穏やかな依頼のはずだった。
女には向かない職業
若き女性探偵コーデリア・グレイが事務所を継ぎ、最初の依頼に挑む。題名が皮肉に響く一作。
「探偵稼業は女には向かない」——そう言われながら、二十二歳のコーデリア・グレイは小さな探偵事務所を引き継ぎ、女性探偵として最初の依頼に向かいます。彼女を待っていたのは、一人の青年の死をめぐる調査でした。
誰もが向かないと口をそろえる仕事に、若い彼女はどう分け入っていくのか。その一歩を見届ける物語です。
物語の入り口
物語の主役は、二十二歳のコーデリア・グレイ。小さな探偵事務所を一人で引き継いだばかりの、駆け出しの女性探偵です。
周囲は口をそろえて言います——探偵稼業は女には向かない、と。世間の常識も、彼女の若さも、その性別も、すべてが同じ方向から彼女を押しとどめようとします。
それでもコーデリアの決意はかたく、彼女は初めての依頼を引き受けることになります。
その依頼は、ある青年の死の理由を調べてほしいというものでした。突然大学を中退し、みずから命を断った青年。
彼がなぜ道を投げ出し、命を絶ったのか——その理由を知りたいという求めが、コーデリアのもとへこの調査を持ち込みます。若い探偵が、自分と同じ年ごろの青年がたどった最後の日々を、一日ずつさかのぼっていく——その構図そのものに、どこか静かな痛ましさが漂います。
死んだ人を調べるという仕事の重さが、駆け出しの彼女の肩に、最初から静かにのしかかってくるのです。
一見したところ、それは初仕事にふさわしい穏やかな事件に見えました。荒事や危険とは縁のなさそうな、静かな調べもの。
新米の探偵が肩慣らしに取り組むにはちょうどよさそうな依頼——少なくとも、依頼を受けた時点では、そう思えたのです。ひたむきに調査へ向かうコーデリアの背中を、読者はすぐ後ろから追いかけることになります。
彼女が足を運び、人と会い、青年が生きた場所に身を置き、遺されたものに目を凝らし、少しずつ手がかりに触れていく。その過程のすべてを、コーデリアと同じ歩幅で、同じ手探りのままたどっていくことになります。
可憐でありながら芯の通ったこの新米探偵に、気づけばすっかり肩入れしている自分を見つけるはずです。
読みどころ
読みどころは、事件そのものより、それを追う若い探偵の輪郭にあります。 手がかりを一つずつ拾い、考え、また足を運ぶ。
その地道な営みを通して、コーデリア・グレイという人物の凜とした佇まいが、少しずつくっきりと立ち上がってきます。彼女がどんなふうに人と向き合い、どんなふうに考え、どんなふうに困難と折り合いをつけていくのか。
その一つひとつが、読み手にとっての手応えになっていきます。初めての依頼にひたむきに向き合う若い探偵の姿が、そのまま物語を前へと押し進めていくのです。
人物描写の濃やかさと、文学の香りをまとった筆致はジェイムズならではのもの。ミステリとしての骨格をしっかり保ちながら、同時に一篇の小説として深く読ませる厚みを備えています。
調査に付き添ううちに、いつしか探偵その人を好きになっている——そんな読後感を残す作品です。
こんな人におすすめ
相性をいえば、息もつかせぬ急展開や派手な見せ場を第一に求める読者には、この静かな運びは物足りなく映るかもしれません。本作の味わいは、派手な見せ場ではなく、事件を追う過程と、そこに立つ人物の描写の側にあります。
一気呵成の興奮よりも、読み終えたあとに長く残る手触りを大切にする読者向きの一冊です。謎解きの枠組みを保ちながらも、じっくりと人間を読ませる小説を好む読者、英国ミステリの文学的な奥行きに触れてみたい読者には、迷わず薦められます。
作品の背景
本作は、P・D・ジェイムズが1972年に発表した一作です。長く書き継がれた警視ダルグリッシュものとは別の系統に立ち、新米の女性探偵という新しい視点から犯罪小説の世界を描き直しました。
手に取るなら
現在の版はハヤカワ・ミステリ文庫で手に取れます。「女には向かない職業」という一語が、物語のあいだ静かに響き続けます。
作者P・D・ジェイムズには、警視ダルグリッシュを主役にした別系統の代表作もあり、そちらは長く書き継がれたシリーズとして知られています。本作の読み心地を気に入ったなら、そこからその広い世界へ足を伸ばしていく楽しみも待っています。
翻訳を通して読み継がれてきた英国犯罪小説の厚みを、まずはこの一作で味わってみるのもいいでしょう。まずは新米探偵コーデリア・グレイのひたむきな一歩を、ぜひその目で見届けてみてください。
P・D・ジェイムズについて
P・D・ジェイムズは1920年にイングランドのオックスフォードで生まれ、2014年に94歳で亡くなりました。国民保健サービスの病院管理部門や内務省で長く公務員として働きながら執筆を続け、1962年、ロンドン警視庁の警視で詩人でもあるアダム・ダルグリッシュが登場する『女の顔を覆え』でデビューします。
以後ダルグリッシュのシリーズを半世紀近く書き継ぎ、若い女性探偵コーデリア・グレイを主人公にした作品も残しました。
病院や官公庁といった組織を舞台に、込み入った人間関係と登場人物の内面を細かく描き込む作風で知られます。英国推理作家協会(CWA)のシルバー・ダガーを3度受け、1987年には功労をたたえるダイヤモンド・ダガーを、1999年にはアメリカ探偵作家クラブの巨匠賞を受けました。
1991年には一代貴族に叙され、貴族院議員も務めています。
書誌情報
P・D・ジェイムズをもっと読む
全作品一覧へ →似た読み味を、他の作家で
気分タグ・系譜の重なりから自動抽出。★は管理人が実読して太鼓判を押した本