戦後昭和国内 1957
現場に一匹の黒ネコ。
素人の兄妹が謎を追う。
『猫は知っていた』仁木悦子

書評

猫は知っていた

素人探偵の兄妹が奇妙な連続殺人に巻き込まれる。明朗な筆致の仁木悦子による乱歩賞デビュー作。

猫は知っていた 表紙画像
仁木悦子 講談社(講談社文庫)1957年
目次

日本の推理小説で、初めて江戸川乱歩賞を受けた小説がこれです。仁木悦子『猫は知っていた』は、1957年の第3回江戸川乱歩賞受賞作で、著者のデビュー長編でもあります。

素人探偵の兄妹・仁木雄太郎と悦子が、奇妙な連続殺人事件に巻きこまれる。怪しげな電話、秘密の抜け穴、蛇毒の塗られたナイフ、そして事件現場に現れる一匹の黒ネコ。

好奇心あふれる悦子のひらめきと、頭脳明晰な雄太郎の推理が真相に迫っていきます。重い題材にも明るい光を当てる、その明朗な筆づかいを最初の一作から備えていた作家の出発点です。

物語の入り口

主役は兄妹です。兄の仁木雄太郎は頭脳明晰で、筋道を立てて考える役。

妹の悦子は好奇心にあふれ、ひらめきで動く役。探偵と助手ではなく、考える兄と閃く妹という組み合わせで、二人とも素人です。

警察の肩書きも探偵の看板も持たないこの二人が、奇妙な連続殺人事件に巻きこまれます。妹の名が作者と同じ「仁木悦子」であることも、兄妹に不思議な親しみを添えています。

兄妹を待ち受ける道具立ては四つあります。怪しげな電話。

秘密の抜け穴。蛇毒の塗られたナイフ。

事件現場に現れる一匹の黒ネコ。並べただけで、古き良き探偵小説の匂いが立ちます。

それぞれが物語のどこでどう働くのかは、頁をめくる楽しみとして残しておいてください。

黒ネコが事件の現場に現れる、という事実だけを胸に、兄妹と一緒に不穏な出来事の中へ入っていく。連続殺人という題材でありながら、入り口の空気は重くありません。

語り口が明るいからです。好奇心の強い妹が先に動き、兄が筋道を立てて受け止める、その呼吸が場面を軽くしています。

兄と妹のやり取りには生活の実感があり、事件の不穏さと日常の明るさが、同じ頁の上に並んでいます。その並び方に慣れるころには、もう物語の中にいます。

読みどころ

本作の核は、連続殺人という重い題材を、明るい語り口と筋の通った推理で最後まで運びきるところにあります。 切れ味のある謎の仕掛けと、読んでいて気持ちのほぐれる文章——この二つは普通なら相性がよくありません。

トリックを鮮やかに見せようとすれば語りは硬くなり、文体を和ませようとすれば謎はゆるみます。本作はその両方を同時に成り立たせています。

物騒な道具立てがいくつ並んでも、兄妹の会話が挟まるたびに、頁の空気はふっと緩みます。戦後しばらく童話や児童文学を書いていた著者の経歴を重ねると、事件を語りながら角の立たない文章の運びにも合点がいきます。

もうひとつは、兄妹という探偵役の造形です。頭脳明晰な兄と、好奇心で動く妹。

片方が考え、片方が動く。この分担が、推理の場面に会話の弾みを与えています。

名探偵が一人で謎を解くのを眺めるのではなく、二人のやり取りを追ううちに真相へ近づいていく。素人の兄妹だからこそ、読者は自分も同じ立場で考えられます。

名探偵の超人性に頼らず、観察と会話の積み重ねで真相へ向かう。その手つきは、六十年以上を経たいまも古びていません。

1957年の作品なので、風俗や言葉づかいには時代の色があります。ただ、それは古さというより、戦後昭和の暮らしの手ざわりとして残っています。

当時の東京の空気ごと味わうつもりで読むと、時代の色は障りではなく味になります。六十年以上前の推理小説が、いまも十分に楽しめる理由が分かるはずです。

作品の背景

仁木悦子が推理小説に転じて最初に書いた長編が『猫は知っていた』で、これが1957年の第3回江戸川乱歩賞を受けました。乱歩賞の第1回と第2回は評論・研究への授賞だったため、小説でこの賞を受けたのはこの作品が最初です。

『猫は知っていた』は仁木兄妹シリーズの第1作にあたります。作中の探偵役が作者と同じ「仁木悦子」の名を持つ妹と、その兄・雄太郎という配置で、著者名そのものが作中人物の名になっています。

手に取るなら

現在手に取るなら、講談社文庫の新装版です。電子版もあります。

仁木兄妹シリーズの第1作で、シリーズをこれから読む人はここから始めるのが順当です。乱歩賞の歴史をたどりたい人には、江戸川乱歩賞全集の併録版という選び方もあります。

連続殺人の謎を、重苦しさなしに、明るい兄妹の会話と一緒に追いたい人に向いています。事件現場をよぎる一匹の黒ネコ——その小さな影を題名に掲げた、兄妹の最初の事件簿です。

仁木悦子について

仁木悦子は1928年に東京府で生まれ、1986年に58歳で亡くなりました。4歳で胸椎カリエスを発病して両足が麻痺し、学校へは通わずに独学で育ちます。

戦後に童話を書き始め、旧姓の大井三重子の名でも子ども向けの作品を残しました。

姉の影響で海外の推理小説を読むようになり、書き上げた長編『猫は知っていた』は、応募先の公募企画が中止になったあと江戸川乱歩の勧めで第3回江戸川乱歩賞に回され、1957年に受賞します。同作はベストセラーとなり、明るく読みやすい作風から「日本のクリスティー」とも呼ばれました。

探偵役には、学生の仁木雄太郎・悦子の兄妹と、ハードボイルド寄りの私立探偵・三影潤の二系統があります。1961年には女性推理作家の会「霧の会」を結成し、1981年には短編「赤い猫」で第34回日本推理作家協会賞を受けました。

書誌情報

出版社
講談社 / 講談社文庫
刊行年
1957
ISBN-13
9784065288214
系譜
戦後昭和国内 / 名探偵もの · シリーズ探偵物

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この記事を書いた人

リットン

都内金融機関で経営企画とデータアナリストをしているアラサー。
文系の非エンジニアですが、独学で始めた Python と生成AIにすっかりはまりました。
プログラミング・サッカー・ミステリ紹介など、好きなことを好きに書いています。

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