戦後昭和国内 1979
「あんたは先週死んだ」
妻にそう言われた葬儀屋。
『暗色コメディ』連城三紀彦

書評

暗色コメディ

四人が同時に、自分の目を疑う。連城三紀彦の処女長編で、伊坂幸太郎が惚れ込み復刊を熱望した一作です。

暗色コメディ 表紙画像
連城三紀彦 双葉社(双葉文庫)1979年
目次

四人とも、自分の目を疑うところから始まります。もう一人の自分を目撃したという人妻。

自分を轢き殺したはずのトラックのほうが消えてしまった、"消失狂"と呼ばれる画家。家に帰ると妻から「あんたは一週間前に事故で死んだ」と告げられる葬儀屋。

隣で眠っている妻が別人にすり替わっていると訴える外科医。連城三紀彦『暗色コメディ』は、この四つの狂気を並べて幕を開ける処女長編です。

1979年に幻影城ノベルスから出た本で、いま手に取れるのは、2021年に双葉文庫から出た新装版です。

物語の入り口

人妻は、もう一人の自分を見ました。見間違いではないと、本人は言います。

画家は、自分を轢き殺したはずのトラックが消えたと言います。轢かれた自分のほうは、ここにいる。

葬儀屋は、家に帰った途端、妻の口から自分が一週間前に事故で死んだと聞かされます。死んだ人間が、いま妻の前に立っている。

外科医は、目を覚ますと隣の妻が別人になっていると訴えます。顔も声も同じなのに、別人だと。

四人の職業は、人妻、画家、葬儀屋、外科医。年齢も暮らしも別々で、ただ一つ、自分の見ているものを誰にも信じてもらえないという点だけが共通しています。

四人が置かれているのは、同じ形の袋小路です。自分の認識のほうがおかしいのか、それとも世界のほうが狂っているのか。

どちらかを選ばなければ、次の一歩が踏み出せません。周囲は正気の側に立ち、四人だけが取り残されます。

四人はそれぞれに困惑し、追い詰められ、自分なりの答えを求めて動き始めます。

「暗色コメディ」という題のとおり、この不条理な状況には、どこか奇妙な可笑しみが漂っています。妻から死んだと告げられた葬儀屋が、その職業のまま自分の生死を確かめにかかる。

轢かれたはずの画家が、消えたトラックのほうを気にしている。深刻なはずの場面が、少しだけずれた角度から見えてきます。

もう一人の自分を見たという人妻の証言も、妻を別人だと言い張る外科医の訴えも、語られるほどに真剣で、真剣であるほど可笑しく響きます。読者は、四人の言い分をどれも信じきれないまま聞いていくことになります。

笑っていいのか、怯えるべきなのか。その判断がつかないまま、四つの狂気は並走します。

読みどころ

読みどころは、緻密な構成と、儚く美しい風景描写とが、ひとつの物語のなかで手を組んでいる点にあります。 狂気を並べた発端の奇抜さだけなら、書ける人はほかにもいるでしょう。

連城が違うのは、その奇抜さを支える組み立ての細かさと、場面の一つひとつに落とされる景色の美しさが、同じ筆から出てくるところです。処女作の時点で、その両方がすでに揃っています。

のちに恋愛小説で直木賞を受ける筆が、ここでは狂気の描写に向けられている。その景色の儚さが、不条理な話に確かな手ざわりを与えています。

もうひとつは、笑いと不安の配合です。暗色、そしてコメディ——題名は二つの色を一度に指しています。

不条理な状況に置かれた人間は、傍から見れば滑稽で、当人にとっては切実です。その二つの見え方を、どちらも手放さずに書く。

可笑しみが不安を薄めるのではなく、可笑しみがあるからこそ不安が長く続く、という読み味です。

殺人と名探偵という型を期待して開くと、入り口の景色は見慣れないものに映るかもしれません。ここにあるのは事件の報告ではなく、狂気と呼ばれる四つの状態です。

ただ、その状態の一つひとつを丁寧に見ていく作業こそが、本格としてのこの本の楽しみそのものです。

作品の背景

本作は1979年6月、連城三紀彦が短編「変調二人羽織」で第3回幻影城新人賞を受けて世に出た翌年に、同じ幻影城のノベルスから出ました。のちに本格ミステリの枠を越えて評価を広げていく作家の、出発点のすぐ隣に置かれた一作にあたります。

刊行をめぐる事情は、この本を語るときに欠かせません。世に出るのとほぼ同時に、幻影城そのものが倒産しました。

本は書店から消え、長いあいだ入手の難しい一冊でした。後年に文春文庫などで復刊された時期もありますが、現行の新装版が双葉文庫から出たのは2021年のことです。

復刊を熱望したのは、伊坂幸太郎でした。同時代の第一線にいる作家が惚れ込み、40年以上前の処女作を書店の棚に戻した。

この事実ひとつで、本作が連城の本格の核に触れる一作だということは伝わるはずです。

手に取るなら

現行版は双葉文庫の新装版(2021年)です。幻影城ノベルスの初刊から40年以上——ようやく新刊書店で手に取れるようになりました。

連城三紀彦の長編を出発点から追うなら、ここが最初の扉になります。『戻り川心中』の短編で連城を知った読者も、恋愛小説の側から入った読者も、四人の困惑に付き合うところから始めてみてください。

連城三紀彦について

連城三紀彦は1948年、名古屋市の生まれです。本名は加藤甚吾で、早稲田大学政治経済学部を卒業しています。

短編「変調二人羽織」が第3回幻影城新人賞に入選し、同作が『幻影城』1978年1月号に載って世に出ました。1981年に「戻り川心中」で第34回日本推理作家協会賞(短編部門)、1984年には『宵待草夜情』で第5回吉川英治文学新人賞、『恋文』で第91回直木賞を受けています。

大胆な仕掛けと叙情の濃い文章を一つの作品のなかに同居させる作風で知られ、ミステリの技法を心の機微の描写に生かした恋愛小説でも評価を得ました。直木賞のあとは大衆小説に軸足を移しながら、誘拐ものや心理劇などのミステリも書き続けました。

1987年に得度した真宗大谷派の僧侶でもありました。1996年には『隠れ菊』で柴田錬三郎賞を受けています。

2013年10月に65歳で亡くなり、翌年、日本ミステリー文学大賞特別賞が贈られました。

書誌情報

出版社
双葉社 / 双葉文庫
刊行年
1979
ISBN-13
9784575524611
系譜
戦後昭和国内

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この記事を書いた人

リットン

都内金融機関で経営企画とデータアナリストをしているアラサー。
文系の非エンジニアですが、独学で始めた Python と生成AIにすっかりはまりました。
プログラミング・サッカー・ミステリ紹介など、好きなことを好きに書いています。

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