戦後昭和国内 1982
完璧な写実画の少女。
その手に指が六本ある。
『亜愛一郎の転倒』泡坂妻夫

書評

亜愛一郎の転倒

真相に届くと白目をむくカメラマン探偵、亜愛一郎の第2短編集。8編を収める。

亜愛一郎の転倒 表紙画像
泡坂妻夫 東京創元社(創元推理文庫)1982年
目次

完璧な写実性で注目された画家の絵のなかに、数々の不思議が見出されます。手の指が六本ある少女。

針の間違っている時計。開けられないドア。

それらは、何を意味するのか。さらに、一夜にして忽然と消失した合掌造りの家。

タクシーの後部座席に、突然出現した死体。『亜愛一郎の転倒』は、ちょっとした不合理から思いもかけぬ結論を導き出す探偵、亜愛一郎の活躍を集めた一冊です。

雲や虫や化石を撮る学術系カメラマンが、出向いた先々で出会う小さな不合理。全24編、3冊からなるシリーズの第2集で、8編を収めます。

物語の入り口

収録されているのは8編。「藁の猫」「砂蛾家の消失」「珠洲子の装い」「意外な遺骸」「ねじれた帽子」「争う四巨頭」「三郎町路上」「病人に刃物」。

ここで触れるのは、三つの謎です。

ひとつ目は、絵のなかの不思議です。完璧な写実性で注目された画家の絵に、おかしなものが描かれている。

手の指が六本ある少女。針の間違っている時計。

開けられないドア。写実の画家が、なぜそんなものを描いたのか。

完璧な写実を誇る絵に、間違いが紛れ込んでいる。それだけで、十分に不思議です。

ふたつ目は、一夜にして忽然と消失した、合掌造りの家。大きな家が、一晩で消える。

みっつ目は、タクシーの後部座席に突然出現した死体。後部座席に、いつのまにか死体がある。

亜愛一郎は、こうした不合理に出会います。ちょっとした不合理から、思いもかけぬ結論を導き出す。

それが、この探偵役の型です。学術系のカメラマンで、雲や魚や虫や化石を撮る。

35歳くらいの独身で、長身で美貌。ところが言動は風変わりで、真相に届くと白目をむく癖がある。

前作から引き続き、その造形は健在で、むしろ冴えています。

読者は、亜愛一郎が出向いた先々で、彼と一緒に小さな不合理に出くわすことになります。六本指の少女の絵、消えた家、タクシーの死体。

どれも、日常のなかにぽつんと置かれた、説明のつかない一点です。その一点から、思いもかけぬ結論へ。

一編ずつ区切って読める短さのなかで、その飛躍が八度、繰り返されます。

読みどころ

写実の絵に紛れた小さなおかしさから、亜愛一郎の論理は、誰も見込んでいなかった地点まで一足に跳んでいきます。 六本の指、狂った針、開かないドア。

写実の絵のなかの小さなおかしさが、探偵役の目に留まる。消えた家も、タクシーの死体も、同じです。

派手な事件ではなく、ちょっとした不合理。そこから論理が飛躍する。

その鮮やかさは、第1作から少しも衰えていません。むしろ、素材の幅は広がっています。

もうひとつは、探偵役の造形です。長身で美貌の学術系カメラマンが、言動は風変わりで、真相に届くと白目をむく。

風変わりな言動と、真相に届いた瞬間の奇癖。その二つが、一人の探偵の顔として定まっています。

軽妙なユーモアと、論理の切れ味。その両方を、8編それぞれで、たっぷり味わえます。

『幻影城』と『野性時代』、二つの雑誌で数年にわたって書き継がれた8編ですが、探偵の型は一編ごとにぶれません。

こんな人におすすめ

クセの強い名探偵を好む読者、軽妙なユーモアと論理の切れ味を同時に求める読者に向いています。文庫342ページに8編、一編ごとに事件が閉じる作りなので、一話読んでは頁を閉じ、翌日また一話、という読み方もできます。

『亜愛一郎の狼狽』を読んだ人は、そのまま続けて第2集へ進めます。逆に、長編の重量感を求める気分のときには、八つの短い不合理は少し軽く感じられるかもしれません。

作品の背景

亜愛一郎シリーズは、『亜愛一郎の狼狽』『亜愛一郎の転倒』『亜愛一郎の逃亡』の3冊、全24編からなります。第1作の『狼狽』は、『東西ミステリーベスト100』2012年版の国内16位。

本作はその第2集です。初出は『幻影城』の1977年9月号から1979年7月号にかけての6編と、『野性時代』1980年2月号と6月号の2編。

1982年7月に角川書店から一冊にまとまりました。現行版は創元推理文庫で342ページ、解説は田中芳樹です。

電子版もあります。

手に取るなら

現行版は創元推理文庫。亜愛一郎シリーズの第2集ですが、一編ずつ区切って読めますから、ここから入っても問題ありません。

とはいえ、探偵役の造形を知っているほうが楽しめますから、『亜愛一郎の狼狽』の次に読むのが自然です。六本指の少女の絵の前に、亜愛一郎と一緒に立ってみてください。

白目をむく瞬間まで、目を離さずに。

泡坂妻夫について

泡坂妻夫は1933年、東京・神田の生まれで、本名は厚川昌男です。筆名は本名のアナグラムになっています。

生家は着物に家紋を描き入れる紋章上絵師で、作家になってからも家業を続けました。奇術師としての顔も持ち、1969年には創作奇術をまとめた作品集で第2回石田天海賞を受けています。

1976年、短編「DL2号機事件」が第1回幻影城新人賞の佳作に入ってデビューしました。1978年に『乱れからくり』で第31回日本推理作家協会賞、1982年に『喜劇悲奇劇』で第9回角川小説賞を受けます。

のちには職人の世界を描く人情ものにも筆を広げ、1988年に『折鶴』で第16回泉鏡花文学賞、1990年に『蔭桔梗』で第103回直木賞を受けました。探偵役には亜愛一郎、曾我佳城、ヨギ ガンジーらがいます。

2009年に75歳で亡くなっています。

書誌情報

出版社
東京創元社 / 創元推理文庫
刊行年
1982
ISBN-13
9784488402150
系譜
戦後昭和国内 / 連作短編 · 名探偵もの

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この記事を書いた人

リットン

都内金融機関で経営企画とデータアナリストをしているアラサー。
文系の非エンジニアですが、独学で始めた Python と生成AIにすっかりはまりました。
プログラミング・サッカー・ミステリ紹介など、好きなことを好きに書いています。

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