ミステリーとしての読みどころ
一人の作家が遺した短い仕事を、余さず一冊に集める。しかもそこには、これまで世に出たことのなかった原稿までが差し挟まれている——。
『レオ・ブルース短編全集』は、本格黄金期を代表する英国の書き手レオ・ブルースの全短編を一望にする、贅沢な集成です。長編で名を知られた作家の、いわば脇道の仕事。
けれどその脇道には、謎解きの醍醐味が一編ごとに凝縮して詰まっています。腰を据えた長編とはまた別の、きびきびとした本格の手ざわりが待っています。
著者について
レオ・ブルースは、英国ミステリの黄金期にあって、本格の醍醐味をまっすぐに追い求めた書き手です。その名は、主に長編によって読者に知られてきました。
作品の中心に立つのは、私立探偵として鳴らすビーフ巡査部長。そして本書には、もう一人の探偵グリーブ巡査部長の登場する短編も収められています。
二人の名探偵が短い謎に挑む姿を軸に、著者が書き残したさまざまな短い仕事を、まとめて味わえるように編まれた一冊です。長編の陰でこぼれ落ちがちな短編を、こうして一堂に会させたこと自体が、この作家を愛する読者にとってひとつの事件と言ってよいでしょう。
全四十編には、趣向を凝らした謎がずらりと並びます。たとえば表題のひとつ「ビーフのクリスマス」。
人々が集い、笑い声のあふれるパーティーの夜、その華やいだ空気の裏側で秘書が殺されます。晴れやかな席に落ちる、たった一滴の暗い染み。
集まった顔ぶれ、浮かれた気配、そして一転して起きる凶行——ビーフ巡査部長が乗り出すこの一編は、短い紙幅のなかに事件の輪郭をくっきりと立ち上げてみせます。
「逆向きの殺人」もまた、忘れがたい一編です。遺産相続をめぐって練り上げられた策謀が、少しずつその姿をあらわしていく。
相続という、人の欲がいちばんむき出しになりやすい題材を扱いながら、その企みがどう仕掛けられているのかへと、読者の関心を静かに手繰り寄せます。タイトルに掲げられた「逆向き」の一語が何を指すのか——その問いを胸に抱えたまま、読者はページを繰ることになります。
そして本書を、単なる旧作の再録集にとどめないのが、図書館で発掘された未刊のタイプ原稿から直接訳された作品群です。書かれながら、ついに世に出ることのなかった草稿。
そのなかには、世界で初めて紹介されるものも含まれています。加えて、埋もれていた原稿を掘り起こした発見者による解説まで添えられ、作家の仕事場の奥までそっと覗き込むような、そんな一冊に仕上がっています。
ファンにとっては、まさに垂涎の完全版です。
読みどころ
短い紙幅にこそ、本格の芯はあらわになります。 長編ならば幾重にも織り込める伏線や人物描写を、短編は潔く削ぎ落とさざるを得ません。
だからこそ「魅力的な謎の呈示」と「合理的解決」という、本格ミステリのいちばん硬い骨格だけが、剥き出しのまま残る。ブルースの短編は、その骨格を短い距離のうちに、何度も繰り返し見せてくれます。
一編を読み終えるごとにきちんと区切りがつくので、慌ただしい日々の合間に一話ずつ摘まむような読み方も、この本にはよく似合います。
すでに長編でこの作家を知っている読者には、見慣れたあの手つきが小さな器のなかでどう働くのかを確かめる楽しみがあります。長編で幾重にも張りめぐらされた企みが、短い一編になったとき、どこを残しどこを捨てるのか。
その取捨のなかにこそ、書き手の個性はかえって色濃く滲むものです。逆に、本書で初めてレオ・ブルースと出会う読者にとっては、四十編という数がそのまま、この作家の芸域の広さを測るものさしになってくれるはずです。
名探偵の顔ぶれ、謎の仕掛けどころ、事件が持ち込まれる舞台——そのどれもが少しずつ表情を変えながら、一冊の厚みをかたちづくっています。
名探偵が短い謎をきびきびと裁いていく、その手際そのものを味わいたい読者に、本書はよく合います。一話完結の歯切れよさは、腰を据えて長い物語に深く沈み込むのとは、また別の心地よさをくれるもの。
反対に、分厚い一本の物語にどっぷり浸かりたい気分のときには、次から次へと場面の切り替わる短編集の呼吸が、少し忙しなく感じられるかもしれません。それでも、気の向くままに拾い読みができる気安さは、短編集ならではの美点です。
まずは表題作から一編、といった気軽な入り方を許してくれます。
手に取るなら
版元は扶桑社、扶桑社ミステリーの一冊として、2022年に邦訳が刊行されました。発掘された原稿の訳出と、発見者による解説までを収めた、文字どおりの「完全版」。
長編で名高い黄金期の本格作家が遺した、これまでまとめて読む機会の少なかった短い仕事に、一冊でまるごと触れられる、貴重な集成です。名探偵の推理を短い距離で何度も味わいたい夜に、あるいは一話だけと決めて寝る前に開くような時間に、静かに寄り添ってくれる一冊です。
長編の巨匠が短い器に注いだ本格の粋を、心ゆくまで堪能してください。