戦後昭和国内 1963
解散を決めた社長が急死。
揉めていた相手は従業員。
『陽気な容疑者たち』天藤真

書評

陽気な容疑者たち

蔵の中の急死をめぐる密室ものに、ユーモアと機知を控えめに配した長編推理。

陽気な容疑者たち 表紙画像
天藤真 東京創元社(創元推理文庫)1963年
目次

推理小説に、笑いはどこまで持ちこめるのでしょうか。謎解きの緊張と、人を笑わせる機智とを、一つの事件のなかに同居させる。

天藤真『陽気な容疑者たち』は、大下宇陀児にその両立を評されて世に出た、作家の最初の長編です。経理事務所、鉄工所、会社の解散という地に足のついた題材の先に、蔵の中の急死が待っています。

物語の入り口

主人公は、伯父の経理事務所に勤めています。経理事務所は、顧客の会社の帳簿を預かり、数字の面からその商いを支える仕事場です。

探偵でも警察官でもなく、数字を扱う勤め人。この物語の中心に立つのは、そういう人物です。

事務所の顧客のひとつに、鉄工所があります。その経営者が、会社を解散しようと決意しました。

会社をたたむという決断は、そこで働く人たちの暮らしに直結します。経営者と従業員とのあいだに対立が生まれ、主人公はその揉め事に巻き込まれていきます。

自分から首を突っこんだわけではなく、事務所の仕事として関わっていた顧客の問題が、そのまま身に降りかかってくる形です。

そのさなかに、事件が起こります。蔵の中で、鉄工所の経営者が急死するのです。

会社の解散をめぐって従業員と対立していた当人が、突然この世を去る。解散はどうなるのか、対立はどこへ向かうのか。

帳簿の上の問題として始まったはずの話が、ここで一気に別の相貌を帯びます。

経理の帳簿と、鉄工所と、蔵。事件を取り巻く道具立ては、どれも日々の暮らしのすぐそばにあるものです。

そこに置かれた急死が、密室の謎として立ち上がってくる。会社の解散という世知辛い揉め事のただなかに、謎が据えられているのです。

ページをめくる側は、仕事の成り行きで事件に居合わせた勤め人の隣に立たされ、揉め事の熱と、急死という出来事の冷たさとを、同じ場所で受け止めることになります——伯父の事務所の一員として関わっていた顧客の問題が、ここから謎解きの舞台に変わっていきます。

読みどころ

笑いと密室とを同じ器に盛りつける、その配分の加減こそが、この作品の芯です。

大下宇陀児が推したのは、推理小説に持ちこみにくい笑いや機智を控えめに配りながら、密室の事件をきちんと組み上げている点でした。効いているのは笑いの量ではなく、抑えの効かせ方です。

ユーモアは謎解きの骨格を崩すほど前に出ることなく、それでいて全体の調子を明るく保っています。

もうひとつは、この作品が一人の作家の出発点であることです。記者、農業、教職と歩いてきた書き手が、最初の長い作品で選んだのは、会社の解散と労使の対立という、生活に根ざした題材でした。

その足場の上に密室を組み上げ、なお明るい調子を失わない。この第一作の時点で、笑いと謎解きを一つの作品に同居させる書き方がとられています。

密室という仕掛けの謎と、会社の解散という暮らしの揉め事。二つの層が一つの蔵のなかで重なるところに、この作品の組み立ての面白さがあります。

こんな人におすすめ

笑いを前面に押し出した喜劇を期待して開くと、ユーモアの控えめさに拍子抜けするかもしれません。先に見たとおり、笑いはあくまで謎解きの邪魔をしない程度に配されています。

けれども、密室の謎にきちんと向き合いながら、重苦しさに沈まない読み心地を求める人には、その抑えの効いた明るさこそが心地よいはずです。天藤真の作品を刊行の順にたどりたい人にとっては、ここが起点になります。

作品の背景

『陽気な容疑者たち』は、天藤真の長編として最初に刊行された作品です。原稿は1962年の江戸川乱歩賞で最終選考まで進んだものの、この回の賞は戸川昌子『大いなる幻影』と佐賀潜『華やかな死体』の2作に贈られました。

同じ回には、塔晶夫の名で応募された中井英夫の『虚無への供物』も最終候補に並んでいます。本として世に出たのは翌1963年4月で、東都書房から刊行されました。

手に取るなら

現在手に取るなら、創元推理文庫の〈天藤真推理小説全集〉第2巻です。新刊書店の棚で見つからないときは、古書店や図書館を当たることになります。

全集の第1巻は連作短編集『遠きに目ありて』で、2冊を並べて手に取ることもできます。『大誘拐』から天藤真を知った人が、作家の出発点へさかのぼるのにも向いています。

伯父の経理事務所から始まり、鉄工所の揉め事を経て蔵の中の急死へと至る、天藤真の最初の一歩です。

天藤真について

天藤真は1915年、東京に生まれ、1983年に亡くなりました。東京帝国大学国文科を卒業して同盟通信の記者となり、戦後は千葉県で農業を営みながら、千葉敬愛短期大学の講師も務めています。

推理小説の書き手として歩み出したのは40代も後半になってからでした。1962年、短編「親友記」が宝石賞の佳作に入り、同じ年に『陽気な容疑者たち』が第8回江戸川乱歩賞の最終候補に残ります。

この長編は大下宇陀児らの推薦を得て翌1963年に刊行され、同じ年には短編「鷹と鳶」で宝石賞を受けました。

寡作ながら、ユーモアとウィットに富んだ文体と、読み手の意表を突く状況設定で知られる作家です。1979年には『大誘拐』で第32回日本推理作家協会賞(長編部門)を受賞しました。

ほかに『殺しへの招待』『遠きに目ありて』『炎の背景』などの作品があります。

書誌情報

出版社
東京創元社 / 創元推理文庫
刊行年
1963
ISBN-13
9784488408022
系譜
戦後昭和国内

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この記事を書いた人

リットン

都内金融機関で経営企画とデータアナリストをしているアラサー。
文系の非エンジニアですが、独学で始めた Python と生成AIにすっかりはまりました。
プログラミング・サッカー・ミステリ紹介など、好きなことを好きに書いています。

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