スパイからホームズまで。
柳屋商店開店中
単行本未収録の短編とエッセイを集め、短編が全体の三分の二ほどを占める作品集。
柳広司『柳屋商店開店中』は、単行本に入らないまま散らばっていた短編とエッセイを集めた作品集です。題名は、作家の姓を屋号にした店の名前になっています。
並んでいるのは、「ジョーカー・ゲーム」シリーズの作品、太宰治と芥川龍之介のパスティーシュ、シャーロック・ホームズの登場する物語、そして笑いを含んだ筆づかいのエッセイです。2016年8月に原書房から刊行されました。
物語の入り口
短編から見ていきます。収録されているのは、既にある作品の枠を借りて、そのなかで別の物語を組み立てる作品です。
太宰治と芥川龍之介のパスティーシュ、シャーロック・ホームズの登場する物語、そして「ジョーカー・ゲーム」シリーズの作品。柳広司が長く試してきた書き方を、短編の長さで続けて読むことができます。
「ジョーカー・ゲーム」シリーズの作品が、太宰や芥川、ホームズと同じ店先に並んでいるのも、この本の取り合わせです。
パスティーシュは、元の作品を知っている読者と知らない読者とで、受け取り方が変わる形式です。太宰や芥川、ホームズの物語に親しんでいる人は、元の作品を思い浮かべながら読むことになります。
元の作品を読んでいない人は、目の前の短編を、それだけで一篇として読むことになります。元の作品をあとから読んで、もう一度本書に戻ってくる読み方もあります。
どちらの読み方でも、ページをめくる手は同じように進みます。
エッセイは、小説とは違う種類の文章です。小説では物語の後ろに控えている書き手が、エッセイでは自分の言葉で前に出てきます。
短編のあいだにエッセイをはさみながら読み進めると、同じ書き手の二つの筆づかいを、ひとつの本のなかで行き来することになります。
短編とエッセイの割合は、およそ二対一です。店にたとえれば、品数の多い短編の棚と、それより小ぶりなエッセイの棚が、同じ店のなかに並んでいる格好です。
307ページのうち三分の二ほどが短編ですから、読む時間の多くは短編に向かいます。どちらの棚から見はじめても構いません。
短編を続けて読んでもいいし、合間にエッセイを一本ずつ読んでもいい。読む順番は、手に取った人が決められます。
読みどころ
ひとつめは、借りものの枠で物語を組み立てるこの作家の書き方を、短い作品で何度も読めることです。 借りものの枠には、決まった制約があります。
読む側は元の形をすでに知っていますから、なぞるだけでは新しさが出ず、離れすぎれば元の作品を借りた意味が薄れます。その制約のなかで組み立てられた短編が、太宰、芥川、ホームズと、元になる作品を替えながら続きます。
デビューの年から借りものの枠を使ってきた作家ですから、本書の短編はその流れの上にあります。シャーロック・ホームズの物語に親しんできた人なら、ほかの書き手によるホームズものと読み比べることもできます。
もうひとつは、単行本に入らなかった仕事をまとめて読めることです。長い作品として本になった仕事とは別に、短編として書かれたもの、小説の外で書かれた文章があります。
本書は、それらを集めています。『ジョーカー・ゲーム』に始まるシリーズとは別の場所で、この作家が何を書いてきたのかを、まとめてたどることができます。
小説とエッセイの両方を収めているので、この作家の仕事の幅を、ひとつの本のなかで見渡すことができます。
作品の背景
本書は、2001年のデビュー作『黄金の灰』と同じ原書房からの刊行で、デビューから15年後の本にあたります。もともとは初めてのエッセイ集にする企画でしたが、エッセイだけでは分量が足りず、短編を加えて本になりました。
その結果、短編が全体の三分の二ほどを占めています。エッセイ集として始まった企画が、短編の多い作品集として仕上がった。
それが、この本の成り立ちです。
手に取るなら
入手には手間がかかります。いまは品切れで重版の予定も立っておらず、電子書籍も出ていません。
探すなら図書館か古書店になります。探すときは、2016年刊行、四六判307ページという体裁を手がかりにすると見つけやすくなります。
先に『ジョーカー・ゲーム』などの著作を読み、この作家の短編やエッセイにも触れたくなったときに手に取る、という順番でも差し支えありません。図書館や古書店の棚で見かけたら、屋号の看板を目印に開いてみてください。
柳広司について
柳広司は1967年、三重県に生まれました。神戸大学法学部を卒業し、1998年に「挙匪(ボクサーズ)」で第4回歴史群像大賞の佳作に入ったのち、2001年に原書房から出た『黄金の灰』で小説家になります。
同じ年には『贋作『坊っちゃん』殺人事件』で第12回朝日新人文学賞を受けました。
初期の仕事の軸は、実在の人物や名作を借りて謎解きを組むことでした。シュリーマン、ソクラテス、マルコ・ポーロ、夏目漱石、シートンといった人々が、探偵役や事件の当事者として作中に呼びこまれます。
2008年の『ジョーカー・ゲーム』は陸軍のスパイ養成機関「D機関」を描いた連作で、翌年に第30回吉川英治文学新人賞と第62回日本推理作家協会賞をそろって受け、以後シリーズとして書き継がれました。歴史の枠組みに架空の事件を差し込む手つきは、スパイ小説に移ってからも変わっていません。
書誌情報
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