戦後昭和国内 1987
盗むと予告して、
警官の前で盗んでいく。
『妖盗S79号』泡坂妻夫

書評

妖盗S79号

神出鬼没の怪盗と刑事たちの追走を、奇想と笑いで束ねた連作推理。

妖盗S79号 表紙画像
泡坂妻夫 文藝春秋(文春文庫)1987年
目次

予告状が届き、警察が名品のまわりを固める。それでも、予告した時に名品は消えている。

怪盗S79号は、その盗みを何度でもやってのけます。『妖盗S79号』は、この怪盗と、警戒をかいくぐられる刑事たちを描く12編の連作で、盗みのたびに異なる謎と、軽妙な追走劇が展開します。

紋章上絵師と奇術家の顔も持った泡坂妻夫らしく、精密な発想とユーモアが、同じ歩調で進む。1987年の単行本から文春文庫を経て、2018年には河出文庫で復刊された、遊び心に富む怪盗譚です。

物語の入り口

怪盗S79号は、神出鬼没です。予告状を出し、その予告どおりに、名品を奪い去る。

警察は、厳重な警戒を敷きます。それでも、盗まれる。

警戒の目が集まる場所から、予告した品を、予告した時に奪う。どう奪ったのか、見張っていた誰にも説明がつきません。

予告があるのだから、警察は備えられる。備えているのに、奪われる。

この繰り返しが、連作の骨格です。

12編、それぞれに盗みの予告があります。そのたびに、別の不可能状況が立ち上がる。

入口の状況は、ひと目でつかめます。ここに名品があり、ここに警察がいて、ここに予告状がある。

それなのに、答えへの道筋は、すぐには見えない。どうやって奪ったのか。

奇術を思わせる見せ方と、手がかりを拾い直す推理の手触りが、一編ごとに並走します。

怪盗S79号とは何者なのか。その問いが、12編を貫く縦糸です。

予告状という仕掛けが、この勝負を毎回やり直させます。何を、いつ奪うのかは、あらかじめ告げられている。

守る側は万全の布陣を敷く時間を与えられ、怪盗の側は手の内の半分を見せてから挑む。条件は警察に有利なはずなのに、名品は消えるのです。

追う側と追われる側。その構図が、12編の土台です。

読者は、警戒の輪のなかに、刑事たちとともに立たされます。目の前で、名品が消える。

どうやって。深刻一辺倒にならないユーモアが、この追走劇の空気を軽くしています。

難問に構えすぎず、挑めばいい。12の盗みを、12の不可能状況として楽しむ。

それが、この連作の読み方です。予告状が届き、警戒が敷かれ、名品が消える。

その型が毎回同じだからこそ、どこで出し抜かれたのかを探す目は、話を追うごとに鋭くなっていきます。

読みどころ

入口の状況はひと目でつかめるのに、答えへの道筋はなかなか見えない。その距離が、一編ごとに組み直されます。

予告状、名品、警戒、そして消失。同じ枠組みのなかで、12度、違う謎が組み上がる。

奇術を思わせる見せ方は、奇術家でもあった作家ならではのものです。精密な発想と、ユーモア。

その二つが、同じ歩調で進んでいきます。不可能を見せる技術と、それを解く論理。

奇術と本格は、この作家のなかで最初から地続きです。

もうひとつは、軽さです。怪盗ものは、深刻にもなれば、軽妙にもなる。

本作は、明らかに後者です。警戒をかいくぐられる刑事たちの追走劇には、笑いがあります。

予告状を受けて身構える警察と、その目の前で消える名品。備えが厳重であればあるほど、出し抜かれたときの落差は大きくなり、そこに可笑しみが生まれます。

難問を前にしても構えすぎずにいられるのは、この落差があるからです。

こんな人におすすめ

軽妙なユーモアのある本格を好む読者、怪盗ものの追走劇に惹かれる読者に向いています。泡坂妻夫の遊び心を味わいたい人にも、まず薦めたい一冊です。

逆に、深刻な事件の重みや、人間ドラマの厚みを求める気分のときには、この連作の軽やかさは少し物足りないかもしれません。軽やかさが、本作の芸です。

肩の力を抜いて、怪盗の手口に唸ってください。

作品の背景

本作の単行本は1987年7月、文藝春秋から刊行されました。1990年6月に文春文庫、2018年1月に河出文庫で復刊。

全12編です。河出文庫版には法月綸太郎の解説が収められています。

文春文庫版は絶版ですが、河出文庫版と電子書籍で読めます。12編というまとまりは、一度に読み切るにも、一話ずつ読むにも向いた分量です。

1987年の単行本から2018年の河出文庫まで、30年余りのあいだに三つの版を重ねてきた連作です。

手に取るなら

現行版は河出文庫、または電子書籍。シリーズには属さない独立した連作ですから、泡坂妻夫の他の作品を読んでいなくても問題ありません。

予告状が届いたところから、刑事たちとともに警戒の輪に加わってください。備えても備えても、名品は消えていきます。

予告状は、12度届きます。そのたびに警戒の輪のどこが破られたのかを、刑事たちと一緒に探し直す。

その繰り返しが、12編の最後まで続きます。

泡坂妻夫について

泡坂妻夫は1933年、東京・神田の生まれで、本名は厚川昌男です。筆名は本名のアナグラムになっています。

生家は着物に家紋を描き入れる紋章上絵師で、作家になってからも家業を続けました。奇術師としての顔も持ち、1969年には創作奇術をまとめた作品集で第2回石田天海賞を受けています。

1976年、短編「DL2号機事件」が第1回幻影城新人賞の佳作に入ってデビューしました。1978年に『乱れからくり』で第31回日本推理作家協会賞、1982年に『喜劇悲奇劇』で第9回角川小説賞を受けます。

のちには職人の世界を描く人情ものにも筆を広げ、1988年に『折鶴』で第16回泉鏡花文学賞、1990年に『蔭桔梗』で第103回直木賞を受けました。探偵役には亜愛一郎、曾我佳城、ヨギ ガンジーらがいます。

2009年に75歳で亡くなっています。

書誌情報

出版社
文藝春秋 / 文春文庫
刊行年
1987
ISBN-13
9784167378042
系譜
戦後昭和国内

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リットン

都内金融機関で経営企画とデータアナリストをしているアラサー。
文系の非エンジニアですが、独学で始めた Python と生成AIにすっかりはまりました。
プログラミング・サッカー・ミステリ紹介など、好きなことを好きに書いています。

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