現代国内 1995
夜中に一人で読めと、
後輩が原稿を送ってきた。
『眼球綺譚』綾辻行人

書評

眼球綺譚

届いた原稿の不気味な誘いから、怪奇と幻想に満ちた短編の世界へ踏み込む。

眼球綺譚 表紙画像
綾辻行人 KADOKAWA(角川文庫)1995年
目次

大学の後輩から、郵便が届いた。添えられた手紙には、こう書いてある。

「読んでください。夜中に、一人で」。中に収められていたのは、ある地方都市での奇怪な事件を題材にした小説の原稿でした。

『眼球綺譚』の表題作は、そんな入り口から始まります。怪奇と幻想の気配をまとった作品を集めた、綾辻行人の短編集です。

一通の郵便から始まる不穏さに惹かれるなら、原稿を読むという身近な行為さえ落ち着かなくなる、この一冊の扉を開いてみてください。

物語の入り口

表題作の入り口は、一通の郵便です。差出人は、大学の後輩。

封を開けると、手紙と、小説の原稿が入っています。手紙にはこうあります。

読んでください。夜中に、一人で。

原稿の題材は、ある地方都市で起きた奇怪な事件。後輩はその原稿を、読んでほしいと送ってきた。

ただの近況報告ではなく、小説の原稿に、読む時刻と状況の指定まで添えて。受け取った側の手もとには、奇怪な事件をつづった原稿の束と、夜中に、一人で、とだけ念を押す短い手紙が残ります。

読んでください、夜中に、一人で。この一文の据わりの悪さが、表題作の空気を最初から決めています。

なぜ夜中なのか。なぜ一人なのか。

ただの原稿なら、昼間に読んでも同じはずです。それをわざわざ指定してくる後輩の意図が、まず引っかかります。

原稿に何が書かれているのか、その地方都市で何が起きたのか。封を開けた時点で、もう引き返せない気配があります。

手紙の指定どおりに読むか、それとも昼間の明るいうちに済ませてしまうか。原稿を受け取った側がその選択を迫られるところから、表題作はもう始まっています。

短編集ですから、表題作のほかにも物語は並んでいます。どれも怪奇と幻想の気配をまとった作品で、一編ごとに、違う角度から薄気味悪さが差し込んできます。

館の長編で謎解きを組み上げてきた綾辻行人が、恐怖のほうへ大きく舵を切った一冊です。

差出人が見知らぬ誰かではなく、大学の後輩だという点も見逃せません。見知った相手から、説明のない指定つきで、奇怪な事件をつづった原稿が届く。

身近な人間関係の延長に、得体の知れないものが差し込まれてくるのです。表題作の不穏さは、その落差から立ち上がります。

読みどころ

原稿を読むという身近な行為が、落ち着かないものに変わっていく。その手際が目を引きます。

表題作の入り口は、郵便と手紙と原稿という、ごくありふれた道具立てでできています。それなのに、読んでください、夜中に、一人で、という一文だけで、空気が変わる。

日常の側から不穏さを立ち上げる筆致は、この作家の恐怖小説の持ち味です。派手な怪異より、ありふれた行為に忍び込む違和感のほうが、あとまで残ります。

郵便を受け取り、封を開け、手紙に目を通す。表題作は、その何でもない動作の一つひとつに、少しずつ重さを持たせていきます。

もうひとつは、短編集としての読み口です。一編ずつが短く、怪奇と幻想の気配をまとった物語が並んでいます。

電車のなかで一話、昼休みに一話。区切って読める手軽さがある反面、後を引く。

読み終えたあとにしばらく残る不穏な余韻は、短い枚数だからこそ濃く出ています。怖い話を、上質な文章で読みたい人のための一冊です。

謎解きの作家が書く恐怖には、文章の統制がある。乱れのない筆致が、かえって怖さを増しています。

こんな人におすすめ

怪奇と幻想の香りが漂う短編を好む読者、日常のなかから不穏さが立ち上がる話に惹かれる読者に向いています。館ものの綾辻行人しか知らない人には、この作家のもうひとつの顔を知る入り口として最適です。

一編が短いので、まとまった時間が取れない時期にも進められます。ただし、一話読むごとに少しずつ怖さが積もっていきます。

逆に、謎解きの骨組みを第一に求める人には、本作の幻想の色は少し濃すぎるかもしれません。

作品の背景

綾辻行人は館を舞台にした長編を書き継ぐ一方で、怪奇と恐怖の領域でも長く書いてきました。本作はそちらの系列に属する短編集です。

1995年に初刊が出て以来、出版社を変えながら読み継がれてきました。現行版は2009年1月に出た角川文庫版で、336ページ。

一編が短く、隙間の時間に一話ずつ読み進めるのに向いた分量です。

手に取るなら

現行版は角川文庫。シリーズには属さない独立した短編集ですから、綾辻行人の他の作品を読んでいなくても問題ありません。

一話ごとに区切りのつく作りですから、急がず、一編読み終えるたびに少し間を置いて、余韻が引くのを待ってから次へ進むのが似合います。怪奇と幻想の側に立つ綾辻行人を知るなら、大学の後輩から届いた一通の郵便が、ちょうどいい入り口になります。

綾辻行人について

綾辻行人は1960年、京都市の生まれです。京都大学教育学部に進んで京大推理小説研究会に所属し、のちに妻となる小野不由美と同期でした。

研究会には我孫子武丸や法月綸太郎も在籍しています。大学院在学中の1987年に『十角館の殺人』でデビューし、この一作がのちに「新本格」と呼ばれる流れの起点になりました。

1992年には『時計館の殺人』で第45回日本推理作家協会賞(長編部門)を、のちには第22回日本ミステリー文学大賞を受けています。

奇妙な館を舞台にした館シリーズを書き継ぐ一方で、囁きシリーズや『殺人鬼』、『Another』、『深泥丘奇談』の連作など、恐怖と怪奇を主眼に据えた作品にも長く取り組んできました。漫画家の楳図かずおを「わが心の師」と公言しており、謎解きの骨組みを組み上げる仕事と、怖さを描く仕事を並行して続けてきた作家です。

書誌情報

出版社
KADOKAWA / 角川文庫
刊行年
1995
ISBN-13
9784043855032
系譜
現代国内 / 連作短編

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この記事を書いた人

リットン

都内金融機関で経営企画とデータアナリストをしているアラサー。
文系の非エンジニアですが、独学で始めた Python と生成AIにすっかりはまりました。
プログラミング・サッカー・ミステリ紹介など、好きなことを好きに書いています。

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