声は婚約者にも聞こえない。
幽霊刑事
殺された刑事と彼だけが見える後輩が、自分の死の謎へ挑む哀切な長編。
神崎達也、職業は刑事。美人のフィアンセを残して、無念にも射殺された。
はずが、幽霊に。『幽霊刑事』は、主人公自身のそんな口調で幕を開けます。
刑事の神崎達也は、フィアンセを残して射殺され、幽霊になってしまいました。肉体はなく、恋人にも家族にも姿は見えず、声も届かない。
捜査の外側に放り出された彼が、それでも追わずにいられないのは、自分が撃たれた理由です。いったい、真犯人は誰なのか。
そして自分は、どうなってしまうのか。ミステリーとラブストーリーが融合した長編で、『本格ミステリ・ベスト10』2001年版の国内部門で第8位に入りました。
物語の入り口
刑事の神崎達也は、射殺されました。結婚を目前にして、美人のフィアンセを残して。
無念、という言葉では足りない死です。ところが、話はそこで終わりません。
神崎は、幽霊になっていました。死んだはずの自分が、死んだ場所の近くに、まだいる。
刑事にとって、これほど奇妙な状況はありません。
幽霊になった神崎には、肉体がありません。恋人にも、家族にも、姿は見えない。
声も届かない。刑事として事件を追ってきた男が、自分自身の死という事件の、いちばん外側に放り出される。
誰にも気づかれず、何にも触れられない。それでも彼は、追わずにいられません。
真犯人は誰なのか。自分はどうなってしまうのか。
この二つの問いを抱えて、見えない刑事の捜査が始まります。手がかりに触れることも、誰かに尋ねることもできない捜査です。
神崎を唯一認識し、言葉を交わせる人物がいます。霊媒体質の後輩刑事、早川です。
見えない主人公と、彼だけが見える後輩。二人は、互いに足りないものを補いながら動くことになります。
神崎には捜査の経験があり、早川には肉体がある。幽霊と生者の凸凹コンビが、自分の死の謎を追う。
奇抜な導入ですが、そこから育っていくのは、捜査の面白さと、残された者への思いの両方です。
読者は、見えない刑事の隣に立たされます。誰にも見えず、声も届かない。
その状況は、可笑しくもあり、痛くもある。フィアンセに思いを伝えられない痛みと、幽霊ゆえの珍妙な場面が、同じページに同居している。
ミステリーとラブストーリーの融合、という言葉は、この同居のことを指しています。
読みどころ
殺された刑事本人が、誰にも見えない幽霊のまま、自分が撃たれた謎を追いかけていきます。 被害者が探偵役を兼ねる、というだけなら趣向の話で済みますが、その探偵には肉体がなく、誰にも見えない。
捜査の手段は、後輩の早川を通すしかない。特殊な設定が、そのまま謎解きの条件になっています。
論理派本格の書き手が、この条件でどんな謎解きを組み立てるのか。それが本作の骨格です。
特殊設定を、ただの飾りにはしていません。見えない刑事にできることと、できないこと。
その線引きが、推理の手順をそのまま縛っています。
もうひとつは、哀切さです。結婚を目前にして死んだ男が、幽霊になって恋人のそばにいる。
姿も見えず、声も届かない。見えない主人公ゆえの可笑しさと、思いを届けられない痛みが、最後まで同居しています。
ラブストーリーという言葉は、飾りではありません。読み終えたあとに残るのは、謎の答えだけではない一冊です。
こんな人におすすめ
特殊設定ミステリを好む読者、凸凹コンビの掛け合いに惹かれる読者に向いています。有栖川有栖のシリーズ外の作品を探している人にも、まず薦めたい一冊です。
哀切な物語を好む人にも。604ページの分量ですが、幽霊と後輩の掛け合いが軽やかで、読む速度は落ちません。
逆に、幽霊という設定そのものに抵抗がある人は、最初の数ページで少し戸惑うかもしれません。その戸惑いは、すぐに慣れます。
慣れたころには、見えない刑事の隣が、いちばん居心地のいい席になっています。
作品の背景
刊行は2000年、講談社から。『本格ミステリ・ベスト10』2001年版の国内部門で第8位に入りました。
現行版は幻冬舎文庫の新版で、2018年刊、604ページ。電子書籍もあります。
新版で手に取りやすくなりました。
手に取るなら
現行版は幻冬舎文庫の新版。霊媒体質の後輩・早川を主人公にしたスピンオフ「幻の娘」を併録した版ですから、これから読むならこの版を。
シリーズには属さない単独の長編で、有栖川有栖の他の作品を読んでいなくても問題ありません。神崎達也、職業は刑事。
その声を聞くところから、始めてください。
有栖川有栖について
有栖川有栖は1959年、大阪市の生まれです。小学生のころから推理作家を志し、同志社大学法学部では推理小説研究会に所属しました。
卒業後は書店に勤めながら書き続け、1989年に『月光ゲーム Yの悲劇'88』でデビューします。1994年に書店を辞め、専業作家になりました。
作品は大きく二つの系列に分かれます。江神二郎が探偵役を務める学生アリスのシリーズと、臨床犯罪学者の火村英生と推理作家の有栖川有栖が組む作家アリスのシリーズです。
2003年に『マレー鉄道の謎』で第56回日本推理作家協会賞、2008年に『女王国の城』で第8回本格ミステリ大賞、2018年に火村英生シリーズで第3回吉川英治文庫賞、2022年に第26回日本ミステリー文学大賞を受けました。2000年から2005年までは本格ミステリ作家クラブの初代会長も務めています。
書誌情報
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