試験問題の漏洩を追う。
明智恭介の奔走
探偵に憧れて名刺を配り歩く大学生。『屍人荘の殺人』以前の、小さくて騒がしい5つの謎。
名刺を配り歩く大学生がいます。神紅大学ミステリ愛好会の会長・明智恭介です。
小説に出てくる探偵に憧れ、依頼が舞い込むのを待つのではなく、自分から事件を探しに出かけていく。今村昌弘『明智恭介の奔走』は、彼が助手とともに向き合った五つの事件を収めた作品集で、〈明智恭介〉シリーズの第一短編集にあたります。
物語の入り口
明智恭介は神紅大学ミステリ愛好会の会長で、葉村譲はその助手です。そして葉村は、愛好会でただ一人の会員でもあります。
つまり会長と助手、この二人で会の全員という勘定になる。所帯は小さく、看板だけは立派な愛好会です。
小説のなかの名探偵に憧れる彼は、名刺を刷っては配り、事件がやって来るのを待ちきれずに自分から探しに出ます。そんな人物が、ありふれた大学生活のなかで、はたしてミステリ小説のような謎に出合えるのか。
五編を束ねているのは、この問いです。明智の場合、探偵の看板のほうが先にあり、謎は後から自分の足で探しにいくものです。
名刺配りは、その問いに自分で答えを出しにいく行動でもあります。
収録は書き下ろしを含む全5編で、目次には「最初でも最後でもない事件」「とある日常の謎について」「泥酔肌着引き裂き事件」「宗教学試験問題漏洩事件」「手紙ばら撒きハイツ事件」の題が並びます。
扱われる騒ぎのうち、三つを挙げておきます。大学のサークル棟で起きた不可解な盗難騒ぎ。
商店街で噂されている日常の謎。そして、夏休みを目前に控えた時期に起きた試験問題の漏洩事件。
いずれも誰かの命がかかった大事件ではなく、キャンパスとその近くの商店街という、歩いて回れる範囲で持ち上がる謎です。名探偵に憧れる会長が、名刺を配ってまで探し求めていた種類の事件です。
読者は、二人しかいない愛好会に三人目の会員として迎え入れられたような位置に立たされます。名探偵志願の会長と、ただ一人の会員である助手。
この二人組が、五つの謎に順に向き合っていきます。
読みどころ
題名が示すのは、事件に呼ばれる探偵ではなく、事件を探して走り回る探偵の姿です。
明智は、事件が起きるのを座って待ちません。噂を拾い、謎がありそうな場所へ自分から出向く——題名の「奔走」は、その足取りを指しています。
ミステリ小説のような謎に出合えるのか、という問いは、裏を返せば、ミステリを愛する人間が現実のなかで探偵になろうとする可笑しさそのものです。目次の題名からして、「泥酔肌着引き裂き事件」「手紙ばら撒きハイツ事件」と、どこか間の抜けた響きを帯びています。
もうひとつは、謎の大きさです。サークル棟の盗難、商店街の噂、試験問題の漏洩——三つの騒ぎは、どれも学生の暮らしのすぐそばにあります。
大がかりな舞台装置に頼らず、身近な出来事を謎として立ち上げる。場所はサークル棟と商店街、時期は夏休み前の試験の頃と、見慣れた時間と場所ばかりが選ばれています。
題材が身近であるぶん、一編ごとの謎の輪郭はつかみやすいはずです。そうした手の届く範囲の事件ばかりを集めた短編集が、〈週刊文春〉の年末ランキングで国内7位に入っています。
こんな人におすすめ
日常の謎を扱う連作が好きな方、一編ずつ区切って読み進めたい方に向きます。探偵に憧れる人物の大まじめな奔走を、少し距離を置いて眺めるのが楽しい読者にも。
反対に、密室や連続殺人のような大がかりな事件を期待して開くと、騒ぎの規模に肩透かしを覚えるかもしれません。探偵小説を愛読し、自分も探偵になれたらと一度でも思ったことのある方にも薦めます。
作品の背景
『明智恭介の奔走』は2024年6月、東京創元社から四六判上製の単行本として刊行されました。同年の〈週刊文春〉ミステリーベスト10では、国内部門の7位に入りました。
長い物語で評価を固めてきた今村昌弘が、ひとりの探偵役に焦点を絞り、短い形式で束ねたのがこの作品集です。
手に取るなら
現在は、2024年6月刊の東京創元社の単行本(四六判上製、296ページ、税込1,870円)で読めます。装画は遠田志帆、装幀は鈴木久美が手がけました。
描かれるのは『屍人荘の殺人』以前の事件で、この作品集は単独で読めます。書き下ろしを含む全5編を、目次の順に追っていけば足ります。
名刺一枚を手に謎を探しに出る会長と、その唯一の会員による、五つの小さな事件の記録です。
今村昌弘について
今村昌弘は1985年、長崎県の生まれで、兵庫県で育ちました。岡山大学で放射線技術を学び、卒業後は診療放射線技師として働きながら小説を書き続け、29歳で職を離れて執筆に打ち込みます。
2017年、『屍人荘の殺人』で第27回鮎川哲也賞を受けてデビューし、同作は翌年に第18回本格ミステリ大賞[小説部門]も受けました。
その後は剣崎比留子を探偵役とするシリーズとして『魔眼の匣の殺人』『兇人邸の殺人』を書き継ぎ、シリーズの外でも、ジュブナイルとオカルトを取り込んだ『でぃすぺる』や、明智恭介を主役に据えた短編集『明智恭介の奔走』を発表しています。2021年にはテレビドラマ『ネメシス』に脚本協力として加わるなど、小説の外にも仕事を広げています。
書誌情報
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