探偵の夢は真のサムライ。
日本殺人事件
誤解と誇張でできた「ニッポン」で、異邦人の探偵が筋を通す協会賞受賞作。
神とホトケが同居し、サムライ・スピリットがいまも息づき、伝統と現代が交錯する国。そう聞いて、どんな国を思い浮かべるでしょうか。
山口雅也『日本殺人事件』の舞台は、憧れの末にその国へ辿り着いた私立探偵トウキョー・サムの前に広がる「ニッポン」です。異国の文化に戸惑いながらも、探偵は真のサムライにならんと意気込み、奇妙な事件の数々へ踏み込んでいきます。
1995年に第48回日本推理作家協会賞を受けた連作短編集です。
物語の入り口
トウキョー・サムは、日本に憧れてきた私立探偵です。その憧れの国へ、ようやく辿り着いたところから物語は動き出します。
目の前に広がるのは、伝統と現代が交錯し、神とホトケ、そしてサムライ・スピリットが息づく不思議の国。彼は異国の文化に戸惑います。
それでも尻込みせず、真のサムライにならんと意気込むところに、この探偵の愛嬌があります。探偵が主役の物語で、主人公がまず携えているのが拳銃でも虫眼鏡でもなく、サムライになるという志である。
その一点だけでも、この連作の風変わりな手ざわりは伝わるはずです。
サムが挑む事件には、こんな題材が並びます。一つは、奇妙なセップク事件。
一つは、茶室の密室。そしてもう一つが、オイラン見立て連続殺人。
題材の名前を並べただけで、舞台の色がにじみ出てきます。セップクも茶室もオイランも、日本らしさの記号として外から眺められてきたものばかりで、それがそのまま事件の器になっている。
何がどう奇妙なのか、茶室はどう閉ざされていたのか、見立ては何のために行われたのか——どの題材も、名前を聞いた時点ですでに問いを抱えています。
舞台の「ニッポン」は、外から眺めた誤解と誇張で組み上がった国です。ところがその世界の内側では、風習がきちんと筋道立って働いている。
読者は、この異邦人の探偵と並んでこの国を歩くことになります。異邦人が戸惑いながら見上げる景色を、同じ高さから見上げているうちに、戸惑いの目線はいつのまにか、論理を追う目線へと切り替わっていく。
慣れない作法に首をかしげていた探偵が、事件の筋道をたどる探偵の顔になる。その切り替わりの瞬間を待ちながら、頁を繰ることになるでしょう。
読みどころ
読みどころは、誤解と誇張でできた国のなかで、推理だけがまっすぐ筋を通すところにあります。
外から眺めた「ニッポン」は、現実の日本とは似て非なる国です。けれども作中では、その風習が一貫した決まりとして機能しています。
だから謎は、どれほど奇妙な舞台の上でも、本格の手続きで解かれることになる。風習は笑いの種であると同時に、推理の材料でもあるわけです。
異国の目がこの国をからかう可笑しみと、この国の決まりを前提に組み立てられる謎解きとが、同じ頁の上に並んでいます。
もうひとつは文章です。簡明で、翻訳小説のような手ざわりがあります。
日本を舞台にした日本語の小説なのに、どこか訳文を読んでいるような距離がある。その距離が、見慣れたはずの茶室やオイランを、初めて見る異国の風物のように遠ざけてくれます。
カタカナで書かれるセップク、ホトケという表記も、その距離を支える小道具です。
題材の並びにも目を留めておきたいところです。奇妙な死、閉ざされた茶室、見立てによる連続殺人——いずれも本格ミステリが長く磨いてきた型が、和の意匠のなかにひとつずつ収まっています。
協会賞の連作短編集部門を制したこの本は、型を愛する読者への贈り物のような顔をしています。
こんな人におすすめ
和の意匠をまとった本格ミステリが好きな読者に向きます。茶室の密室、見立て連続殺人という言葉に反応してしまう人なら、題材の並びだけで手が伸びるでしょう。
異国人の勘違いを笑う軽い読み物のつもりで開くと、意外に思うかもしれません。笑いの底で、謎解きは真顔で進んでいきます。
日本を舞台にした推理小説の見慣れた風景に少し飽きている人ほど、この外側からの眺めを新鮮に感じるはずです。
作品の背景
『日本殺人事件』は1994年9月に角川書店から刊行された連作で、〈トウキョー・サム〉シリーズの第1作にあたります。翌1995年の日本推理作家協会賞では、短編および連作短編集部門の受賞作に選ばれました。
シリーズは1997年の続編『續・日本殺人事件』へと続き、2013年には2冊とも中国語に訳されています。
手に取るなら
現在手に取るなら、2007年5月刊の創元推理文庫版です。解説は巽昌章が書いています。
角川文庫版も長く出回ってきたので、古書で見かけることもあるでしょう。続編へ進む前に、まずはここから入るのが順当です。
憧れの国で真のサムライを目指す探偵の最初の事件簿を、彼と並んでたどってみてください。
山口雅也について
山口雅也は1954年、神奈川県横須賀市に生まれました。早稲田大学法学部に学び、ワセダミステリクラブに所属して、在学中からミステリの評論やエッセイを書いていました。
1989年、東京創元社の叢書〈鮎川哲也と十三の謎〉の一冊『生ける屍の死』でデビューします。
1991年の『キッド・ピストルズの冒瀆』に始まるシリーズでは、名探偵が実在するパラレル英国を舞台に、パンク刑事キッド・ピストルズが事件を解きます。1995年には『日本殺人事件』で第48回日本推理作家協会賞(短編および連作短編集部門)を受賞しました。
作品ごとに題材も舞台も大きく変える書き手で、ミステリ関連の古書や映画のコレクターとしても知られ、2019年からは翻訳叢書「奇想天外の本棚」の製作総指揮を務めています。
書誌情報
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