なのに犯行は不可能だった。
捜査線上の夕映え
人と会うことすら難しい時代を、そのまま謎解きの条件に変えたシリーズ三十年目の長編。
大阪のマンションの一室で、元ホストの死体が、スーツケースに押し込められた状態で発見されました。凶器や被疑者はすぐに見つかり、難なく解決するかに思われた事件。
ところがそれは、鉄壁のアリバイと、捜査を攪乱する「ジョーカー」によって、不可能犯罪と化していきます。『捜査線上の夕映え』は、臨床犯罪学者 火村英生シリーズの誕生30周年の節目に書かれた長編です。
作中の時制は2021年8月。緊急事態宣言が解除されたあとの、コロナ禍の日本が舞台です。
人と会うことすら難しい時代を、そのまま謎解きの条件に変えた一冊で、『このミステリーがすごい!』2023年版の国内3位をはじめ、主要ランキングを席巻しました。
物語の入り口
大阪のマンションの一室で、死体が見つかります。元ホストの男性。
スーツケースに押し込められた状態でした。凶器は、すぐに見つかります。
被疑者も、すぐに浮かびます。ふつうなら、難なく解決するはずの事件でした。
ところが、そうはいきません。浮かんだ被疑者には、鉄壁のアリバイがあった。
そして、捜査を攪乱する「ジョーカー」が現れる。誰が、何のために、捜査をかき回すのか。
その存在は「ジョーカー」と呼ばれます。鉄壁のアリバイと、ジョーカー。
二つによって、単純なはずの事件は、不可能犯罪の形をまとっていきます。聞き込みひとつにも制約のある時代に、その壁は、いっそう高く見えます。
作中の時制は、2021年8月です。緊急事態宣言が解けたあとの、重い空気。
人と会うことが難しく、移動も面会も制限される時代。それは、アリバイと目撃証言を土台にする謎解きにとって、前提そのものに関わる条件です。
誰がいつどこにいたか、誰が誰を見たか。その確かめ方が、ふだんとは違う。
有栖川有栖は、その時代の条件を、推理の条件そのものに組み込みました。
読者は、コロナ禍の大阪で、火村とアリスの聞き込みについて回ることになります。派手な立ち回りはありません。
聞き込みと検討を積み重ねる、静かな読み心地です。それでも、鉄壁のアリバイとジョーカーという二つの壁を前に、論理は少しずつ進んでいく。
真相へ向けて。静かな歩みのぶん、一歩ごとの手応えは確かです。
読みどころ
読みどころは、人と会うことすら難しかった2021年の夏を、そのまま謎解きの条件に変えている点にあります。 緊急事態宣言が解けたあとの2021年8月という時制は、単なる背景ではありません。
アリバイと目撃証言の確かめ方が変わる以上、謎解きの前提そのものが変わる。30年続いたシリーズが、その変化を正面から引き受けた。
被疑者のアリバイも、目撃証言も、人と会うことが制限された夏のさなかに確かめなければならない。その不自由さを、この物語は背景に退かせず、謎の土台に据えています。
人と会うことが制限された夏に、臨床犯罪学者はどう聞き込みを重ねるのか。その一点を追う楽しみが、事件の最初から途切れません。
もうひとつは、鉄壁のアリバイとジョーカーという、二重の壁です。被疑者はすぐに浮かぶのに、事件は解けない。
解けないだけでなく、誰かが捜査をかき回している。聞き込みと検討を積み重ねる静かな読み心地のなかで、その二つの壁が、最後まで論理の緊張を保ちます。
被疑者のアリバイという動かない壁と、正体の見えないジョーカーという動く壁。性質の違う二つが同時に立ちはだかるので、聞き込みの一つひとつが、どちらの壁に向けた一歩なのかを考えながら読むことになります。
こんな人におすすめ
アリバイと目撃証言を一つずつ確かめていく論理派本格を好む読者、静かな聞き込みの積み重ねを味わいたい読者に向いています。火村英生シリーズを追ってきた人にとっては、30周年の節目に置かれた作品です。
事件は本書のなかで完結しますから、シリーズ未読でも読めます。逆に、派手な展開や速いテンポを求める気分のときには、464ページにわたって聞き込みと検討が続く運びが、遠回りに映るでしょう。
作品の背景
本作は火村英生シリーズの誕生30周年という節目の長編です。単行本は2022年1月、文藝春秋から、464ページ。
文庫版は2024年11月に文春文庫から出て、解説は佐々木敦。現行版はこの文庫版で、電子版もあります。
評価は、刊行の年からはっきりしていました。『このミステリーがすごい!』2023年版で国内3位。
『週刊文春ミステリーベスト10』2022年で国内8位。『本格ミステリ・ベスト10』2023年版で国内8位。
三つの主要ランキングで揃って上位に入り、ミステリランキングを席巻した一冊です。長く続いたシリーズが、時代の変化を正面から受け止めました。
手に取るなら
現行版は文春文庫。火村英生シリーズの一冊ですが、本作単独でも筋は追えます。
2021年8月の大阪へ、火村とアリスとともに。スーツケースの死体と、鉄壁のアリバイと、ジョーカー。
三つの条件を胸に、聞き込みに最後まで付き合ってみてください。
有栖川有栖について
有栖川有栖は1959年、大阪市の生まれです。小学生のころから推理作家を志し、同志社大学法学部では推理小説研究会に所属しました。
卒業後は書店に勤めながら書き続け、1989年に『月光ゲーム Yの悲劇'88』でデビューします。1994年に書店を辞め、専業作家になりました。
作品は大きく二つの系列に分かれます。江神二郎が探偵役を務める学生アリスのシリーズと、臨床犯罪学者の火村英生と推理作家の有栖川有栖が組む作家アリスのシリーズです。
2003年に『マレー鉄道の謎』で第56回日本推理作家協会賞、2008年に『女王国の城』で第8回本格ミステリ大賞、2018年に火村英生シリーズで第3回吉川英治文庫賞、2022年に第26回日本ミステリー文学大賞を受けました。2000年から2005年までは本格ミステリ作家クラブの初代会長も務めています。
書誌情報
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