現代国内 2022
さらわれたのは探偵。
助手の取り柄は耳だけ。
『録音された誘拐』阿津川辰海

書評

録音された誘拐

探偵自身が誘拐される長編。耳のいい助手・山口美々香が令和の誘拐に挑む阿津川辰海。

録音された誘拐 表紙画像
阿津川辰海 光文社(光文社文庫)2022年
目次

大野探偵事務所の所長・大野糺が、誘拐されました。探偵が事件を解く側ではなく、事件の中心に置かれる。

阿津川辰海『録音された誘拐』は、そこから始まる物語です。残された助手の山口美々香は、耳が良いのがとりえ。

様々な手掛かりから、微妙な違和感を聞き逃さず真実に迫ります。その裏には、15年前のある事件の影が差していました。

誘拐犯と、所長を欠いた探偵事務所との駆け引きを、令和の現在に置いた長編です。2022年に光文社から刊行され、現在は光文社文庫で読めます。

物語の入り口

大野糺と山口美々香の探偵コンビは、『透明人間は密室に潜む』収録の短編「盗聴された殺人」に登場した二人です。短編で顔を見せたコンビが、ここで本格的に動きます。

所長と助手の力関係が、誘拐によって逆転するところから、この物語は始まります。

大野探偵事務所の所長、大野糺が誘拐されました。探偵事務所の所長が、誘拐の被害者になる。

ふつうなら依頼を受けて事件を追う側の人間が、追われる側に回っています。ふだんは事件を持ち込まれる探偵事務所が、事件そのものの中心に置かれます。

しかも舞台は令和の現在で、誘拐には現代のテクノロジーが絡んできます。

残されたのは、助手の山口美々香です。耳が良いのがとりえ。

彼女は様々な手掛かりの中から、微妙な違和感を聞き逃さず、真実に迫ろうとします。誘拐という事件では、犯人の声、電話の音、録音された言葉が、手掛かりのほとんどを占めます。

目で見える証拠が少ない事件で、耳の良さは、そのまま探偵の武器になります。ただし、所長は誘拐されていて、助手は一人です。

武器は一つ、相手は見えない。その条件で、彼女は考え始めます。

その裏には、15年前のある事件の影がありました。目の前の誘拐だけを追っていればすむ話ではない、ということです。

ふだんは所長の下で動く助手が、所長を欠いたまま、見えない相手と向き合う——ここから、美々香の本当の仕事が始まります。

読みどころ

この長編の読みどころは、音を手掛かりにする探偵が、誘拐という音の事件に挑むところにあります。 誘拐ミステリは、電話の声と、指示の言葉と、受け渡しの緊張で進みます。

ここに、耳の良さをとりえとする助手を置く。犯人の言葉のどこに違和感があるのか、録音の何が引っかかるのか。

読み手には文字しか与えられませんが、美々香の耳を通して、音の事件を追うことになります。「録音された」という題名が、その道具立てを示しています。

音は、書かれた途端に文字になります。その制約を承知のうえで、聞こえ方の微妙な違和感を推理の足場に据えたところに、『録音された誘拐』の挑戦があります。

もうひとつは、この探偵コンビが長い尺を与えられたことです。「盗聴された殺人」では短編の枠のなかで顔を見せた二人が、ここでは誘拐の発生から犯人との駆け引きの最後までを受け持ちます。

短い一編なら一度の聞き分けで済むところを、美々香は所長を欠いた事務所で、何度も耳を澄まし直さなければなりません。相手が一手を打つたびに、手元に集めた違和感を聞き直す。

その往復の積み重ねが、コンビの初登場作とは違う手ごたえを生んでいます。

探偵が誘拐される。その設定は、探偵小説の約束事を一つ崩しています。

探偵は安全な場所から推理する、という約束事です。ここでは、探偵が事件の中にいる。

残された助手が、探偵の代わりに考える。耳の良さをとりえにしてきた助手が、所長の役目まで引き受けて、誘拐犯と渡り合うことになります。

指示を受ける側だった人物が、自分で判断を下す側に回る。その置き換えが、誘拐犯とのやりとりの一手ごとに効いてきます。

作品の背景

『録音された誘拐』は2022年8月に光文社から単行本で刊行され、2025年4月に光文社文庫に入りました。刊行の年の「週刊文春ミステリーベスト10」では国内13位となり、『本格ミステリ・ベスト10』2023年版では国内3位、「このミステリーがすごい!」2023年版では国内編15位に選ばれています。

手に取るなら

光文社文庫で読めます。電子版もあります。

短編「盗聴された殺人」を先に読んでおくと二人の顔がわかりますが、この一冊から入っても困りません。誘拐ミステリが好きな人、音や録音を手掛かりにする推理に惹かれる人、犯人との駆け引きを一手ずつ追いたい人に。

スマートフォンも録音も身近になった現在に、誘拐という古くからある事件を置き直した道具立ても見どころです。所長の不在から始まる事件を、助手の耳ひとつで最後まで追っていく一冊です。

阿津川辰海について

阿津川辰海は1994年、東京都に生まれました。東京大学法学部に在学中は文芸サークル「新月お茶の会」に所属し、光文社の新人発掘企画〈カッパ・ツー〉の第一期に選ばれて、2017年に『名探偵は嘘をつかない』でデビューしています。

『紅蓮館の殺人』に始まる〈館四重奏〉や、短編集『透明人間は密室に潜む』『入れ子細工の夜』など、特殊な設定や極限の状況を持ち込み、その上で論理を組み立てる本格ミステリを書き継いできました。『透明人間は密室に潜む』は『本格ミステリ・ベスト10』2021年版で国内1位となり、2023年には『阿津川辰海 読書日記 かくしてミステリー作家は語る〈新鋭奮闘編〉』で第23回本格ミステリ大賞の評論・研究部門を受けています。

書誌情報

出版社
光文社 / 光文社文庫
刊行年
2022
系譜
現代国内 / シリーズ探偵物

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この記事を書いた人

リットン

都内金融機関で経営企画とデータアナリストをしているアラサー。
文系の非エンジニアですが、独学で始めた Python と生成AIにすっかりはまりました。
プログラミング・サッカー・ミステリ紹介など、好きなことを好きに書いています。

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