恐怖小説も創っていた。
江戸川乱歩傑作選
「二銭銅貨」から「芋虫」まで、乱歩の初期作9篇。明智小五郎の初登場作も収め、本格から怪奇まで幅広さを一冊で。
平井太郎という青年が、エドガー・アラン・ポーの名を日本語読みにした筆名「江戸川乱歩」で世に出たのは、1923年のことでした。1894年に三重県名張で生まれ、いくつもの職を転々としたのちの出発です。
『江戸川乱歩傑作選』は、この書き手が作家として立ったばかりの時期の仕事から9編を選んだ、新潮文庫の短編集です。ポーの名を借りた筆名が予告するとおり、推理と怪奇の両方へ手を伸ばした出発期の作品が、ここに並んでいます。
物語の入り口
巻頭に置かれているのは、1923年の処女作「二銭銅貨」です。特異な暗号を軸にした一編です。
作家としての第一声は、謎解きの形をとっていたことになります。『新青年』に載ったこの一編が、勤め先や商売を渡り歩いてきた平井太郎を、探偵小説の書き手に変えました。
目次を順に写すと、「二銭銅貨」「二癈人」「D坂の殺人事件」「心理試験」「赤い部屋」「屋根裏の散歩者」「人間椅子」「鏡地獄」「芋虫」の9編です。3番目の「D坂の殺人事件」は1925年の作で、のちに少年探偵団シリーズまで書き継がれていく明智小五郎が、はじめて登場した作品にあたります。
シリーズの起点を、この文庫で押さえられるわけです。
巻末の「芋虫」は、苦痛と快楽と惨劇を描いた一編で、乱歩の怪奇趣味をもっとも色濃く映す作です。暗号の謎で幕が上がり、怪奇の極みで閉じる。
目次の並びそのものが、この作家の振れ幅を写しとったかのような構成です。
各編は原稿用紙にして数十枚ほどの長さで、どこから開いても一話で完結します。好きな順に拾い読みしてかまいません。
大正の終わりから昭和の初めにかけて書かれた文章ですが、口語で綴られており、現代の目で追っても引っかかるところは多くないはずです。目次を開いた読者は、九つの扉が並ぶ廊下の端に立たされます。
手前の扉は暗号の謎へ、突き当たりの扉は怪奇の奥へ通じています。名探偵の初登場を先に確かめたければ3番目から、怪奇の側の到達点に身構えて臨みたければ巻末から——開く順番を変えるだけで、この文庫の顔つきはずいぶん違って見えるはずです。
読みどころ
読みどころは、暗号の謎解きと怪奇の極みが同じ文庫のなかで隣り合う、その振れ幅にあります。
9編のなかでは、耽美に傾いたトリックと、倒錯した執着とが入り交じります。理屈で解ける謎と、理屈では割り切れない偏りとが、同じ書き手の同じ時期の筆から出てきた。
謎解きの探偵小説と、恐怖そのものを描く小説——初期の乱歩が並行して進めた二つの仕事は、別々の本に分かれてはいません。一つの目次のなかで、背中合わせに置かれています。
もうひとつは、一編完結のリズムです。数十枚で一つの話が閉じるので、三十分ほどの空き時間があれば一話を読み終えられます。
短い枠のなかで、暗号の遊びにも、怪奇の偏りにも振り切ってみせる。その切り替えの速さを、続けて何編か読むうちに体で覚えていくことになるでしょう。
書かれたのは100年ほど前です。現代のミステリの緻密な論理を物差しにして開くと、素朴に映る箇所もあるかもしれません。
けれども、推理の遊びと怪奇への傾きを、一人の書き手が同じ時期に書き分けていたという幅の広さは、いま読んでも目を引きます。
こんな人におすすめ
明智小五郎という名前は知っていても、最初の登場作をまだ読んでいない読者に向いています。暗号や謎解きの原点をたどりたい人にも、怪奇や耽美の系譜に関心のある人にも、それぞれ入っていける編があります。
ただし、巻末の「芋虫」は惨劇を正面から描いた一編です。生々しい描写が苦手な人は、最後に回すか、様子を見ながら読み進めるのがよいでしょう。
作品の背景
新潮文庫版の初刊は1960年です。改版を重ねながら、いまも新刊の棚に並び続ける同文庫の長期ロングセラーで、収録作は1923年の処女作や、1925年に名探偵・明智小五郎が初めて姿を見せた作品を含む、作家生活の初期の短編で占められています。
この9編には、乱歩が草分けとなった本格推理と怪奇小説、その二つの流れがそろって入っています。
手に取るなら
現在手に取るなら、新潮文庫版です。電子書籍版も出ています。
収録順に読めば処女作から怪奇の極みまでを一続きにたどれますし、気になる題名から拾っていっても差し支えありません。あいだに並ぶ7編は、予備知識を持たずに開くほど、一編ごとに白紙から入っていく感触が強く残ります。
ポーの名を借りて世に出た書き手の出発期が、9つの題名のなかに収まっています。
江戸川乱歩について
江戸川乱歩は本名を平井太郎といい、1894年に三重県名張で生まれました。早稲田大学で経済を学んだあと、貿易会社勤めや古本屋などの職を転々とし、1923年、雑誌『新青年』に載った「二銭銅貨」で作家になります。
筆名はエドガー・アラン・ポーをもじったものです。1925年の「D坂の殺人事件」で名探偵明智小五郎を登場させ、1936年からは『怪人二十面相』に始まる少年探偵団シリーズで年少の読者もつかみました。
戦後は評論集『幻影城』などで海外の探偵小説を論じ、1947年に探偵作家クラブ(のちの日本推理作家協会)の初代会長に就任します。1954年には還暦を機に江戸川乱歩賞を設け、雑誌『宝石』の編集にも携わって、後に続く書き手の道を整えました。
1965年に没しています。
書誌情報
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