ふたりの距離の概算
20キロを走り終えるまでに後輩の心変わりの理由を解く、時間制限つきの青春推理長編。
20キロメートルの道のりを走りきるまでに、ひとつの謎に答えを出さなければならない。『ふたりの距離の概算』は、そんな時間の区切りを抱えた推理を真ん中に据えた、〈古典部〉シリーズ第5弾の長編です。
この巻から古典部の面々は2年生に進級し、新入生を迎える側に回ります。
物語の入り口
神山高校の古典部に籍を置くのは、折木奉太郎、千反田える、福部里志、伊原摩耶花の4人。省エネを暮らしの方針にしている奉太郎が、好奇心の強い千反田に引っぱられて謎に向き合う、という基本の構図はこれまでと変わりません。
変わったのは、部に新しい顔がやって来たことです。
春、新入生の大日向友子が古典部に仮入部します。ところが本入部の手続きを目前にして、彼女は急に辞めると告げてきました。
いったい何が彼女の気持ちを変えたのか。答えを出せる機会として残されたのは、入部届の締め切り日に開かれる校内マラソン大会「星ヶ谷杯」です。
5月の終わり、20キロメートルのコースを走りながら、奉太郎はそれまでの出来事をひとつずつ思い返し、心変わりの理由を探っていきます。
読みどころ
物語の現在は、ほぼマラソン大会の一日に限られています。奉太郎が走る道のりを軸に、そこへ至るまでの出来事が回想として差し込まれていく。
大日向が古典部に顔を出してからの日々を、奉太郎はひとつずつ拾い直しながら、彼女の言葉や振る舞いの意味を考え直していきます。走っている現在と思い返される過去、ふたつの時間を行き来しながら一本の答えへ向かう組み立てが、この長編のいちばんの面白さです。
ゴールという終点がはっきり見えていることも効いています。残りの距離が減っていくのと歩調を合わせて、考えるための時間も目減りしていく。
普段は手短に済ませたがる奉太郎が、この日ばかりは最後まで頭を動かし続けなければなりません。謎そのものが人の気持ちの変化にかかわるものだけに、解き明かされていく過程には、論理の手応えと同時に、高校生どうしの関係の難しさもにじみます。
題名にある「距離」という言葉が、読み進めるほどに含みを増していくはずです。
こんな人におすすめ
シリーズを『遠まわりする雛』まで追いかけてきた人には、2年生になった4人の新しい日常として、まず素直に楽しめる一冊です。限られた時間のなかで手持ちの材料を並べ直し、筋の通る答えを組み上げていく推理が好きな人にも向いています。
派手な事件や大がかりな仕掛けより、人の小さな選択の理由を考えたい気分のときに手に取ると、ちょうどよく響くでしょう。
作品の背景
前作『遠まわりする雛』は、4人の高校1年目を翌年の春休みまで描いて幕を閉じました。本作はそのすぐ先、2年生の春から始まる長編として、2010年6月に角川書店から単行本で刊行されています。
「本格ミステリ・ベスト10」2011年版では第11位に名を連ねました。日常の謎を扱うシリーズの一冊が、本格ミステリの年間ランキングでこの位置を占めたことは、推理小説としての骨格の確かさを物語っています。
手に取るなら
角川文庫版は2012年6月に出ています。古典部の4人がどんな1年を過ごしてきたかを知っていると、奉太郎が走りながら思い返す一つひとつの場面の手触りが変わります。
できれば第1作から順に読み継いで、この巻にたどり着くのがいちばんの贅沢です。
米澤穂信について
米澤穂信は1978年、岐阜県の生まれです。金沢大学文学部の在学中からウェブサイトで小説を発表しており、大学時代に北村薫の『空飛ぶ馬』『六の宮の姫君』を読んで衝撃を受け、ミステリへ進む道を定めたといいます。
卒業後は書店で働きながら書き続け、2001年に『氷菓』で第5回角川学園小説大賞ヤングミステリー&ホラー部門奨励賞を受けてデビューしました。
高校生の身の回りの謎を扱う〈古典部〉〈小市民〉の両シリーズを書き継ぐ一方、大人の読者に向けた長編や短編集へも領域を広げてきました。2011年に『折れた竜骨』で第64回日本推理作家協会賞、2014年に『満願』で第27回山本周五郎賞を受け、2021年刊の『黒牢城』では第12回山田風太郎賞に続いて第166回直木三十五賞と第22回本格ミステリ大賞を受けています。
2025年には〈小市民〉シリーズで第10回吉川英治文庫賞を受けました。
書誌情報
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