黄金期英国古典 1931
殺しを警察は物盗りと見た。
作家は住人の企みと見た。
『最上階の殺人』アントニイ・バークリー

書評

最上階の殺人

強盗殺人と見えた事件に素人探偵が挑む、バークリー会心の一作の新訳。

最上階の殺人 表紙画像
アントニイ・バークリー 東京創元社(創元推理文庫) 原書 1931年 · 邦訳 2024年
目次

閑静な住宅街に建つ、四階建てのフラット。その最上階の一室で、女性の絞殺死体が見つかります。

現場の状況を検分した警察は、早々にこれを物盗りの犯行と断じ、容疑者を絞り込みにかかりました。ありふれた、そして痛ましい強盗殺人——誰もがそう受け止めかけたそのとき、ただ一人だけ、事件の見え方に首をかしげる男がいました。

『最上階の殺人』は、英国本格ミステリ黄金期を代表する作家アントニイ・バークリーが、素人探偵ロジャー・シェリンガムに挑ませた一件です。

物語の入り口

物語は、その最上階の一室から動き出します。閑静な住宅街の四階建てフラット。

穏やかな暮らしが積み重ねられてきたはずの建物の、いちばん上の部屋で、一人の女性が絞め殺されているのが見つかります。現場に残された状況を検分した警察は、これを物盗りの仕業と断じ、その線に沿って容疑者を絞り込んでいく。

筋の通った、手堅い見立てでした。事件は、このまま強盗殺人として静かに幕を下ろすかに見えます。

ところが、捜査に付き添っていた小説家ロジャー・シェリンガムだけは、まったく違う絵を見ていました。彼の目に映ったのは、行きずりの物盗りではありません。

このフラットに暮らす誰かが念入りに組み立てた、周到な計画殺人です。同じ現場、同じ死体を前にしながら、警察とシェリンガムの見ているものが食い違っている。

その一点のずれが、読者を物語の奥へとぐいと引き込みます。

自らの見立てを確かめようと、シェリンガムは被害者の姪を秘書として雇い入れ、独自の調査に乗り出します。フラットの住人たちの暮らしに分け入り、日常に紛れた不自然のかけらを一つずつ拾い集めていく。

読者は、警察の手堅い結論とシェリンガムの読み筋という二つの見方のあいだに置かれたまま、調べを進める彼の背中を追うことになります。しかも、その足取りに寄り添うのは、バークリー一流の皮肉とユーモアです。

深刻な殺人を扱いながら、人間観察のとぼけた可笑しみがそこかしこに漂う。この独特の温度こそが、長く読者を惹きつけてきました。

読みどころ

この作品の醍醐味は、名探偵の推理そのものに身をあずける、古典的な謎解きの愉しみにあります。 素人探偵シェリンガムが、現場の些細な事実から一歩ずつ筋道を立てていく。

その思考の運びを間近で眺めるうちに、読み手もいつしか自分なりの見立てを組み立て始めます。手がかりを前に「自分ならどう読むか」を試したくなる。

読者を推理の当事者に引き込んでしまう黄金期本格の吸引力が、ここには確かにあります。

もう一つ、刊行の巡り合わせも見逃せません。原著が世に出たのは1931年、英国探偵小説がもっとも豊かに実った時代の作品でありながら、長らく日本語で気軽に読むことは叶いませんでした。

それが2024年、藤村裕美の新訳で創元推理文庫に加わり、ようやく手の届く一冊になったのです。黄金期の空気をそのまま封じ込めたような皮肉とユーモアを、いま新しい訳文で味わえる。

公式には「シリーズ屈指の傑作」と謳われ、心躍る謎解きの先に予測不能の結末が待つと予告されています。

こんな人におすすめ

名探偵の思考に寄り添い、証拠と推理の積み重ねをじっくり味わいたい読者には、まっすぐに薦められる一作です。黄金期英国本格の、どこか人を食った語り口を好む向きにもよく馴染むはず。

一方で、息もつかせず突き進むスリラーや、血なまぐさい緊迫を求めて開くと、この落ち着いた運びとユーモアの効いた筆致は、少し悠長に映るかもしれません。けれど、その一見のんびりした足取りこそが、腰を据えて謎と向き合う時間の心地よさを生んでいます。

登場人物たちの機微を眺めながら、急がず読み進める夜にこそ似合う物語です。

手に取るなら

いま手に取るなら、創元推理文庫の新訳版です。訳は藤村裕美。

バークリーでは『ウィッチフォード毒殺事件』を、ほかにもロラック『悪魔と警視庁』『鐘楼の蝙蝠』などを訳してきた英米文学翻訳家です。巻末には真田啓介によるエッセイと、阿津川辰海による解説を収録。

素人探偵ロジャー・シェリンガムが活躍するシリーズの一作でもあり、バークリーという作家への入り口としても、黄金期英国本格の奥行きを知る一冊としても、頼りになる新訳と言えます。

アントニイ・バークリーについて

アントニイ・バークリーは1893年、ハートフォードシャー州ワトフォードの生まれです。本名はアントニイ・バークリー・コックスです。

オックスフォード大学に学び、第一次世界大戦ではフランスで毒ガスを浴びて長く健康を損ないました。戦後は〈パンチ〉誌などでユーモア作家として書き、1925年に「?」という匿名で『レイトン・コートの謎』を発表します。

以後の長編で探偵役を務めるロジャー・シェリンガムは、ここで初めて登場しました。

『毒入りチョコレート事件』『第二の銃声』『ジャンピング・ジェニイ』と、名探偵がかならず正解にたどり着くという約束事を疑ってみせる作品を重ね、1930年にはクリスティやクロフツらとディテクション・クラブを創設しています。フランシス・アイルズ名義では『殺意』『レディに捧げる殺人物語』などを書き、後者はヒッチコックの映画『断崖』の原作になりました。

1971年に世を去っています。

書誌情報

出版社
東京創元社 / 創元推理文庫
原書刊行年
1931
邦訳刊行年
2024
ISBN-13
9784488123093
系譜
黄金期英国古典 / 名探偵もの · シリーズ探偵物

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この記事を書いた人

リットン

都内金融機関で経営企画とデータアナリストをしているアラサー。
文系の非エンジニアですが、独学で始めた Python と生成AIにすっかりはまりました。
プログラミング・サッカー・ミステリ紹介など、好きなことを好きに書いています。

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