ミステリーとしての読みどころ
探偵はどうやって犯人にたどり着くのか。足跡を測り、灰の銘柄を見分け、時刻表をにらむ——そうした外側からの観察とはまるで違う道を、小柄な神父が静かに語り出す一冊があります。
『ブラウン神父の秘密』は、事件を解いてみせる物語であると同時に、その解き手が「なぜ解けるのか」を自分の口で明かしてしまう、シリーズでも風変わりな巻です。
著者について
著者はG・K・チェスタトン。1874年にイギリスに生まれ、逆説と諧謔の大家として知られた作家であり評論家でした。
〈ブラウン神父〉シリーズに代表される短編推理は、コナン・ドイルの作品と並んで後世の書き手に計り知れない影響を与えたと言われます。長編『木曜の男』に色濃い独特の幻想性でも今なお熱心な読者をつかんで離さず、1936年に世を去ったのちも、その名は探偵小説の礎のひとつとして数えられてきました。
本書はそのブラウン神父ものの第4短編集にあたり、1927年に世に出ました。『童心』に始まり『知恵』『不信』と重ねられてきた連作の、いわば折り返し点にあたる一巻。
事件を並べた作品集でありながら、シリーズが自分自身の成り立ちを正面から語り出す点で、ほかの巻とはどこか手ざわりが違います。
巻の顔となるのは、表題作「ブラウン神父の秘密」です。舞台は、隠棲したフランボウの邸。
そこを訪れた米国人グランディソン・チェイスを聞き手に、ブラウン神父は自らの「秘密」を初めて言葉にします。神秘的な直観でもなければ、超人的な観察でもない。
犯人その人の内側に身を置き、その魂の位置から世界を眺め直す——そうやって事件を「内側から」見てきたのだ、という告白です。外形の証拠を一つずつ積み上げていくおなじみの探偵術とは正反対のこの打ち明け話が、作品集全体の入り口に据えられています。
そして巻末には「フランボウの秘密」が置かれ、表題作と静かに響き合います。邸の主人フランボウが今度は語り手にまわり、二つの短編が一対の枠物語となって作品集をやわらかく挟み込む構えです。
読者は、神父が自らの方法を明かす場面から入り、いくつもの事件をくぐり抜け、ふたたび同じ主題のもとへ戻ってくる。作品集そのものが、ひと続きの対話として設計されているわけです。
その枠の内側に収められているのが、全10編のうちの事件篇です。容疑者の不可解な行動が謎を呼び、思いがけない真相へ着地する「大法律家の鏡」。
この世の出来事とは思えぬ状況のもとで金塊が消え失せる「飛び魚の歌」。常識を超えたユーモアと恐怖の底に、必然的な動機がひそむ「ヴォードリーの失踪」。
ほかにも「顎鬚の二つある男」「俳優とアリバイ」「世の中で一番重い罪」「メルーの赤い月」「マーン城の喪主」と、逆説と人間洞察を軸にした短編が並びます。派手な機械仕掛けを誇るよりも、体面や偏見、人間関係のねじれを腑分けしていく——そんな一篇ごとの手つきに、ブラウン神父という探偵の性格がにじみ出ています。
読みどころ
本書の読みどころは、名探偵が「なぜ解けるのか」を初めて自分の言葉で語ってみせる、その一点にあります。 多くの探偵は推理の結論だけを鮮やかに差し出し、その源にある構えまでは語りません。
ところがここでのブラウン神父は、犯人と同じ地面に立ってものを見るという自らの流儀そのものを、聞き手に向かって開いてみせます。事件を解く技術ではなく、人間をどう見るかという姿勢こそが探偵術の芯にある——シリーズを貫いてきたその独自性が、この巻で理論の形をとって立ち上がってくるのです。
一篇ごとの衝撃という点では、鮮烈だった初期の巻に譲る面もあるかもしれません。それでも、探偵小説における「推理」とはそもそも何なのかを内側から問い直す構えは、この第4集ならではのもの。
個々の謎に付き合いながら、その奥でシリーズ全体の設計図が透けて見えてくる、そんな二重の読み方ができます。事件を追う楽しみと、探偵という存在を根本から考え直す楽しみとが、同じ一冊のなかで静かに重なり合っているのです。
名探偵の思考そのものに関心のある読者、そして謎解きを人間理解の物語として味わいたい読者には、まっすぐ届く一冊でしょう。逆に、〈ブラウン神父〉を初めて開くのであれば、この巻からより、事件の切れ味が前面に出た初期作から辿ったほうが、神父という探偵の像はつかみやすいかもしれません。
方法を語る枠と個々の事件、その二つの層を行き来する読み心地こそが本書の持ち味で、腰を据えて対話に付き合う時間にこそ応えてくれる作品です。
手に取るなら
現在手に取るなら、東京創元社の創元推理文庫版が確かな一冊です。訳は中村保男、巻末には高山宏による解説が収められています。
〈ブラウン神父〉の連作は一巻ごとに独立して読めますが、逆説と諧謔の大家が探偵という存在の芯をどう捉えていたのか、その核心にいちばん近づけるのがこの第4集にほかなりません。名探偵の秘密を、ほかならぬ探偵自身の声で聞いてみたい。
そんな読者に薦められる一冊です。