目の前で人が殺された。
亜愛一郎の逃亡
白目をむくカメラマン探偵の最終巻。表題作を含む8編でシリーズが幕を下ろす。
完璧な密室状態の丸いカプセルのなかに、前頭部に打撲傷、背中に突き傷を負った男の死体があった。ネス湖の怪獣よろしく、北海道の湖に現われたという双頭の蛸を取材するために駆けつけた記者の目前で、殺人事件が起こる。
『亜愛一郎の逃亡』は、一見何気ない事件の陰に潜む作為を嗅ぎ取って真相を言い当てる亜愛一郎の、シリーズ掉尾を飾る第3集です。全24編のうち最後の8編を収め、3冊のなかで唯一、探偵の名を冠した表題作を持ちます。
雲や虫や化石を撮る学術系カメラマンの事件簿が、この一冊で幕を下ろします。
物語の入り口
収録されているのは8編。「赤島砂上」「球形の楽園」「歯痛の思い出」「双頭の蛸」「飯鉢山山腹」「赤の讃歌」「火事酒屋」、そして「亜愛一郎の逃亡」。
ここで触れるのは、二つの事件です。
ひとつは、密室のカプセルです。完璧な密室状態の、丸いカプセル。
そのなかに、男の死体があった。前頭部に打撲傷、背中に突き傷。
閉ざされた球体のなかで、何が起きたのか。もうひとつは、北海道の湖です。
ネス湖の怪獣よろしく、双頭の蛸が現われたという。取材に駆けつけた記者の目の前で、殺人事件が起こります。
怪獣騒ぎの取材先で、人が死ぬ。見世物めいた騒ぎのただなかに、本物の死が置かれます。
亜愛一郎は、こうした事件に居合わせます。一見何気ない事件の陰に潜む作為を嗅ぎ取って、真相を言い当てる。
それが、この探偵役の型です。学術系のカメラマンで、雲や魚や虫や化石を撮る。
35歳くらいの独身。探偵を名乗ることはなく、その場で見たものだけで真相を言い当てる。
真相に届くと、白目をむく。この巻でも、その造形は健在です。
読者は、カプセルの前で、湖のほとりで、亜愛一郎と一緒に事件に居合わせることになります。そして最後に置かれているのが、表題作「亜愛一郎の逃亡」です。
3冊のなかで唯一、探偵の名を冠した一編。3冊、24編の締めくくりを、探偵自身の名が引き受けているわけです。
読みどころ
一見何気ない事件の陰に潜む作為を嗅ぎ取って、真相を言い当てる。亜愛一郎のこの型は、シリーズ最後の8編でも少しも鈍っていません。
密室のカプセル、双頭の蛸。奇妙な入口の事件が並び、その陰にある作為を、おどおどした美青年が見抜いていく。
論理の鮮やかさは、第1作から一貫しています。3冊、24編。
その最後の8編は、1980年から1984年にかけて、三つの雑誌に分かれて書き継がれました。
もうひとつは、表題作の存在です。『狼狽』『転倒』『逃亡』と、3冊の題はいずれも探偵の状態を表していますが、探偵の名を冠した一編が置かれているのは、この最終巻だけです。
シリーズを追ってきた読者にとって、この一編を読む時間は、特別なものになるはずです。事件に居合わせては白目をむいてきたカメラマンとの、長いつきあいの最後の一編だからです。
こんな人におすすめ
『亜愛一郎の狼狽』『亜愛一郎の転倒』と読んできた読者に、まず向いています。クセの強い名探偵を好む人、短編で切れ味を味わいたい人にも。
一編ずつ区切って読めるので、一日に一編と決めて、少しずつ読み進めるのもよいでしょう。逆に、シリーズを一冊も読んでいない人が最初に本作を開くのは、おすすめしません。
最終巻は、最終巻として読むのがいちばんです。
作品の背景
亜愛一郎シリーズは全24編、3冊からなります。『狼狽』の単行本が1978年5月に幻影城ノベルスから、『転倒』が1982年7月、そして本書が1984年12月に角川書店から。
創元推理文庫版は『狼狽』が1994年8月、『転倒』が1997年6月、本書が1997年7月です。本書の初出は『小説推理』『野性時代』『月刊カドカワ』に散在し、1980年8月から1984年7月にかけて。
現行版は創元推理文庫で354ページ、解説は我孫子武丸で、電子版もあります。『東西ミステリーベスト100』2012年版では、第1作の『狼狽』が国内16位に入っています。
手に取るなら
現行版は創元推理文庫。亜愛一郎シリーズの第3集にして完結編ですから、『狼狽』『転倒』の順に読んでから、この一冊へ。
密室のカプセルと、双頭の蛸の湖を経て、最後に表題作へ辿り着いてください。1978年の『狼狽』から数えて、24編目の幕切れです。
泡坂妻夫について
泡坂妻夫は1933年、東京・神田の生まれで、本名は厚川昌男です。筆名は本名のアナグラムになっています。
生家は着物に家紋を描き入れる紋章上絵師で、作家になってからも家業を続けました。奇術師としての顔も持ち、1969年には創作奇術をまとめた作品集で第2回石田天海賞を受けています。
1976年、短編「DL2号機事件」が第1回幻影城新人賞の佳作に入ってデビューしました。1978年に『乱れからくり』で第31回日本推理作家協会賞、1982年に『喜劇悲奇劇』で第9回角川小説賞を受けます。
のちには職人の世界を描く人情ものにも筆を広げ、1988年に『折鶴』で第16回泉鏡花文学賞、1990年に『蔭桔梗』で第103回直木賞を受けました。探偵役には亜愛一郎、曾我佳城、ヨギ ガンジーらがいます。
2009年に75歳で亡くなっています。
書誌情報
泡坂妻夫をもっと読む
全作品一覧へ →似た読み味を、他の作家で
気分タグ・系譜の重なりから自動抽出。★は管理人が実読して太鼓判を押した本