警察は一歩も動けない。
人間動物園
大雪と盗聴器で二重に閉ざされた家。動けない警察と母親を描く誘拐長編。
雪が降り積もって、街の機能がひとつずつ止まっていきます。電車が止まり、車が動かなくなり、人も家から出られなくなる——その只中で、子どもがひとり連れ去られました。
連城三紀彦『人間動物園』は、逃げ道のない状況をこしらえることにかけて、念の入り方の並外れた誘拐小説です。2002年に双葉社から刊行され、翌2003年版の「このミステリーがすごい!」で国内7位に選ばれました。
物語の入り口
大雪です。あらゆる都市機能が麻痺し、街は動きを止めています。
その日、一億円の賄賂疑惑の渦中にある大物政治家の孫娘が、誘拐されました。賄賂の疑惑で世間の目が一族に向いている、まさにそのさなかの出来事です。
雪に埋もれて止まった街の真ん中で、ひとつの家の時間だけが、急に激しく動き出したことになります。
厄介なのは、被害者の家がすでに舞台として整えられていたことです。屋内には盗聴器が張り巡らされており、警察は一歩も身動きが取れません。
指示を出せば聞かれ、相談をすれば筒抜けになる。捜査の常道を封じられたまま、時間だけが過ぎていきます。
矢面に立たされるのは母親です。何を言っても、何を黙っても、それが外へ漏れる部屋のなかで、彼女は追いつめられていきます。
娘を取り戻すために動きたいのに、動くことそのものが娘を危うくするかもしれない。その板挟みが、部屋の空気を重くしていきます。
そしてもうひとつ、意味のわからない事実が投げ出されています。事件の前日から、動物たちの血が流されていたのです。
なぜ動物なのか、なぜ前日なのか。誰も答えを持たないまま、その血だけが状況の隅に置かれています。
読者は、母親と同じ部屋に閉じ込められる格好になります。外は雪で出られず、内は盗聴器で口をきけない。
届く情報は断片ばかりで、それを並べ替えながら、いま何が起きているのかを推し量るほかありません。雪がやむのを待つことも、警察の捜査に頼ることもできない部屋で、母親の隣に座ったまま、次に何が起きるのかを待つことになります。
読みどころ
読みどころは、外と内の両側から閉ざされた家という、状況の設計にあります。 誘拐小説の勘どころは、緊張をどれだけ長く保てるかです。
連城はそこを、二重の閉塞で押さえにきました。外は雪で閉ざされ、内は盗聴器で塞がれている。
この設計のおかげで、登場人物たちは動くのではなく、動けないまま考えることを強いられます。誘拐犯を追う小説ではなく、追えない小説です。
その動けなさが、そのまま緊張の持続に変わります。
もうひとつは、母親の位置です。警察がいて、家族がいて、それでも矢面に立つのは彼女ひとりです。
盗聴器の下では、助言も慰めも口にできません。孤立した人間が、孤立したまま判断を迫られる。
その追いつめられ方を、連城は恋愛小説で人の情のもつれを描いてきた筆で、ひとつずつ書き込んでいます。娘の身を案じる言葉さえ、うかつには口にできない部屋です。
声を殺して耐える母親の息苦しさが、ページを追う側の胸にもそのまま移ってきます。
雪の白と、血の赤——最初から色として対に置かれた二つが示すとおり、全体の色合いは明るくありません。誘拐された子どもの安否をめぐる緊張も、終始ゆるむことがありません。
重い題材が苦手な読者には、その息の詰まり方がつらく映るかもしれません。けれども、息の詰まる状況を最後まで持ちこたえる筆力こそが、この本を年間7位の席に押し上げたものです。
作品の背景
単行本が出たのは2002年、双葉社からでした。1978年のデビューから二十年あまりを経て、書き手としての手数が出そろった時期の作品です。
刊行の翌年、2003年版の「このミステリーがすごい!」で国内7位に入りました。2021年には双葉文庫で新装版が刊行されました。
新装版の刊行は、処女作『暗色コメディ』の復刊と同じ年でした。
手に取るなら
現行版は双葉文庫の新装版(2021年)です。2002年の初刊から二十年近くを経て、新刊書店で手に取れるようになりました。
連城三紀彦の長編を『どこまでも殺されて』や『暗色コメディ』の側から知った読者には、同じ書き手が誘拐という型で何をしたかを確かめる一冊になります。雪で外に出られない夜に、盗聴器の仕掛けられた家の母親と一緒に、動けないまま考えてみてください。
連城三紀彦について
連城三紀彦は1948年、名古屋市の生まれです。本名は加藤甚吾で、早稲田大学政治経済学部を卒業しています。
短編「変調二人羽織」が第3回幻影城新人賞に入選し、同作が『幻影城』1978年1月号に載って世に出ました。1981年に「戻り川心中」で第34回日本推理作家協会賞(短編部門)、1984年には『宵待草夜情』で第5回吉川英治文学新人賞、『恋文』で第91回直木賞を受けています。
大胆な仕掛けと叙情の濃い文章を一つの作品のなかに同居させる作風で知られ、ミステリの技法を心の機微の描写に生かした恋愛小説でも評価を得ました。直木賞のあとは大衆小説に軸足を移しながら、誘拐ものや心理劇などのミステリも書き続けました。
1987年に得度した真宗大谷派の僧侶でもありました。1996年には『隠れ菊』で柴田錬三郎賞を受けています。
2013年10月に65歳で亡くなり、翌年、日本ミステリー文学大賞特別賞が贈られました。
書誌情報
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