全部がひとつの城で起きる。
翼ある闇
首なし死体も密室も見立ても投げ込んだ、1991年のデビュー作にして異形の一冊
新本格と呼ばれる書き手が次々に現れていた1991年、そのただ中に投げ込まれるように出たのが、麻耶雄嵩のデビュー長編『翼ある闇 メルカトル鮎最後の事件』です。首なし死体、密室、蘇る死者、見立て殺人——この作品に持ち込まれた趣向を並べると、ミステリが長い時間をかけて育ててきた道具立ての目録のようになります。
それを一冊に積み上げたのは、京大推理小説研究会に籍を置いていた新人でした。「東西ミステリーベスト100」2012年版で国内76位に入っています。
物語の入り口
舞台は京都近郊に建つ館、蒼鴉城です。中世ヨーロッパの城を思わせるゴシック風の建物で、語り手の「私」が訪れたときには、館のなかで事件はもう起きていました。
事件が起きるのを待って探偵が呼ばれるのではなく、到着した時点で世界がもう壊れている。物語は事件の発端からではなく、惨劇の途中から語られます。
読者は館の様子をつかむのと同時に、すでに起きたことの重さも受け止めることになります。
館の外観は、読み口を予告しています。古城を模した建物、装飾の多い部屋、そこに漂う怪奇の気配。
首なし死体も密室も見立て殺人も、どれか一つだけで一作の中心に据えられる趣向で、それが一つの館の一つの事件のなかに並んでいます。その並びには、本格の古典的な趣向と、怪奇小説の領分に属するものが混じっています。
その両方が同じ館に同居しているところに、この物語の手ざわりがあります。文章もまた館に似て、衒学的で装飾が多い。
小栗虫太郎『黒死館殺人事件』へのオマージュとして書かれた作品であることが、この文体の由来を説明しています。
そして事件が続くさなかに、探偵のメルカトル鮎が姿を見せます。語り手の到着と同じく、探偵の登場もまた、事件がすでに動いているところに置かれています。
館、惨劇の途中からの語り、そこへ現れる探偵。読者は、幕がすでに開いた劇場に遅れて入る観客の位置に据えられ、舞台の上で何が起きていたのかを、進行中の場面から逆向きに知っていくことになります。
読みどころ
本作の核にあるのは、衒学と怪奇と論理が一つの館に同居する、その読み口の濃さです。 小栗虫太郎『黒死館殺人事件』へのオマージュとして書かれた作品で、装飾の多い文章、館そのものが放つ不穏さ、理屈と怪奇のあいだを行き来する語りは、その出自から来ています。
一文ごとに蘊蓄と装飾が重なり、館の描写がそのまま不穏な気配を運んでくる。端正な館ものの様式とは、読み進める手ざわりがはっきり違います。
もうひとつは、書き手の出発点です。京大推理小説研究会に籍を置く学生の新人が、同時代の流行ではなく、小栗虫太郎という戦前の怪作へ真っ直ぐ手を伸ばした。
衒学と幻想を煮詰めた戦前の探偵小説の読み口を、デビュー長編の段階で、平成の新本格のただ中へ持ち込んだことになります。
すっきりした後味を求める方や、ミステリを読み始めたばかりの方には、最初に読む本としては薦めにくい作品です。首なし死体から見立て殺人までの趣向が、衒学的な文章の厚みと一緒に押し寄せてくるので、筋を追うだけでも相応の体力を求められます。
反対に、怪奇趣味と論理が同居する読書に惹かれる方、装飾の多い文章を苦にしない方には、1991年という新本格のただ中に出たデビュー長編として、手に取る理由があります。
作品の背景
麻耶雄嵩はデビューに際して、綾辻行人、法月綸太郎、島田荘司の三人の推薦を受けています。とはいえ、その新人がデビュー長編の下敷きに選んだのは、同時代の推薦者たちの作品ではなく、戦前の小栗虫太郎『黒死館殺人事件』でした。
刊行直後の「このミステリーがすごい!」1992年版では国内12位。それから20年後、2012年の「東西ミステリーベスト100」国内編では76位に入りました。
手に取るなら
現在手に取るなら、講談社ノベルスの新装版です。2012年3月刊、328ページで、2013年には電子版も加わりました。
ノベルス判の328ページに、冒頭に挙げた趣向がすべて収まっています。メルカトル鮎シリーズの第1作にあたり、ここから読むのが順番としては素直です。
ただ、読み口の濃さを考えれば、同じシリーズの短編集『メルカトルと美袋のための殺人』を先に読んでから戻る道もあります。古城を模した館に入り、すでに始まっている事件のさなかで、遅れて現れる探偵を待つ。
1991年に世に出た新人のデビュー作を、その順序のまま読める一冊です。
麻耶雄嵩について
麻耶雄嵩は1969年、三重県上野市(現在の伊賀市)の生まれです。京都大学工学部に学び、在学中は京大推理小説研究会に所属しました。
1991年、綾辻行人・法月綸太郎・島田荘司の推薦を受けて『翼ある闇 メルカトル鮎最後の事件』でデビューしています。
以後、メルカトル鮎、京都の名探偵木更津悠也、推理を使用人に任せる貴族探偵と、癖の強いシリーズ探偵を並行して書き継ぎ、名探偵という存在そのものを問い直す本格を発表してきました。2011年に『隻眼の少女』で第64回日本推理作家協会賞と第11回本格ミステリ大賞を受け、2015年には『さよなら神様』で2度目の本格ミステリ大賞を受けています。
『貴族探偵』は2017年にテレビドラマにもなりました。
書誌情報
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