名探偵は晩餐会の主。
エリザベス女王の事件簿 ウィンザー城の殺人
探偵役は御年90歳のエリザベス女王。王室の品格漂う英国コージーミステリ。
王室の晩餐会の翌朝、招かれていたはずの若い客が変わり果てた姿で見つかる。そんな幕開けから、この物語は静かに動き出します。
事件の現場はウィンザー城。そしてこの城には、表舞台に立たぬまま謎を見つめるひとりの人物がいます。
御年90歳の英国女王、エリザベス2世その人です。
『エリザベス女王の事件簿 ウィンザー城の殺人』は、S・J・ベネットが「もし女王が名探偵だったら」という大胆な着想から書き上げたシリーズ第1作です。原書は2020年に刊行され、英国で10万部を突破、18カ国で翻訳されました。
着想だけを聞くと際物めいて響くかもしれません。実在の君主を素人探偵に仕立てるなど、うっかりすれば悪ふざけにも転びかねない綱渡りです。
けれど実際に頁をめくると、印象はまるで違います。ルース・ウェアは本作を「『ザ・クラウン』と『ミス・マープル』を掛け合わせたら生まれる、魅力的なホワイダニット」と評しました。
王室ドラマの品格と、英国古典ミステリの謎解きの呼吸。その二つを一冊に同居させたところに、この作品の狙いがあります。
アマンダ・クレイグは「優しく愉快で、控えめながら説得力があり、全くもって魅力的」と書き、英国王室の神秘性に探偵小説の面白さを加えてみせた、と評しました。奇抜な出発点から、これほど品のよい一冊が立ち上がってくるところに、まず驚かされます。
物語の入り口
舞台となるのはウィンザー城。華やかな晩餐会が催され、その席には若いロシア人のピアニストも招かれていました。
ところが翌朝、城内のクロゼットから、そのピアニストが遺体となって発見されます。あられもない姿の、あまりに不体裁な最期でした。
王室の威信がかかる場所で起きた変事だけに、城にはただちに箝口令が敷かれます。
事件を引き受けるのは、警察と、そして情報機関MI5です。時節柄、彼らが真っ先に疑うのはロシアのスパイの影。
国際的な陰謀の糸を手繰ろうと捜査は動き出しますが、ここで思わぬ壁にぶつかります。あの夜、城に居合わせた容疑者は、なんと50名。
誰にも動機がありそうで、誰も決め手を欠く。捜査は早々に難航していきます。
けれど、城には秘密の名探偵がいるのです。給仕や護衛たちが行き交う廊下の先、公務の合間に、女王は誰よりも冷静に事の次第を見つめています。
表向きは、君主が捜査に口を挟むことなどありえません。エリザベス2世もまた、その一線を決して踏み越えないふるまいを崩さない。
粛々と日々の公務をこなし、周囲には何も気づいていないかのように振る舞います。それでいて、長い歳月のあいだ幾多の人間と国事を見てきた観察眼は、居並ぶ人々の言葉や仕草の、ほんのわずかな綻びを静かに拾い上げていきます。
事件をめぐって城内を満たす緊張、スパイの影に怯える者たちのざわめき、そのすべてを女王は玉座の高みから静かに見晴らしている。捜査の表舞台とは別のところで、もうひとつの推理がゆっくりと進んでいくのです。
読者は、その特権的な視座を女王とともに分かち合いながら、誰にも気づかれずに事件の核心へ近づいていく心地よさを味わうことになります。
読みどころ
読みどころは、荒唐無稽になりかねない設定を、上質なユーモアと確かな謎解きで着地させた手つきにあります。 女王という規格外の探偵を据えながら、物語はあくまで王室の日常の手ざわりを丁寧に描き、その足元で謎の骨格を組み上げていきます。
ガーディアン紙は主人公を「抜け目なく賢明で好奇心旺盛な女王陛下」と評し、パブリッシャーズ・ウィークリー誌は「温厚で賢く、機知に富んだ女王とその王室生活」の魅力を挙げました。事件の緊張感だけでなく、王室という閉じた世界のディテールそのものが読みどころになっている、とも言えます。
ルース・ウェアが「ホワイダニット」と呼んだとおり、本作の関心は「誰が」と同じくらい「なぜ」に注がれます。あでやかな社交の裏で、それぞれの立場を背負った人々が行き交うウィンザー城。
その人間模様を女王の視線でたどるうち、読者はいつのまにか、笑いながら手がかりを拾わされている。品良く、けれど油断のならない謎解きです。
こんな人におすすめ
血なまぐさい猟奇や、社会の暗部にぐいと踏み込む重い犯罪小説を今読みたい、という気分には、この作品の穏やかな品の良さは物足りなく映るかもしれません。逆に、魅力的な探偵役の観察を楽しみながら、笑いと気品のあいだで謎解きを味わいたい読者にとって、これ以上の一冊はそうそうないはずです。
英国コージーの棚に、忘れがたい主人公がもう一人加わることになります。
手に取るなら
邦訳はKADOKAWAの角川文庫から、2022年に刊行されました。巻末の解説は大矢博子。
「エリザベス女王の事件簿」と題されたシリーズの第1作にあたり、気に入れば女王陛下の名推理と長く付き合えるのも楽しみなところです。王室ミステリという少し変わった扉を開けてみたい方に、心地よい入り口としておすすめできる一冊です。
S・J・ベネットについて
S・J・ベネットは1966年、イギリスのヨークシャー生まれの作家です。ロンドン大学に学び、ケンブリッジ大学で近代イタリア文学の博士号を取得しました。
ソフィア・ベネットの名では児童書・ヤングアダルト小説の書き手として知られ、タイムズ紙と出版社チキンハウスの新人コンテストを制した『Threads』(2009)でデビューし、2017年には『Love Song』で英国ロマンス小説家協会の年間最優秀ロマンス小説賞を受けています。
大人向けのミステリはS・J・ベネット名義で書いています。2020年に、エリザベス女王をひそかな名探偵に据えた『エリザベス女王の事件簿 ウィンザー城の殺人』でシリーズを始め、同作は英国で25万部を売り上げました。
書誌情報
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