戦後昭和国内 2018
ひとつの殺人事件が、
名古屋と東京にまたがる。
『深夜の博覧会 昭和12年の探偵小説』辻真先

書評

深夜の博覧会 昭和12年の探偵小説

昭和12年の名古屋博覧会を舞台に、少年画家が二都市にまたがる謎を追う長編。

深夜の博覧会 昭和12年の探偵小説 表紙画像
辻真先 東京創元社(創元推理文庫)2018年
目次

似顔絵描きの少年と新聞記者が、超特急に乗って博覧会へ向かう。辻真先『深夜の博覧会 昭和12年の探偵小説』の骨組みは、この一行に収まります。

行き先は、昭和12年に開かれていた名古屋汎太平洋平和博覧会。会場の賑わいのさなかに、名古屋と東京にまたがる不可解な殺人事件が起こります。

博覧会を実際に見た著者が書いた、〈昭和ミステリ〉シリーズの第1作です。

物語の入り口

昭和12年5月、銀座。少年・那珂一兵は、道行く人の似顔絵を描きながら、漫画家になる夢を追っています。

そこへ、帝国新報の女性記者が訪ねてきます。用件は仕事の依頼でした。

開催中の名古屋汎太平洋平和博覧会に同行し、記事に添える挿絵を描いてほしいというのです。街角で似顔絵を描いていた少年に、新聞の紙面に載る絵の仕事が舞い込む。

夢に向かって、思いがけない一歩が差し出された形です。

こうして一兵は、記者とともに東京を発ちます。乗り込むのは、当時の花形だった超特急燕号。

車窓を流れる景色と、列車の旅の高揚が、物語の前半を明るく彩ります。そしてたどり着いた名古屋では、博覧会の会場が華やかに広がっている。

昭和12年という年の空気をまとった人々と、催しの喧噪。記者の取材に付き従って会場を見て回るうちに、いまは失われた街の姿が、一枚ずつ頁の上に描き出されていきます。

華やかな会場、人の波、戦前の名古屋の活気——紙の上の博覧会が、少しずつ立体になっていく道のりです。

ところが、その最中に殺人事件が起こります。それも、名古屋と東京という二つの都市にまたがる、不可解な事件です。

博覧会の取材で名古屋にいる少年と記者の周りで、事件がどのような姿を現すのか。

銀座の街角で客の顔を写していた少年が、新聞社の仕事で出た初めての遠出の先で、二つの都市にまたがる事件に行き当たる。少年と並んで超特急の座席に揺られ、同じ速度で会場を歩きながら、読者は昭和12年の名古屋へ連れていかれます。

挿絵の仕事のつもりで出かけた旅が、思いもよらない方向へ曲がっていくところから、謎解きが動き出します。

読みどころ

本作の核にあるのは、失われた街を、見た者の記憶から描き起こすという仕事そのものです。

戦前の名古屋の街並みは空襲で失われ、博覧会の会場もいまは残っていません。その景色を幼い日に実際に見た作家が、80代半ばで一冊の探偵小説として書き上げた。

会場の華やぎ、特急列車の旅、昭和12年の銀座——頁をめくるたびに現れる当時の景色が、事件より先に読む者の目をとらえます。

もうひとつは、那珂一兵という探偵役の出発点に立ち会えることです。〈昭和ミステリ〉シリーズは、この作品を皮切りに昭和24年、昭和36年と時代を下っていき、第2作の『たかが殺人じゃないか』は年末ランキングで3冠を得ました。

シリーズの評判が広がったいま、その最初の事件をたどる楽しみがあります。文庫版には辻真先自身のあとがきと、大矢博子の解説が収められています。

文庫で434ページある、時代の描写に厚みを割いた長編なので、すぐに事件の核心へ踏み込む展開を期待すると、前半の旅と博覧会の場面を長く感じるかもしれません。ただ、その場面の積み重ねこそが、この作品にしか書けない昭和12年を形づくっています。

こんな人におすすめ

戦前の日本を舞台にした時代色の濃いミステリが好きな人、名古屋という街に縁のある人に向いています。鉄道の旅や博覧会の風俗を、物語の背景としてではなく味わいの中心として楽しめる人ほど、頁を繰る手が止まらないでしょう。

『たかが殺人じゃないか』から入ってシリーズの始まりを知りたい人にも、手に取る理由のある作品です。

作品の背景

名古屋汎太平洋平和博覧会は、1937年3月15日から5月31日まで、実際に名古屋で開かれた催しです。名古屋市に生まれた辻真先は、幼い日にこの博覧会を自分の目で見ています。

戦前の名古屋の街並みは、のちに空襲で失われました。いまは写真や記録のなかにしか残らないその景色を、実見した作家が小説のなかに描き起こしたのが本作です。

『深夜の博覧会』は2018年8月に東京創元社から四六判で刊行されました。このあと〈昭和ミステリ〉シリーズは『たかが殺人じゃないか 昭和24年の推理小説』『馬鹿みたいな話! 昭和36年のミステリ』と続き、第2作は年末ミステリランキングで3冠を達成しています。

手に取るなら

現在手に取るなら、2021年1月刊の創元推理文庫版です。著者あとがきは辻真先、解説は大矢博子。

シリーズを順に読むなら、この作品から『たかが殺人じゃないか』『馬鹿みたいな話!』へ進むのが自然な流れです。似顔絵を描く少年と一緒に燕号へ乗り込み、昭和12年の博覧会の賑わいを歩いてみてください。

辻真先について

辻真先は1932年、愛知県の生まれです。名古屋大学を卒業して1954年にNHKへ入り、制作進行や演出の現場を経験したのち、『鉄腕アトム』『サザエさん』『デビルマン』『Dr.スランプ アラレちゃん』など、アニメや特撮の脚本家として幅広く活躍しました。

ミステリ作家としては1972年の『仮題・中学殺人事件』でデビューし、1982年に『アリスの国の殺人』で第35回日本推理作家協会賞を、2009年には名前のアナグラムである牧薩次の名義で出した『完全恋愛』で第9回本格ミステリ大賞を受けています。叙述の仕掛けを凝らした実験作から、トラベルミステリやユーモアミステリまで作風は幅広く、2019年には第23回日本ミステリー文学大賞に選ばれました。

2020年、88歳で刊行した『たかが殺人じゃないか 昭和24年の推理小説』は、年末の主要ミステリランキング3誌でそろって国内1位になっています。

書誌情報

出版社
東京創元社 / 創元推理文庫
刊行年
2018
ISBN-13
9784488405168
系譜
戦後昭和国内

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この記事を書いた人

リットン

都内金融機関で経営企画とデータアナリストをしているアラサー。
文系の非エンジニアですが、独学で始めた Python と生成AIにすっかりはまりました。
プログラミング・サッカー・ミステリ紹介など、好きなことを好きに書いています。

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