ミステリーとしての読みどころ
氷に閉ざされた冬の川から、一台の車が引き揚げられる。トランクのなかには、銃で撃たれ、そのうえ首を折られた死体があった。
犯人はなぜ、これほど念入りに殺したのか——。イングランド東部の古都イーリーを舞台に、地方紙の記者が問いへと踏み込んでいく。
『水時計』は、土地の風土を色濃く映した現代英国本格ミステリです。
著者について
著者のジム・ケリーは、1957年に英国ハートフォードシャーで生まれた書き手です。長く新聞記者として働いた経歴を持ち、その現場で培った目と足を注ぎ込んで、2002年に発表したデビュー作が本書『水時計』でした。
取材する側の人間を主人公に据えた着想は、報道の現場を知る作者ならではのものでしょう。事実を一つずつ確かめ、裏を取り、ばらばらの断片から記事の形を組み上げていく——そうした記者の仕事のありようが、そのまま謎解きの手つきへと重なっていくところに、この作家の狙いがうかがえます。
以後、この一作から始まる新聞記者ドライデンのシリーズは『火焔の鎖』『逆さの骨』と続き、さらにピーター・ショウとジョージ・バレンタインという警察官コンビを主役にした別シリーズも書き継がれていきます。2006年には、図書館員が選び作家に授与する英国推理作家協会(CWA)図書館賞を受賞。
派手な話題づくりよりも、堅実な作品を積み重ねて評価を得てきたタイプの作家といえます。日本での紹介は2009年、創元推理文庫から。
『2010本格ミステリ・ベスト10』海外編で第4位、『IN★POCKET』2009年文庫翻訳ミステリーベスト10の翻訳家&評論家部門で第9位と、年末のランキングにも名を刻みました。デビュー作でありながら、その完成度が数字の面からも裏づけられた格好です。
物語の舞台は、沼沢地に囲まれたイングランド東部の小さな古都イーリー。11月、冬の底に沈みかけたこの町で、氷結した川から一台の車が引き揚げられます。
トランクを開けてみれば、なかには身元の知れない死体がひとつ。銃で撃たれ、さらに首まで折られていました。
ひとつの命を奪うのに、なぜここまでの手数が要ったのか。過剰とも見えるその殺し方そのものが、最初の大きな謎として物語の入り口に据えられます。
そしてこの問いに向き合うのが、週刊新聞「クロウ」の敏腕記者ドライデンです。事件記者として街に網を張る彼の前に、翌日、もうひとつの死が姿を現します。
修復工事の続く大聖堂、その屋根の上で見つかった白骨死体。氷の川に沈んでいた死体と、天を仰ぐ聖堂の高みに横たわる骨。
低いところと高いところ、新しい死と古い死。一見すると何のつながりもなさそうな二つの死が、記者の手元に同時に投げ出されます。
読者は、どちらの糸から手繰ればいいのか見当のつかないまま、ドライデンの取材ノートの傍らに立たされることになります。事件を追う職業の主人公だからこそ、聞き込みと裏取りを重ねて一歩ずつ像を結んでいくその歩みに、自然と同行させられていくのです。
読みどころ
この作品の芯は、土地そのものが物語を語り出す構えにあります。 沼沢地の湿り気、凍てつく川、修復途上の大聖堂——イーリーという街の風土が、単なる背景ではなく事件の質感そのものとして立ち上がってきます。
版元の紹介でも、堅牢きわまりない論理と緻密に張られた伏線、そして硬質の筆致がそろって讃えられているとおり、本書は情緒に流れず、あくまで謎解きの骨格を正面から組み上げるタイプの一冊です。地方紙の記者という等身大の探偵役が、派手な閃きではなく地道な調べで謎に迫っていく手つきも、この硬質さと響き合っています。
二つの死は、果たしてどこかで結びつくのか。その問いの行方を最後まで見届けたくなる求心力が、この作品にはあります。
現代英国本格の新星として迎えられた理由が、読み進めるほどに納得できるはずです。
パズルとしての謎解きを、風土の描写ごと味わいたい読者には、しっくりくる一冊でしょう。逆に、スピード感のある展開や派手な事件の連続を求めると、序盤の静かな立ち上がりを長く感じるかもしれません。
ここで効いてくるのは、寒々とした沼沢地の空気を厭わず、むしろその冷たさに浸りながら、謎がゆっくり解きほぐされていく過程を楽しめるかどうか。英国の地方の質感が好きな人ほど、深く沈み込める作品です。
手がかりを一つずつ拾い、論理の筋を自分でも追いかけながら読み進めたい人にとっては、堅牢な伏線の張り方がそのまま読みごたえになるでしょう。反対に、キャラクターの掛け合いや軽妙なテンポを第一に求める読者には、やや静かで硬い読み口に映るかもしれません。
手に取るなら
入手は創元推理文庫版で、訳は玉木亨。クリーヴス『大鴉の啼く冬』『白夜に惑う夏』などを手がけてきた英米文学翻訳家の仕事です。
巻末には杉江松恋による解説も付いています。気に入ったら、同じドライデンを追う『火焔の鎖』『逆さの骨』へと読み継いでいけるのも、シリーズ第一作ならではの楽しみでしょう。