現代国内 2014
「もういいんです」
殺した女は控訴を捨てた。
『満願』米澤穂信

書評

満願

人はなぜそこまでしたのか。動機の底を照らす六篇が並ぶ、第27回山本周五郎賞の短編集。

満願 表紙画像
米澤穂信 新潮社(新潮文庫)2014年
目次

「もういいんです」。人を殺めた女は控訴を取り下げ、静かに刑に服した。

争わなかったのだから話はそこで終わるはずなのに、彼女がなぜそうしたのかという一点だけが、いつまでも据わりが悪いまま残ります。『満願』は、米澤穂信が2014年に発表した全六篇の短編集。

人が人を手にかけるとき、そこには必ず理由がある。ただしその理由は、外から眺めているかぎり決して見えてこない。

六つの事件を通して、その見えなさそのものを謎として差し出す一冊です。第27回山本周五郎賞を受け、主要ミステリランキング三誌の国内1位を独占して、史上初の三冠を達成しました。

物語の入り口

収められているのは「夜警」「死人宿」「柘榴」「万灯」「関守」、そして表題作「満願」の六篇。舞台も語り口も一篇ごとに大きく振れていて、同じ作者の手によるものだと言われなければ気づかないほどです。

共通しているのは、事件そのものより、事件を起こした人間の内側に照準が合っていること。誰がやったのかを当てる楽しみとは別の場所に、この本の中心はあります。

表題作の入り口は、冒頭に掲げたとおりです。人を殺めた女が、控訴を取り下げて静かに刑に服す。

真の動機が浮かび上がってくるのは、物語が幕を閉じる間際になってからです。争わない、という選択の裏に何があったのか。

その据わりの悪さを抱えたまま、読者は頁を追うことになります。「死人宿」は、恋人との復縁を望む主人公が訪れる宿から始まる一篇。

「柘榴」は、美しい中学生の姉妹が中心に立つ一篇。「万灯」は、ビジネスマンが最悪の状況に直面する一篇です。

読み手の関心は、何が起きたかよりも、なぜそうなったのかへ向かいます。動機という、最も見えにくいものを、六通りの舞台で問う。

短編集としての設計は、それだけ明快です。犯人の名前を当てるより、人がそこまで踏み込んだ理由を考えながら読む。

この本は、その読み方に応える六篇を揃えています。

読みどころ

読み口は決して重苦しくないのに、読み終えたあとには妙にひんやりとしたものが残ります。 一篇はおおむね電車での移動中に読み切れる長さで、文章そのものは端正で澄んでいます。

日の当たった場所を歩いていたはずが、いつのまにか足元だけ翳っていた、という感触に近いかもしれません。人物の造形が丁寧なぶん、動機を問う読み方にも確かな手応えがあります。

その冷たさは、一篇を読み終えて本を閉じたあとにこそ、じわりと効いてきます。一日に一篇ずつ間を置いて読めば、その冷えを篇ごとに味わえます。

もうひとつは、六篇の振れ幅そのものです。恋人との復縁を望む主人公、中学生の姉妹、最悪の状況に直面するビジネスマン。

舞台も人物も一篇ごとに入れ替わるのに、動機の輪郭を追うという読み方だけは一貫している。犯人当てとは違う種類の緊張を、短編という器で六度繰り返す。

照準は事件そのものより、事件を起こした人間の内側に合っていて、篇が変わるたびに、読み手は別の誰かの胸の内へ連れていかれます。

こんな人におすすめ

派手な仕掛けで驚かせる本ではなく、人が人を手にかける理由のほうへ目を向けさせる本です。犯人よりも動機の輪郭を追う読者、短い一篇に長編並みの余韻を求める読者に向いています。

米澤穂信の名前は知っているが大人向けの作品は未読、という人にも最初の一冊として勧めやすい本です。六篇はそれぞれ独立した話なので、気になった題名の一篇から開いても差し支えありません。

逆に、明るく後味のよい結末を求める気分のときには、この冷たさは少しこたえるかもしれません。

作品の背景

本書は2014年3月、新潮社から刊行されました。『氷菓』でのデビューから13年後、短編ばかりを六つ束ねた一冊です。

刊行後の評価は、なかなか例のないものになりました。第27回山本周五郎賞を受賞したうえで、年末年始に発表される主要なミステリランキング三誌、「週刊文春ミステリーベスト10」の2014年国内編、「このミステリーがすごい!」2015年版、「ミステリが読みたい!」2015年版のすべてで国内1位。

史上初の三冠です。しかも著者は翌年の『王とサーカス』でも同じ三冠を重ね、2年連続という記録まで作りました。

本作の山本周五郎賞は、2021年の『黒牢城』での山田風太郎賞より七年早い受賞です。

手に取るなら

現行版は新潮文庫。電子書籍でも読めます。

2018年8月にはNHK総合で「夜警」「万灯」「満願」の三篇がドラマ化されているので、まず活字で読んでから映像に進むのが順序としておすすめです。米澤穂信の大人向けの顔を最初に確かめるなら、この一冊から入るのが近道でしょう。

米澤穂信について

米澤穂信は1978年、岐阜県の生まれです。金沢大学文学部の在学中からウェブサイトで小説を発表しており、大学時代に北村薫の『空飛ぶ馬』『六の宮の姫君』を読んで衝撃を受け、ミステリへ進む道を定めたといいます。

卒業後は書店で働きながら書き続け、2001年に『氷菓』で第5回角川学園小説大賞ヤングミステリー&ホラー部門奨励賞を受けてデビューしました。

高校生の身の回りの謎を扱う〈古典部〉〈小市民〉の両シリーズを書き継ぐ一方、大人の読者に向けた長編や短編集へも領域を広げてきました。2011年に『折れた竜骨』で第64回日本推理作家協会賞、2014年に『満願』で第27回山本周五郎賞を受け、2021年刊の『黒牢城』では第12回山田風太郎賞に続いて第166回直木三十五賞と第22回本格ミステリ大賞を受けています。

2025年には〈小市民〉シリーズで第10回吉川英治文庫賞を受けました。

書誌情報

出版社
新潮社 / 新潮文庫
刊行年
2014
ISBN-13
9784101287843
系譜
現代国内
受賞歴
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リットン

都内金融機関で経営企画とデータアナリストをしているアラサー。
文系の非エンジニアですが、独学で始めた Python と生成AIにすっかりはまりました。
プログラミング・サッカー・ミステリ紹介など、好きなことを好きに書いています。

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