狙いはそのうち一人だけ。
殺しへの招待
五人の夫に届いた妻からの殺人予告状。狙われているのは誰かを競う疑心暗鬼の一冊。
予告状は五通。狙われているのは、そのうちの一人だけです。
天藤真『殺しへの招待』は、五人の男のもとに、それぞれの妻から殺人予告状が届くところから始まります。標的は一人と知らされながら、自分ではないと言い切れる夫はどこにもいない。
その居心地の悪さが、そのまま物語を前へ押し出していきます。殺人事件の小説でありながら、その始まり方からしてどこか可笑しい作品です。
物語の入り口
ある日、五人の男のもとに手紙が届きます。差出人はそれぞれの妻。
殺すと告げるだけでなく、ご丁寧に理由まで書き添えられています。「……夫であるあなたを殺します。女であれば誰しもが夫に抱く憎悪が、殺人にまでふくれあがったからです……」。
届いた予告状は一通ではありません。五人の男が、同じような手紙を受け取っています。
しかも、本命の標的はそのうちの一人にすぎない。残る四通は、言ってみれば巻き添えです。
ところが、自分がその四人の側にいると言い切れる夫は一人もいません。五分の一という確率は、安心するには高すぎ、覚悟を決めるには低すぎます。
そこから先は、戦々兢々の日々です。
五人の夫は、疑心暗鬼に陥りながらも額を寄せ合い、身を守るための対策に頭をひねります。狙われているのが誰なのかわからない以上、全員が自分を標的だと仮定して動くしかありません。
大の男が五人、同じような一枚の紙切れを前に顔を突き合わせ、真剣な顔で策を練る——その光景だけで、物語はもう可笑しさと不穏さを半分ずつ抱えています。
読者の立ち位置は、この五人とほとんど変わりません。誰が狙われているのか、手がかりの乏しいまま、夫たちの右往左往の隣で息をひそめることになります。
五人のうちの誰に肩入れして読むかで、同じ場面の見え方も変わってくるでしょう。夫たちがひねり出す対策を一つずつ同じ机の端から見守りながら、狙われているのは誰なのかを考え続ける。
その落ち着かない時間が、そのまま謎解きの時間になっていきます。
読みどころ
本作の核にあるのは、「狙われているのは自分かもしれない」という落ち着かなさそのものです。
標的は一人と明かされているのに、五人全員が当事者になってしまう。この構図が、物語の緊張と可笑しさを同時に生んでいます。
命を狙われているかもしれないという恐れは切実なのに、大の男が五人そろって妻の一通の手紙におびえ、知恵を出し合う姿には、どうしても滑稽さがにじみます。恐れと滑稽さが同じ場面から生まれてくるところに、この作品の構えがあります。
もうひとつは、その軽さの下にある謎解きの骨組みです。筆の運びには余裕があっても、予告状という与件から出発して、五人のうち誰が狙われているのかを詰めていく手続きは緩んでいません。
笑いながら追っていた頁が、いつの間にか推理の筋道の上に乗っています。
陰惨な犯罪小説や、重く張りつめたサスペンスを期待して開くと、肩透かしに映るかもしれません。予告状の文面にある夫婦観には、1973年という書かれた時代が映っていることも、頭に置いておくとよいでしょう。
こんな人におすすめ
予告状一通で右往左往する男たちの姿を、にやにやしながら眺めていられる人に向きます。先の読めない謎を追う緊張と、人間喜劇のおかしみを同じ頁で味わいたい人にも合うでしょう。
この作家をすでに一作読んで、その軽妙な筆をもっと追いかけたくなった人にとっても、格好の次の一手です。逆に、妻から夫への殺人予告という題材を笑いの筆で扱うこと自体になじめない人には、合わないかもしれません。
作品の背景
『殺しへの招待』は、1963年刊の『陽気な容疑者たち』から10年を経た1973年に、産報のサンポウ・ノベルスから刊行されました。翌1974年の第27回日本推理作家協会賞では長編部門の候補に挙がり、『東西ミステリーベスト100』の1985年版では国内98位に名を連ねています。
天藤真が同じ協会賞を手にするのは、1978年刊の『大誘拐』による1979年の第32回のことで、協会賞をめぐっては、候補に挙がったこの作品から5年後に、受賞へたどり着いたことになります。
手に取るなら
現在は、東京創元社の創元推理文庫から〈天藤真推理小説全集〉の第6巻として刊行されています。約350ページで、電子書籍版もあります。
同じ全集の第2巻には長編第一作の『陽気な容疑者たち』が、第9巻には『大誘拐』が入っていて、作家の歩みをこの叢書の中でたどることもできます。ユーモアと謎解きがどう手を結ぶのか、その呼吸を手ごろな分量で味わえる一冊です。
天藤真について
天藤真は1915年、東京に生まれ、1983年に亡くなりました。東京帝国大学国文科を卒業して同盟通信の記者となり、戦後は千葉県で農業を営みながら、千葉敬愛短期大学の講師も務めています。
推理小説の書き手として歩み出したのは40代も後半になってからでした。1962年、短編「親友記」が宝石賞の佳作に入り、同じ年に『陽気な容疑者たち』が第8回江戸川乱歩賞の最終候補に残ります。
この長編は大下宇陀児らの推薦を得て翌1963年に刊行され、同じ年には短編「鷹と鳶」で宝石賞を受けました。
寡作ながら、ユーモアとウィットに富んだ文体と、読み手の意表を突く状況設定で知られる作家です。1979年には『大誘拐』で第32回日本推理作家協会賞(長編部門)を受賞しました。
ほかに『殺しへの招待』『遠きに目ありて』『炎の背景』などの作品があります。
書誌情報
天藤真をもっと読む
全作品一覧へ →似た読み味を、他の作家で
気分タグ・系譜の重なりから自動抽出。★は管理人が実読して太鼓判を押した本