布教冊子に企みがある。
しあわせの書
二代目教祖の継承争いで揺れる教団に、ターバン姿の妙な探偵が乗り込むシリーズ第2作。
二代目教祖の継承問題で揺れる宗教団体、惟霊講会。布教のために配られる小冊子「しあわせの書」には、ある企みが封じ込められています。
物語は、その企みの気配を抱えたまま動き出します。探偵役は、ヨギ ガンジー。
ドイツ人とミクロネシア人と大阪人の血をひくと称し、ターバンに長い白衣という風体の、正体不明の男です。泡坂妻夫『しあわせの書』の副題は「迷探偵ヨギ ガンジーの心霊術」。
1987年に新潮文庫の書き下ろしとして世に出て、『東西ミステリーベスト100』2012年版では国内68位に選ばれました。胡散臭さを隠そうともしない探偵と、跡目で揺れる教団。
この取り合わせだけで、幕開けから妙なにぎやかさが立ちのぼります。
物語の入り口
舞台は、惟霊講会という宗教団体です。二代目教祖の継承問題で、教団は揺れています。
誰が跡を継ぐのか。その争いのなかに、布教のための小冊子があります。
題名は「しあわせの書」。信者に向けて配られる、教えの本です。
その小冊子に、驚くべき企みが封じ込められている。二代目を誰にするかで揺れる共同体は、それだけで内側の視線が張りつめる場所です。
跡目の行方が定まらない教団と、信者の手に渡っていく小冊子——穏やかならぬ気配は、その二つのあいだに漂っています。
そこへ乗り込んでいくのが、ヨギ ガンジーです。ドイツ人とミクロネシア人と大阪人の血をひく、と本人は称します。
ターバンを巻き、長い白衣をまとい、ヨーガ、すり、催眠術と多芸で、正体は不明。名探偵ではなく、迷探偵。
教団の心霊術に、迷探偵の心霊術で向き合う。副題が示すとおりです。
真面目な名探偵ではなく、どこか胡散臭い迷探偵だからこそ、宗教団体の内側に入り込めるのかもしれません。
読者は、この妙な探偵の後ろについて、揺れる教団に入っていくことになります。読み方について、ひとつだけ。
予備知識を入れずに、最初のページから順に読んでください。
読みどころ
継承争いで揺れる教団に、ターバン姿の妙な探偵が乗り込み、教団の心霊術と渡り合います。 宗教団体の内紛という重くなりがちな題材を、迷探偵ヨギ ガンジーの飄々とした立ち居振る舞いが、軽く運んでいく。
ヨーガ、すり、催眠術。多芸で正体不明の男が、張りつめた教団の空気をかき回していく。
継承争いの緊張と、迷探偵の軽さ。その落差が、読み心地を軽やかにしています。
重い題材を軽く運ぶその手つきに、この作家の持ち味がよく出ています。
もうひとつは、題に仕込まれた遊び心です。肩書きの一字が巻ごとに変わるだけでなく、題の後ろ半分も、第1作の妖術から第2作の心霊術、第3作の透視術へと移っていきます。
どの巻も、正体不明の男の術の名を看板に掲げているわけです。名探偵という肩書きより先に術の名が立つ題の付け方が、胡散臭さも込みで楽しむ探偵なのだと告げています。
連作短編集だった第1作に対し、この第2作は文庫書き下ろしで、ヨーガにすり、催眠術と芸の多いこの男を、揺れる教団という一つの舞台でじっくり動かしています。
こんな人におすすめ
ターバン姿の男が、教団の心霊術に自分の心霊術で渡り合う。この取り合わせを面白がれる人なら、跡目争いという重い題材も、胡散臭い迷探偵の足どりに乗って軽く読み進められます。
亜愛一郎や曾我佳城で泡坂妻夫に親しんできた人には、同じ作家の別の探偵役に出会う機会になりますし、第1作の『ヨギ ガンジーの妖術』を飛ばしてここから入っても支障はありません。逆に、宗教という題材の重さそのものを掘り下げる小説を期待すると、迷探偵の軽さが肩透かしに映るかもしれません。
作品の背景
本書はヨギ ガンジーシリーズの第2作。第1作は連作短編集『ヨギ ガンジーの妖術』で、1984年1月に新潮社から、1987年1月に新潮文庫に入りました。
本作は1987年7月、新潮文庫の書き下ろしとして刊行され、256ページ。第3作は1994年10月の『生者と死者』です。
探偵の呼び名は巻ごとに字が変わり、名探偵、迷探偵、酩探偵と続きます。本作は「迷探偵」の巻です。
『東西ミステリーベスト100』2012年版で国内68位、2012年には中国語版も出ました。刊行から四十年近くを経て、なお読み継がれている一冊です。
手に取るなら
現行版は新潮文庫、256ページ。ヨギ ガンジーシリーズの第2作ですが、本作から入っても問題ありません。
シリーズを刊行順に追うなら、連作短編集の第1作『ヨギ ガンジーの妖術』から入り、この第2作を経て、1994年の『生者と死者』へ進む流れになります。揺れる教団へ、ターバンの迷探偵とともに乗り込んでください。
読み終えたら、誰かに薦めたくなるはずです。
泡坂妻夫について
泡坂妻夫は1933年、東京・神田の生まれで、本名は厚川昌男です。筆名は本名のアナグラムになっています。
生家は着物に家紋を描き入れる紋章上絵師で、作家になってからも家業を続けました。奇術師としての顔も持ち、1969年には創作奇術をまとめた作品集で第2回石田天海賞を受けています。
1976年、短編「DL2号機事件」が第1回幻影城新人賞の佳作に入ってデビューしました。1978年に『乱れからくり』で第31回日本推理作家協会賞、1982年に『喜劇悲奇劇』で第9回角川小説賞を受けます。
のちには職人の世界を描く人情ものにも筆を広げ、1988年に『折鶴』で第16回泉鏡花文学賞、1990年に『蔭桔梗』で第103回直木賞を受けました。探偵役には亜愛一郎、曾我佳城、ヨギ ガンジーらがいます。
2009年に75歳で亡くなっています。
書誌情報
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