現代国内 1995
海のある奈良に死す
『海のある奈良に死す』有栖川有栖

書評

海のある奈良に死す

「海のある奈良」とはどこか。死者の最後の一言を追って若狭へ向かう、伝説と旅情の長編。

海のある奈良に死す 表紙画像
有栖川有栖 角川書店(角川文庫)1995年
目次

「行ってくる。『海のある奈良』へ」。顔なじみの作家が別れ際に残したその一言が、そのまま最後の言葉になってしまいます。

火村英生が謎を解くシリーズの長編としては、『46番目の密室』『ダリの繭』に続く3作目。奇妙な行き先の名をめぐって、物語は東京の出版社から若狭の港町へと読者を連れ出します。

物語の入り口

半年がかりで書き上げた長編が、ようやく見本になりました。推理作家の有栖川有栖は、その瞬間を味わうために神田神保町の出版社・珀友社へ足を運びます。

会議室で待っていると、同業の作家・赤星学が大きなバッグを肩に現れ、二人は久しぶりの雑談に花を咲かせました。席を立った赤星が口にしたのが、冒頭の言葉です。

翌日、赤星は福井の古都・小浜で遺体となって見つかります。生前の彼と最後に話した関係者の一人として、有栖は友人の火村英生とともに、事件の調べに乗り出すことになります。

読みどころ

物語の芯にあるのは、たった一つの言い回しです。奈良には海がありません。

それなのに赤星は、海のある奈良へ行くと言った。その言葉が何を指していたのかを考えることが、そのまま事件の輪郭をなぞる作業になっていきます。

手がかりが目の前に置かれているのに意味だけがつかめない、というもどかしさが、長い物語を引っ張る力になっています。

舞台の土地柄も読みどころです。小浜に伝わる八百比丘尼にまつわる人魚伝説が物語に織り込まれ、土地の歴史や風景を紹介する場面にもページが割かれています。

東京と関西、そして北陸を行き来する道行きには旅情があり、トラベルミステリーに近い味わいを持つ一冊です。シリーズの短編集とはまた違う、ゆったりとした時間の流れを楽しめます。

被害者がアリスと同じ物書きで、しかも死の前日に言葉を交わした相手だという設定も効いています。いつもは火村のフィールドワークに付き添う立場のアリスが、ここでは事件の当事者に近い場所に立たされる。

旧知の同業者が何を考えて旅立ったのかを確かめたいという動機が、調べを進める二人の足取りに切実さを与えています。

謎が一つの言葉に集約されているぶん、読者も推理に参加しやすい長編です。手元にあるのは、出版社の会議室での何気ない会話と、遺体が見つかった町の名前だけ。

そこからどこまで考えを進められるかを試しながら読むと、ページをめくる手が止まらなくなります。

こんな人におすすめ

謎の言葉の意味をひたすら考え続ける小説が好きな人、伝説や土地の歴史が絡むミステリーに惹かれる人に向いています。短編集で火村とアリスに出会い、長編でじっくり二人を追ってみたくなった人にとっても、ちょうどいい次の一冊です。

作品の背景

最初の刊行は1995年3月、双葉社から。国名を冠した第1作品集『ロシア紅茶の謎』が講談社ノベルスで出た翌年にあたり、シリーズが短編と長編の両輪で走り始めた時期の作品です。

その後1998年5月に角川文庫、2000年5月には双葉文庫にも入り、二つの文庫で読み継がれてきました。

手に取るなら

いま手に入りやすいのは角川文庫版で、416ページ。電子書籍でも配信されています。

小浜という土地を知らなくても、読み進めるうちに町の姿が自然と頭に浮かんでくるはずです。

有栖川有栖について

有栖川有栖は1959年、大阪市の生まれです。小学生のころから推理作家を志し、同志社大学法学部では推理小説研究会に所属しました。

卒業後は書店に勤めながら書き続け、1989年に『月光ゲーム Yの悲劇'88』でデビューします。1994年に書店を辞め、専業作家になりました。

作品は大きく二つの系列に分かれます。江神二郎が探偵役を務める学生アリスのシリーズと、臨床犯罪学者の火村英生と推理作家の有栖川有栖が組む作家アリスのシリーズです。

2003年に『マレー鉄道の謎』で第56回日本推理作家協会賞、2008年に『女王国の城』で第8回本格ミステリ大賞、2018年に火村英生シリーズで第3回吉川英治文庫賞、2022年に第26回日本ミステリー文学大賞を受けました。2000年から2005年までは本格ミステリ作家クラブの初代会長も務めています。

書誌情報

出版社
角川書店 / 角川文庫
刊行年
1995
ISBN-13
9784041913024
系譜
現代国内 / シリーズ探偵物 · クローズドサークル

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この記事を書いた人

リットン

都内金融機関で経営企画とデータアナリストをしているアラサー。
文系の非エンジニアですが、独学で始めた Python と生成AIにすっかりはまりました。
プログラミング・サッカー・ミステリ紹介など、好きなことを好きに書いています。

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