ミステリーとしての読みどころ
誰も名乗らない電話が鳴ります。差出人のわからないメールが届きます。
そして敷地のなかに、首を切られたハトが置かれている。大学入学を目前にしたピップの周囲で起きているのは、一つひとつを取り出せば言葉にしにくいほど小さく、しかし並べて眺めると背筋の冷える出来事ばかりです。
『卒業生には向かない真実』は、ホリー・ジャクソンの三部作を締めくくる長編。版元が「ミステリ史上最も衝撃的な三部作完結編」と掲げ、日本の年末ランキングでも押しも押されもせぬ評価を受けた一冊です。
著者について
著者のホリー・ジャクソンは、イギリス、バッキンガムシャーの出身。子どものころから物語を書きはじめ、15歳で最初の小説を完成させたという早熟な書き手です。
ノッティンガム大学で言語学と文芸創作を学び、英語の文学修士号を取得。2019年に刊行したデビュー作『自由研究には向かない殺人』が英米でベストセラーとなり、2020年のブリティッシュ・ブックアワードでチルドレンズ・ブック・オブ・ザ・イヤーを受賞しました。
若い読者に向けた棚から出発した作家、という出自です。
その出自を思うと、日本での受け止められ方はなかなか痛快でした。『優等生は探偵に向かない』を経て2023年に本作が創元推理文庫から刊行されると、〈週刊文春〉2023ミステリーベスト10の海外部門で第1位。
さらに〈ハヤカワ・ミステリマガジン〉「ミステリが読みたい!2024年版」海外篇で第4位、『2024本格ミステリ・ベスト10』海外篇で第5位、『このミステリーがすごい! 2024年版』海外編で第6位と、性格の異なる年末ランキングの上位に軒並み名を連ねています。読み手の好みが割れやすい各誌でこれだけ揃うのは、そう起きることではありません。
物語が動きはじめるのは、高校を終えて大学へ進む、その間際です。ひとつの生活が畳まれ、次の生活はまだ始まっていない。
予定だけが先に埋まっていく、落ち着かない数週間。そこへ、宛先は自分だとしか思えない悪意が滑り込んできます。
電話に出ても相手は何も言いません。受信箱には、素性のわからないアドレスからのメール。
そして決定的なのが、敷地のなかに置かれた、首を切られたハトです。誰かがそこまで歩いて入ってきて、置いて、去っていった。
その事実だけが、痕跡として残されています。
厄介なのは、どれもが単体では訴えの形になりにくいことです。無言電話は間違い電話かもしれません。
メールは悪質ないたずらで片づけられるかもしれません。鳥の死骸にしても、外に持ち出せば動物のしわざと言われてしまうかもしれない。
ストーカーの仕業と思われる、という以上に踏み込めない曖昧さのなかで、出来事だけが着実に数を増やしていきます。恐怖を訴えるための言葉が、ピップの側には最初から足りていません。
そして彼女は、ひとつのことに気づきます。自分の身に起きている行為が、6年前の連続殺人の被害者に起きたこととよく似ている——。
似ている、というのはあくまで気づきの段階にとどまるものです。それでもいったん気づいてしまえば、電話の一本、メールの一通が、まったく別の重さを帯びて見えてきます。
ピップは調査に乗りだします。読者は、その気づきが正しいのかどうかを彼女と同じだけしか知らないまま、同じ速度でページをめくっていくことになります。
読みどころ
読みどころは、調べる者と調べられる対象のあいだに、安全な距離が一切用意されていないところにあります。 玄関先、受信箱、通話の履歴。
調査の現場は、そのままピップが眠り、食事をし、荷造りをしている場所です。事件を外側から観測する足場がないので、手がかりを一つ拾うたびに、危うさが増えていく感覚があります。
ページをめくる手が止まらないと言われるのも道理で、続きが気になるのはもちろん、途中で本を伏せて日常に戻ること自体が、だんだん落ち着かなくなってきます。
もうひとつ、三部作の締めくくりとして読まれてきた作品だという点も見逃せません。版元の紹介は「この真実を、誰が予想できただろう?」というひと言を添えています。
強気な惹句ですが、前述のランキング各誌の結果を見るかぎり、多くの読み手がその言い分に頷いたということでもあります。完結編にここまでの評価が集まるのは、シリーズものとしては幸福な着地と言っていいはずです。
こんな人におすすめ
相性について正直に書いておくと、まず本作は三部作の三冊目なので、『自由研究には向かない殺人』『優等生は探偵に向かない』の順に読んでから手に取るのが前提です。ここから読みはじめるのはもったいない構成になっています。
また、首を切られた鳥のような不快な仕掛けが早い段階から出てきますし、主人公にかかる心理的な圧はかなり強めです。穏やかな謎解きの手ざわりを求めている場合は、覚悟のいる読書になるかもしれません。
逆に、主人公にしっかり肩入れして読むタイプの読者、そして長い時間を確保して一気に読み切りたい読者には、これ以上ない一冊です。
手に取るなら
入手は創元推理文庫版で、訳は服部京子。中央大学文学部卒の翻訳家で、三部作の三冊すべてを一貫して手がけているほか、ホプキンソン『こうしてぼくはスパイになった』などの訳書があります。
巻末には吉野仁氏の解説が付されています。ジャクソンにはこの三部作のほかに『夜明けまでに誰かが』、The Reappearance of Rachel Price(2024)といった著作もあります。
まずは第一作から順に、三冊分の時間をまとめて確保してから読みはじめることをおすすめします。