京創元社のミステリ・フロンティアから。2008年2月には創元推理文庫に収められ、366ページの一冊になりました。
国内ミステリのなかでも、私立探偵小説に位置づけられる作品です。「このミステリーがすごい!2006年版」の国内編では8位に選ばれました。
単行本の刊行は、2001年のデビューから四年後のことでした。
手に取るなら
現行版は創元推理文庫。シリーズに属さない単独の長編なので、予習は要りません。
米澤穂信の作品を刊行順に追いかけている人には、青春ミステリを書いてきた作家が大人の探偵小説へ踏み出した一作として、その歩みを確かめる一冊になります。犬を捜す探偵、という設定に少しでも笑ったなら、それが読み始める理由として十分です。
米澤穂信について
米澤穂信は1978年、岐阜県の生まれです。金沢大学文学部の在学中からウェブサイトで小説を発表しており、大学時代に北村薫の『空飛ぶ馬』『六の宮の姫君』を読んで衝撃を受け、ミステリへ進む道を定めたといいます。
卒業後は書店で働きながら書き続け、2001年に『氷菓』で第5回角川学園小説大賞ヤングミステリー&ホラー部門奨励賞を受けてデビューしました。
高校生の身の回りの謎を扱う〈古典部〉〈小市民〉の両シリーズを書き継ぐ一方、大人の読者に向けた長編や短編集へも領域を広げてきました。2011年に『折れた竜骨』で第64回日本推理作家協会賞、2014年に『満願』で第27回山本周五郎賞を受け、2021年刊の『黒牢城』では第12回山田風太郎賞に続いて第166回直木三十五賞と第22回本格ミステリ大賞を受けています。
2025年には〈小市民〉シリーズで第10回吉川英治文庫賞を受けました。
書誌情報
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