ミステリーとしての読みどころ
「殺人コンサルタント」を名乗っていた本好きの老婦人が、海辺の町の自室の窓辺で、椅子に座ったまま亡くなっている——。この一場面から、本と出版の世界そのものを舞台にした、遊び心あふれる現代英国の謎解きが動きはじめます。
読者を待っているのは、推理小説の書き手たちが暮らす界隈で、推理小説そのものが事件の中心に据えられていくという、少し倒錯した楽しさです。
著者について
著者のエリー・グリフィスは、イギリスの人気作家です。〈サンデー・タイムズ〉紙のベストセラーリストに名を連ねた、法医考古学者を主人公とするルース・ギャロウェイ・シリーズと、エドガー・スティーヴンス警部と戦友マックス・メフィストが活躍するミステリ・シリーズで、まず名声を築きました。
アメリカ探偵作家クラブ(MWA)のメアリー・ヒギンズ・クラーク賞と、英国推理作家協会(CWA)の図書館賞を受けた実力派で、とりわけ『見知らぬ人』では2020年のMWA賞最優秀長編賞に輝いています。本作『窓辺の愛書家』は、その『見知らぬ人』に登場した刑事ハービンダー・カーが再び主役を担うシリーズ第2作にあたります。
もっとも、事件そのものは独立して閉じているので、前作を読んでいなくても迷わず入っていけます。
物語の幕が上がるのは、海辺の町ショアハムです。本を愛し、長年たくさんの推理作家の執筆に手を貸してきた老婦人ペギー・スミスが、自室の窓辺で静かに息を引き取っているのが見つかります。
診断はごくありふれた心臓発作。年齢を思えば、誰もが自然な死と受け止めて不思議のない幕引きです。
ところが、彼女を介護してきたナタルカだけは、その死にどこか腑に落ちないものを感じ取ります。手がかりのひとつは、ペギーが「殺人コンサルタント」を名乗っていたという事実。
長年、推理作家たちの執筆を陰で支えてきた仕事ぶりを映す、なんとも風変わりな肩書きです。穏やかな老婦人の顔の裏に、そんな物騒な響きの肩書きが隠れていた——その落差が、ナタルカの胸のざわつきを大きくしていきます。
彼女は刑事ハービンダー・カーに相談を持ちかけながら、気の合う友人二人とともに、自分たちの手で真相をたどりはじめます。素人の詮索と警察の捜査が、少しずつ距離を測り合うように動き出すのです。
そんな折、事態は思いがけない一撃を受けます。ペギーの部屋を調べていた彼らのもとへ、銃を手にした覆面の人物が押し入り、あろうことか一冊の推理小説だけを奪い去って、そのまま消えてしまうのです。
金目のものには目もくれず、ただ本を一冊。この人物は誰なのか。
なぜ、よりによって一冊の小説にそこまでこだわるのか。冒頭の穏やかな死の風景に、いきなり生々しい暴力と得体の知れない問いが差し込まれる呼吸の切り替えが見事で、ここから読者は、老婦人の死を巡る静かな違和感と、正体不明の襲撃者を巡る鋭い緊張とを、同時に抱えて先へ進むことになります。
読みどころ
この作品の妙味は、本と出版というテーマを、飾りではなく事件の骨格そのものに編み込んでいるところにあります。 ミステリを書く人々の世界を舞台にし、奪われた一冊の小説を軸に据えるという構えは、読み手が慣れ親しんだ「本を読む楽しみ」そのものを謎解きの中へ引き込んでいきます。
作家、編集、そして本を仲立ちにした人間関係——そうした出版の界隈ならではの手触りが、事件の背景に厚みを与えているのです。プロの刑事一人に頼りきらず、介護士と友人たちという素人の顔ぶれが調査の中心に立つ座組みも楽しく、堅苦しくならない語り口のなかに、きちんと不穏さが仕込まれています。
日本でも〈週刊文春〉2022ミステリーベスト10の海外部門で第10位に選ばれており、その評価の確かさがうかがえます。
純粋なパズルとして、示された手がかりから犯人を一直線に絞り込んでいく硬質な謎解きを求めると、少し風合いの違いを感じるかもしれません。本作の魅力は、論理の一点突破よりも、登場人物たちの掛け合いや町の空気、本を巡る人間模様といった、物語全体の呼吸のほうに厚く宿っています。
逆に、英国の田舎町ののどかさとひそやかな不穏さが同居する雰囲気を好む読者、文芸的な味わいと本格的な謎解きが両立した一冊を探している読者には、心地よく手が伸びる作品でしょう。本にまつわる仕掛けが好きな人ほど、この趣向を面白がれるはずです。
手に取るなら
入手は東京創元社の創元推理文庫版で、訳は上條ひろみ。前作『見知らぬ人』も同じ訳者の手によるもので、ほかにフルーク〈お菓子探偵ハンナ〉シリーズなどを手がけてきた英米文学の翻訳家です。
巻末には杉江松恋による解説が添えられています。ハービンダー・カー警部シリーズはこのあとも『小路の奥の死』、そして The Last Word と続いていくので、本作の読み心地が気に入ったら、同じ顔ぶれを追ってそのまま先へ進めるのも嬉しいところです。
まずは、本を愛した一人の老婦人の死と、奪われた一冊の謎から、この遊び心に満ちた世界へ足を踏み入れてみてください。